触
第27話 目と耳で
「あれ……?」
目が覚めると、ユニコーンがいないことに気づいた。どこへ行ってしまったのだろう。
「ん……?」
ふと、腰の下に違和感を覚えた。手を入れてみると、そこには柔らかいものがある。
「あっ……」
おもむろにつかみ上げ、違和感の理由を知った。ユニコーンはわたしの下敷きになっていたのだ。
「ごめんね、ユニコーン」
わたしは謝りながらそっと抱き締めた。
「お前、そいつのことユニコーンって呼んでんのかよ」
ティーユの声が横から聞こえてきた。顔を向けると、サイドテーブルの上に乗っているのが見えた。
「そうだけど」
「もしそいつが猫だったらどう呼ぶんだ?」
「ネコ」
「犬だったら?」
「イヌ」
「じゃあ俺に名前がなかったとしたら?」
「もちろんカメレオン」
「はんっ、その素晴らしいネーミングセンスには感服だぜ」
「なに、おちょくってる?」
「いいや」
四感実験——開始七日目。今日で一週間だ。
視覚にはじまり、聴覚、味覚、嗅覚と実験を進めてきたわけだけど、五感の中で次が最後の感覚となる。
触覚が消失するというのは、はたしてどういう感じになるのだろう。
「これから最後の感覚消失となるわけだが、昨日はよく眠れたか?」
「それはもうぐっすりとね」
「そうか。アレは夢に出なかったようだな」
「思い出させないでよ!」
「ふんっ」
昨日はホテルに戻ってお風呂に入ったあと、溶けるように眠った。
嫌なこともあったけど、鼻の力を知ることができた喜びのほうが勝っていた。
「そうだ、香水! まだあれ嗅いでなかった。いま試そう」
「そんなんあとでいいだろ」
「思い立ったが吉日でしょ」
「ならさっさとしろ」
「はいはい」
わたしは洗面所に行き、置いておいた香水を手に取った。
そしてその場でキャップをはずし、手首に向かってワンプッシュ。
鼻に近づけると、シャボンの香りをふんわりと感じた。
「これが香水かぁ……思ったより優しいね」
「どぎついのもあるけどな」
「へー、そうなんだ」
「今度買ってみるか?」
「遠慮しとく」
「けっ」
「これって体以外に使ってもいいんだよね?」
「ああ。お前の自由にすりゃあいい」
「じゃあ寝るとき枕にちょっとかけよー。そうすれば安心安全に寝落ちできるお風呂ベッドになる」
「どんだけ風呂が好きなんだよ」
枕じゃなくてベッド全体でもいいかも。動き回ってもずっとお風呂だろうから。
いや、全体にかけるのは香りが強すぎて逆効果かもしれない。お風呂が嫌いになることだけは絶対に避けないと。
「そろそろ触覚の実験はじめるぞ」
「あっ、うん」
「とりあえずもう一度ベッドに入れ」
「えっ、なんで?」
「説明するのは面倒だ。実際に感じたほうが早い」
「そう……わかった」
ティーユの言うとおり、わたしはベッドで横になった。
入れと言うくらいだから、布団もお腹あたりまでかけた。
「よし、じゃあ消すぞ」
「うん」
ティーユの合図とともに、特殊な電磁波がわたしの脳に放たれる。ここまではいつもと同じだ。
「完了だ」
「……えっ?! ちょっ……なになになに怖い怖い怖い!」
「やっぱりそうなるよな」
いきなりわたしは世界から追放された。まさにそんな感じがする。
ベッドに入っているのは目で見てわかる。布団の擦れる音も聞こえる。
それなのに、まるで自分がここにはいないような感じがする。それに加えて、どんどん落ちていくような感じもある。
「やばいやばいやばい! 落ちる落ちる落ちる!」
「黙れ黙れ! いったん落ち着け!」
「いやいやいや、ちょっとこれ無理かも!」
「いいから落ち着け! お前は今ここにいる! ちゃんとここにいるんだよ!」
「わたしは今ここにいる……ちゃんとここにいる……」
ティーユの言葉を頭の中で何度も何度も繰り返した。
わたしは今ここにいる……ちゃんとここにいる……。
しばらくして、この違和感と恐怖は触覚が消失しているからだ、と思い込むことには成功した。
信じるもなにも、今は実験中だからあたりまえ。それがわかってはいるのだけど、それ以上に感じるものがあったのだ。
心が支配されていくと、人は平静を保つことはできない。それが身に染みてわかった。
「ようやく落ち着いたか」
「……ごめん」
「いや、無理もない。触覚は今までと少し毛色がちがうからな」
「そうみたいだね」
「俺がお前をベッドに入らせたのは、立ったままだと危なかったからだ」
「うん、わかる。消えるときに立ったままだったら、たぶん崩れてた」
「生きててよかったな」
「うん……」
もしあのとき立っていたら、わたしは卒倒していたと思う。そしてそのまま頭をぶつけて、この世に別れを告げることになっていたかもしれない。
「とりあえず布団をどかしてみろ」
「わかった」
布団をつかむ。つかんでいる。肌ではなく、目と耳でそう感じる。
布団をめくる。めくれている。肌ではなく、目と耳でそう感じる。
「自分でつかんでめくってるのかよくわかんない」
「そりゃそうだ。それが触覚ってやつだからな」
布団をめくって気づいた。わたしはワンピースを着ていたのだと。
別に忘れていたわけじゃないけど、着ている感じが全然しない。
「なんか……裸になってるみたい」
「当然だな」
「ずっとここってわけじゃないでしょ? このあと外に出るんだよね?」
「まあな」
「わかってはいるけど……想像したらちょっと、というかかなり恥ずかしい」
「そんなこと考えなけりゃいいんだよ」
「まあそうなんだけど」
「よし、次はベッドから降りてみろ」
「……わかった」
——あれ? あれれ……?
体を起こそうとしても、うまくいかない。自分のどこに力がかかっているのか。それがまったくわからない。
とにかく、目と耳で情報を得る。今はこれがいちばん重要だ。
触れている感じはしないけど、自分の手がそこにあるとわかっていれば、そこに力が加わっているのだとわかる。
わたしはそうしてなんとか体を起こすことができた。
「うわぁ……」
「今度はなんだ?」
「なんか……浮いてる感じがして気持ち悪い!」
「いまさら?」
落ちているわけじゃないとわかったからか、今は宙に浮いているような気がしてきた。
わたしはベッドの上にいる。それはわかっている。けど、謎の浮遊感に襲われる。
重力を感じないわけじゃない。むしろ今まで以上に感じていると思う。だからこそ、この不思議な感覚に酔いそうになる。
「うっ……」
「おいおい、勘弁しろよ」
「大丈夫、だと思う……えっ」
そんなとき、このタイミングで頭の中に詩が流れ込んできた。
*
空を泳ぐ夢を見ました
背中に翼が生えました
近くに神様いるのかな
あとは天輪くださいな
*
「うっ……」
「なんでこのタイミングなんだ?」
「知らないよ……あっ、でももう戻せるよね! 今すぐ戻して!」
「アホか。はじめたばっかで戻すわけねぇだろ!」
「ケチ!」
わたしはこんな状態で実験を進めることができるのだろうか。
まだ触覚の実験ははじまったばかり。先が思いやられる。
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