第33話 失敗から得たもの

 クローン脳の保存部屋から出ると、少女の羅列が再び目に入った。

 そして同時にひとつの疑問が浮かんだ。少女たちの頭の中には脳がないのだろうかと。


「博士」

「なんだい?」

「脳が別で保存されているということは、ここにいる少女たちの中にはないんですか?」

「ああ、今はね」

「別にしているのはなぜですか?」

「生命活動を止めるためさ。この液体だけでも問題はないはずだけど、一緒にしていては脳が勝手に動きはじめてしまうかもしれないから。神秘とはそういうことだよ」

「はぇー」


 しまった。変な声が出た。


「ここから出た少女が君と同じ状態になるかと前に聞かれたとき、たしか僕はおおむね合ってると言った。それは脳を入れたらの話だったからだ」

「あぁ、そういえば」

「あのときは濁してしまったけど、ここで伝えられてよかったよ」


 体と脳が別々でもそれぞれが生きている状態を保てるなんて……。

 博士が作った液体もすごいけど、人間の細胞には驚きを隠せない。


「あれ……」

「ん?」


 ここでわたしはついさっきのことを思い出した。

 博士はクローン実験をはじめたころ、何度も試したけどどうしてもできなかったと言っていた。それはつまり、今まで失敗を重ねてきたということになる。

 そして失敗があったということは、わたしより先に外に出た少女がいたかもしれない。

 この考えがこれまで出なかった理由はわからないけど、出たら出たで身の毛がよだつ。

 ただ、頭に浮かんでしまっては聞かずにはいられない。


「急に黙ってどうしたんだい?」

「ちょっとさっきのことを思い出して」

「さっきのこと?」

「はい。脳と体が別々の状態でのクローン実験は何度も失敗したって言ってましたよね?」

「あ、ああ」

「じゃあもしかして、今までわたしより先に外に出た少女がいたんじゃないですか?」

「……よく気づいたね」

「やっぱり……どれくらいいたんですか?」

「三人だ」

「その三人は今はどこに? ま、まさか……」

「ああ。もうこの世にはいないよ」

「……どうして?」

「ひとりはカプセルの外に出してすぐ。ひとりは脳との結合がうまくいかなかった。ひとりは実験中に」

「そんな……」


 今までわたし以外に三人も外に出ていた。そしてその三人は死んでしまった。

 ふと、頬を通るものに気づいた。わたしは今、泣いている。


「仕方なかった。こう言ってはなんだが、実験に失敗は付き物だ」


 博士の言葉が胸を突き刺す。痛い……。

 それでも、わたしは過去と現在の少女たちのために、言わなければならないことがある。


「命を……」

「えっ?」

「命をなんだと思ってるんですか!」

「そっ……」

「クローンだって生きてます! ここに命があります! 今までもこれからも、ずっと命はあるんです!」

「……」

「博士は……博士はクローン人間の命を扱う覚悟はあるんですか!」

「あるに決まってるだろ!」

「……っ!」


 驚きのあまり、体が固まるのがわかった。

 こんなに激昂する博士は見たことがない。


「はぁ……大声を出してすまない」

「い、いえ」

「ただ、いくらクローンだからといって人間は人間だ。見た目は娘だし、脳は妻のものだ。何度でも作ることはできるけど、目の前からいなくなるたびに、僕は心が苦しくなるんだ。自分が許せなくて、自分を殺してしまいたくなるんだ……」

「……すみません」

「いいんだ。大切なものを永遠に失う気持ちは、当事者にならなきゃわからない」

「でも……」

「ん?」

「それならどうして……いや、なんでもないです」

「……そうか」


 わたしは続きを言おうとしてやめた。気づいてしまったから。博士はどんな思いをしても、ふたりにまた会いたいのだと。


「えーっと、暗く感じるのは部屋のせいじゃないよね?」

「……なに言ってるんですか。あたりまえじゃないですか」

「ははっ、ごめんごめん。でもさ、君にはできるだけ笑顔でいてほしいんだ」

「笑顔……」

「娘は十歳で亡くなったけど、君はそれ以上に生きられる。僕は娘の成長を擬似的にでも見ることができるんだ。だからずっと笑顔でいてほしいんだ」

「嫌です」

「えっ……」

「わたしはただ笑うだけの人形じゃない。普通の人間と同じように喜怒哀楽はあります。ちゃんと感情があるんです」

「……ふっ、そうだな。変なこと言ってごめん」

「わかればよろしい」


 過去に触れたことで博士の気持ちがすべて理解できた、というわけじゃない。けど、わたしも暗いのは苦手だからこの流れに乗った。

 心がすうっと軽くなるような気がした。そしてそのおかげか、今まで溜まっていた感情が爆発するかのように、聞きたかったことをいっきに思い出した。


「いろいろ聞きたいことを思い出しました」

「お、おぁ……そうか。なんでも答えるよ」

「じゃあまず、ティーユを連れてこなかったのはなんでですか?」

「ああ、それか。一週間もあればかなり成長してるだろうから、やかましくなると思ってね。ここでのことはあとで教えるつもりだよ」

「あ、なるほど。それはいい判断だと思います」

「君が言うのならそうしてよかった」


 たしかにティーユがいたらうるさくなる。気持ちの行き場が定まらなくて大変だったと思う。あのとき聞かなくてよかった。


「次は?」

「えっと、博士は自分のクローンを作ろうと思ったことはないんですか?」

「え、僕のクローン? ないない!」

「でも実験をはじめる前に、自分がふたりいるならいいけど、みたいなこと言ってましたよね?」

「あぁ、よく覚えてるね」

「で、どうなんですか?」

「うーん……ちょっと説明するのが難しいんだけど。別の自分がいるという意味じゃなくて、自分の意思で動く別の自分がいたらってことだったんだよ。例えば双子の両方が自分みたいな感じかな」

「……なんとなくわかった気がします」

「まあ、答えとしては作らないってことだから。僕みたいな天才がもうひとりいたら怖いし」


「はあ」


 それはたしかに怖い。ある意味で。


「他には?」

「えーっと、あっ、このワンピース!」

「ワンピース?」

「はい。これは博士の趣味かなんかですか?」

「なんでそうなる」

「だってこれしかなかったから」

「それは娘が好きだったからだよ」

「あー、なるほど。にしてもですけどね」

「まあいいじゃないか。あとは何かあるかい?」

「はぁ……
じゃあ、わたしについて。お腹が空かないのはなぜですか?」

「それは簡単だよ。君のエネルギー消費は普通の人間よりも少ないからさ」

「ティーユが言ってたとおりだ」

「ほう。さすがはと言ったところか」


 どうしてエネルギー消費が普通より少ないかも聞きたくなったけど、意味のわからない専門用語が出てきそうで面倒だからやめた。


 これで聞きたいことはあとひとつになった。いや、一応ふたつか。


「じゃあ最後に、わたしの名前はどうしてエトリーなんですか? それと、ティーユはどうしてティーユなんですか?」

「名前か……そういえば聞かれてなかったな。じゃあ簡単なティーユから。僕の名字は覚えているかい?」

「名字……名字……えーっと……」

「おいおいひどいなぁ。まあ一度しか言ってないし、博士と呼ばせてたから無理もないか。僕の名字は五弓ごきゅうだよ」

「あっ、それだ!」

「そのひとつである五を分解すると、アルファベットのとカタカナのになる。だからティーユだ」

「うわぁ……単純」

「いいだろ別に。次はエトリー。娘の好きな詩は英語で。そして脳は妻だから娘とは別。だから頭のを取ってエトリーだ」

「いやいや、脳は別でも頭はあるじゃないですか!」

「細かいことは気にしなくていいんだよ」

「えっ、奥さんの気持ちは!? 離れちゃってますけど?!」

「文字で見たらそうだけど、心は離れていないよ」

「……ならいいです」


 これで聞きたいことはなくなった、と思う。たぶん。

 とりあえず、今はかなりすっきりした気分。あとはお風呂に入って体もすっきりさせたいところだ。

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