第21話 負け組たちの戸惑い

「……やっぱり、いくらなんでも思い切り過ぎました」


 シャワー音に紛れて、私の呟きが漏れる。


(もちろん、海斗君のことは信じています)


 でも、だからって……付き合ってもいない異性とこ、こんな所に泊まることになるなんて……。


 いくら状況的に仕方なかったとはいえ、何かを致命的に間違えた気がしてならない。


(私たちは、ただの友達なんです)


 胸に手を当てながら、自分に言い聞かせるようにしても、鼓動だけは誤魔化しようがなかった。


 この後に友達の一線を明確に超えたことなんて、起こりうるはずがない。

 

 そんなのは分かっているのに、この場所がどうしたって私にそういうことを意識させてくる。


「……こんなの、私がはしたないみたいじゃないですか」


 でも、言い訳をすると、この場所に男女2人で泊まることになって、緊張しない女の子はいないと思う。


 いくらいつも部屋で2人でいるのに慣れているとしてもだ。


(だから、私が変に意識してしまうのも、ごく普通のことなはずです)


 平常心、平常心、落ち着いて、落ち着いて。

 胸に手を当てたまま、何度も深呼吸をして。


 その甲斐もあって、ようやく鼓動が落ち着いてきて、


『——凪?』

「……っ!?」


 外から聞こえてきた声に、落ち着きかけていた鼓動が再度跳ね上がる。


「な、ななな、なんですかっ!?」

『……あー、悪い。驚かせるつもりはなかった』


 薄い壁の向こうから、海斗君の申し訳なさそうな声が聞こえてくる。


 私はかつてない程に無防備な姿。

 そして、私たちにとって、大事な一線を隔てている壁もかつてない程に薄い。


 その事実が、私の鼓動を静かにさせてくれない。

 そんな中で、海斗君が何を言い出すのか待っていると、


『ちょっとひとっ走りして換えの下着とか、コンビニで買ってきたから』

「……へ?」

『ほら。パジャマみたいなのは備え付けのがあったけどさ、下着はさすがに無いし、使い回すのは抵抗あるだろ?』


 私は、その言葉をたっぷり間をかけて噛み砕き、


「……ありがとうございます」

『おう』


 思いっきり、脱力した。

 

(何をしているんでしょうかね、私は)


 答えはまだ髪も体も洗っていなくて、何もしていないのに、緊張だけはしていた、だろうか。


「……海斗君はいつも通り落ち着いていたと言うのに」


 しかも、下着にまで気を回して用意してくれるという落ち着きっぷりだ。

 

「……いや、それはそれで何か釈然としないものがありますけど」


 こういう状況でも落ち着いているのは彼らしい。彼らしいし、私たちの関係性的に正解なのだけど……。


 何だか、私だけが過剰に意識しているみたいで、複雑だと思ってしまうのは間違っているのだろうか。


 やけに大きな鏡に映った私は、面白く無さそうな顔をしていて。


 私は邪念を振り払うように、シャワーの温度を少しだけ落として冷たくした。



「——すみません。遅くなりました」


 その声に、スマホから顔を上げる。

 

 そこには、ホテルに備え付けられていたパジャマ姿で、首から掛けたタオルで髪を拭いている凪の姿があった。


 俺でも初めて見る、風呂上がりの凪のラフ過ぎる姿だ。


 ちなみに、パジャマの他にもどエロいバスローブがあったが、そっちは断固として見ないことにさせてもらった。


「いや、しっかり温まれって言ったのは俺だ。気にすんな」

「……いえ、正直それ以外のことに時間がかかったと言いますか」

「ん? それ以外?」

「な、なんでもありませんっ」


 そっぽを向かれた。

 なんなんだ、一体。


 とは言え、凪が風呂から出てきたということは、次は俺の番ってことだ。


 俺は凪と入れ替わるように浴室に向かう。


「髪、ちゃんと乾かせよ」

「ありがとうございます。分かっていますよ」


 それだけやり取りして、俺は浴室に通じる扉を開けて、中へ入る。


 そこそこ広さのある脱衣スペースの片隅に、几帳面に畳まれた凪が着ていた服が置いてあって、一瞬だけ体を固めたものの、それとなく視線を逸らした。


 動揺を落ち着けようとして、意識して深呼吸をしようとしたところで、


「……」

 

 強く漂う凪の風呂上がりの香りに気付き、俺は深呼吸を諦めた。


(……いくらなんでも、この状況で何も考えないってのは無理があるぞ)


 さっきまでは努めて意識をしないように意識をしていたが、こういう直接的な物を感じてしまうと、どうしたって誤魔化しの効かない何かが出てきてしまう。


 決してそういうことをするつもりが無くても、だ。


「……くそっ」


 もやっとしたものを吐き出すように、舌打ちをし、頭をやや乱暴にかく。


「……はぁ」


 深いため息を吐き出してから、落ち着かない気分のまま服を脱ぐ。


 それから、少々の時間と覚悟を要して、俺は浴室に足を踏み入れ、


「……」


 やっぱり、体を固めた。


 そこには、当然ながら、脱衣スペースとは比べ物にならない程に籠った、凪がいたという濃い気配があって。


 何と言うか、思春期男子には毒過ぎる空間だった。


 シャンプーだかボディソープだかの残り香も、鏡を伝う水滴と辺りに広がった水溜りも、恐らく浸かってから湯を抜いたであろう浴槽も。


 全てが、凪がここにいたということを感じさせた。


(入ってる時間が短過ぎると、絶対に変に思われるしな……)


 意識していない。

 凪を安心させ、そう思わせるには、俺がここで我慢するしかない。


 表情が固くなっているのを自覚しつつ、シャワーに向かって踏み出して、ふと足元を見ると、


「……」


 凪の長い銀髪が落ちているのを見つけてしまう。


 俺は、シャワーを出して、全てを忘れるように全力で頭を洗い始めた。

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