第7話 縁談

 遠駆けから三日後、城内の父から突如召還された。

 朝早く老年の召使いが火急の用件で、と馬車で乗り付けて大声で私を呼んだのだ。

 

 まさか父上と母上に何か?と私は身なりを整えて出立した。


 屋敷の様子は存外、静かであった。


「父上、母上、ただいま戻りました」


 息を弾ませて扉を開けると、父と母が何とも言えない表情で私を迎えた。


「お前に縁談だ」


 開口一番、父は私の体調を気遣う様子もなく、切り出した。


 一ヶ月前、当人に何の相談もなく婚約解消を進めて、また知らぬ間にそんな話を……。


 こちらがだめならこちら、娘を家畜か何かと思っているのではないか。


「お相手は、どういった方です?」


「ニシアス家の長子ヴィトリオだ。年は二十四、公職は財政官で総統閣下の覚えもある。将来有望だぞ」


 ヴィトリオ――。


 どきり、としたのは息が整っていないからではない。


 記憶の中の爽やかな笑顔がよみがえる。

 あの場で私から名乗った時点で、私のことはすぐに知れるだろう。


 まさか彼からの申し出?


 いえ、権力闘争に余念がない貴族にとってあちらをつくろって、こちらに綻びがあればそれを絹のはぎれで補修することなどよくある事だ。

 特に、権力の保持に余念のない父ヴィトーのことなら。


 冷静に物事を捉えようとする一方、心臓の音は理性の抑えを越えている。


「我々もあのようなことがあったゆえ、お前にどのような縁談があっても断ろうと思っていたのだが」

 

「ニシアス家のご当主、ご嫡男が先日どうしても、と申し出があった次の日も伺って来られるの。さらにはこのことは元首閣下のお耳にも触れてねぇ」


 母の声が妙に機嫌良い。

 面倒な娘が片付くのが嬉しいのか、それとも他に何か、気持ちを上振れさせることがあったのか――。

 普段は家格、威厳、伝統と、イリオール家の栄誉を装飾品のように振りかざしているのに。


 母には付け届け、父には権益か。どちらにしろ格下の家門に娘を嫁がせるだけの等価を得たのだろう。


「分かりました。父上、母上」


 うべなう以外の選択肢もあったが、否定は我儘であり、沈黙もまた首肯。

 貴族の娘の宿命なのは十分理解している。それに加えて私の心は言葉を発することをひどく恐れていた。


「ただ一つ、お願いがございます。婚約の前にヴィトリオ様とお顔合わせの機会をいただけませんか」


 自分でも分かるくらいの震えと汗。

 少しの意志――。


 なんのはかりごともない。ただ、成熟した男のヴィトリオが何を思って、婚約を申し込んだのか、加飾のない言葉が聞きたいだけなのだ。

 それすらも外に出すのは労力を要した。


「まあ……それは構わんが、それで婚約は覆らぬぞ、これは家と家の約定である」


「ええ、大丈夫、大丈夫ですわ。」


「あなた、そうは言っても何をしでかすか分からない。万が一ということもあります。あのクーロートの娘では当てになりません、衛士数名をご用意してくださいまし」


 母のまくし立てるような物言いを、口角を上げていなす。自分自身の様子を鏡で見たら、きっとひどく不格好だったろう。

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