3日目 レマール村着

「これかぁ。」

 馬車を止めての野営で、イラは目の下にくまを作りつつあった。同時に、ダカーが行っていた気遣いの理由を受け止めていた。


 周囲にはビーエのいびきが鳴り響いている。

 夜通しの焚き火で、行者とダカーが干物を炙ってなんとか間を持たせている。


 掛布を羽織って横になりながら、イラはイビキの煩さに一向に寝付けずに居た。

 もちろん慣れていく必要を感じ、また慣れていくのだとは感じていたが、あらかじめそれを知っていなければ、只々ただただ、不快感をつのらせていただろう、と彼女は考えていた。

 


 早朝の森の清涼感が周囲に漂う頃、馬がいなないて、意識が微睡まどろんでいたのに気づいたイラは、いつの間にか火の番をしているのがビーエに変わっていることに気がついた。


「干物、食べる?」

 イラが重そうな目蓋まぶたを開いていたことに気がついたビーエは、焼いていた魚の干物を見せる。


「今ばいいです。もう少じ寝だい。」

 枯れた声と血走った目で、イラはそう答えると、再び瞼を閉じて意識を遠のかせていった。



 次にイラが気がついた時には、既に野営の火は落とされ、鳥が鳴き、出立の直前まで次第が住んでいた頃であった。

 彼女が慌てて飛び起きると、行者が炊いた白湯さゆの入った木のコップを差し出す。

 

「ありがとうございます。」

 彼女が礼を述べると、行者はぎこちない表情で笑い、身支度が整うまで待つと伝えた。



「慣れだよ、慣れ。」

 再び動き出した馬車の中で、ダカーが口を開いた。


「行者さんも、いろんな人を乗せていくからね。結構図太いし。それでも夜は長いから、交流を持っておくと色々教えてくれるわけ。その切っ掛けづくりが大事なんだよ。イラさんがその切っ掛けを作っておいてくれて、ビーエさんがいい意味で言えば機会を作ってくれる。」

 そういって、ダカーは手帳を鉛筆の背でポンポンと叩いた。そこには昨晩の野営の間に仕入れた情報が書き込まれている。


「ダカーさんも十分図太いですよ。」

 昨日と同じ様に、ビーエはクッションを頭に横になっている。そんな姿を見ながら、イラはダカーの事を感心する。その言い振りを受けて、彼は照れた様に黙って舌を出しておどけた。



レマール村

 帝国ミレネイル西方、帝都ペアレスから見れば南西に位置する村の一つである。切り開かれた林道を抜けると、そこには一面の蕎麦の畑が広がり、時期が良ければ白い花が絨毯のように敷き詰められている。

 かつて僅かな生産量に過ぎなかった蕎麦は、八十年ほど前から国策の一つとして大々的に栽培が開始され、この村もその生産量を年々増やしている。

 蕎麦の実を粉にく風車が二基、この村の象徴となっており、生産されたそば粉を税として収めている他、余剰を売って生活物資を買い入れていたり、そばがき、ガレット、打ち麺などを村の主食にもしている。



 その日も、村の民家の窓から湯気が漂っていた。

 ビーエの鼻はその香りを嗅ぎつけたのか、ヒクヒクと動いている。


「いい香りだね。やっぱりこの辺りに来ると、塩気の強い蕎麦が食べたくなるね。」

 ダカーは馬車から降りるなり、誰へともなくそう言葉を投げる。


「ボク、蕎麦の香りってちょっと解らないんですよね。でも美味しいと言うか、慣れ親しんだ味ってのはわかります。」

「イラさん、こっち方面の出身なんだ?」

 ダカーの問いに、イラは少し頬を赤らめて黙して頷く。


 四人が馬車を降りると、行者は右手を挙げて、それを挨拶代わりに一行から離れていく。


「さあ、昼だし、村でさっと食べ物を入れながら情報を集めようか。今日中に少し歩き始めたいね。野営の準備もあるし。」

 背を向けたまま歩き始めたダカーを、イラは慌てて追いかける。



「歩きでペアレスに出るなら、こっから半日と少し掛かる感じかねぇ。」

 干物と銅貨と引き換えに、四人分の椀に塩茹でのそばがきを貰いながら、小柄な婦人がそう述べる。


「そう。やっぱりそれくらいかかる?」


「そうだねぇ。若い衆が買い出しに行くときもそんな感じだよ。道は整備されとるから、そんなに危険もないし、真っ直ぐだけどねぇ。朝に出かければ、夕方になる前に着くだろうさ。」

 熱々のそばがきを木匙さじで掬い、頬張りながら、ダカーは婦人の言葉に耳を傾ける。


「このそばがき、美味いねぇ。いい香りと、塩茹での具合が良いよ。」

「ありがとうよ。ここ数年、この村は蕎麦の実の出来が良くてね。それにつけて、私の若い頃よりも畑が広がって、収穫は一苦労だよ。」

 ダカーの感想に、婦人は照れながらニッコリと笑う。


「ナルマディの干物も助かるよ。行商が来ると買えるんだけどねぇ。頻繁に来るものじゃないから、こりゃ今夜はご馳走だ。」

 会話の最中に帰ってきた民家の主人らしき男が、婦人が手に持った干物を見て黙って口元を緩めて、彼女の顔を見ている。


 そんなダカーの気さくなやり取りを見ながら、イラとビーエは、まだ湯気を立てるそばがきを頬張った。

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