象と絞首刑

鷲羽巧

はじめに

 小父おじさんが死んだ。高名な推理作家だった小父さんの死を多くのひとが悼み、幾つかの雑誌では特集が組まれた。大手の出版社ではすでに、全集の編纂が始まっていると云う。語ることのできる限りどれだけ老いようともわたしは作家であり続けるだろう――いつか自信に満ちてそう述べた小父さんにとっては不本意であろう、それは早すぎる死だった。難しい名前の薬を医者はあげつらったが、結論は要するに事故による中毒死だ。若い頃は医者だった小父さんは誰よりも自分の診断を信じていたから、その過信ゆえの誤りと思われた。当然の帰結と云うこともできる。あるいは、偶然の理不尽だろうか。小父さんは兄弟もなく、親もすでに亡くし、結婚もしないで子供ももうけなかったから、葬儀は極近しい友人や関係者のあいだで密やかにおこなわれた。初夏の雨が涼しい午後だった。わたしは父の代わりに参列した。本来、誰よりもその場に並ぶべき、小父さんのいちばんの友人だった父もまた、すでにこの世になかった。神父の説教を聞きながら、なんて孤独な死だろうとわたしは思った。墓碑銘は故人の意向でこう刻まれた。

 ――アンソニー・ブレア 一九〇三―一九五〇 名探偵の記録者

 ――エドワード・オーウェン――アメリカのシャーロック・ホームズ――そしてわたしの父である彼の、小父さんは記録者だった。小父さんは最期まで主役になることを拒み、エドワードの記録者であることに一生を捧げようとした。その献身を思い、小父さんの書斎の鍵つきの抽斗から見つかったこの手記――小説として発表されたのではない私的な手記を、だから公表するつもりはない。小父さんはそれを望まないだろう。

 手記は父と小父さんの出会いから別れまでを短く記述したものだ。したがって、小父さんにとって最後のエドワード・オーウェンの記録と云うこともでき、ついに公で語られることのなかった小父さん自身の物語と云うこともできる。いずれにせよ、内容を考慮すれば表沙汰にできるものではない。ほんの短い時間だったけれど、小父さんはわたしの世話をしてくれた。作家業で築き上げた遺産の大部分は報われない犯罪被害者の支援に使われるものの、血の繋がりのないわたしにも、生きてゆくのに不自由しないだけのお金を遺してくれもした。だから小父さんを裏切るわけにはいかない。ただでさえ小父さんは、自らの死によって不本意にも筆を断たれたのだから。

 とは云え。この手記を燃やしたり、破り捨てようとも思わない。私的な日記を周到に処分し続けた小父さんの、これは唯一と云って良い、小説にすることを想定していない告白の書だから。原稿はタイプライターで清書されておらず、その筆跡には小父さんらしい几帳面さと、それでいて熱に浮かされたような勢いがうかがえる。

 鍵を付けてしまっていたと云うことは、誰かに読まれるのを避けたかったのだろう。一方でその書きぶりは、誰かに自分の見てきたこと、おこなってきたことを伝えようとしているようでもある。以上を踏まえてわたしはこの手記を、屋敷のどこかに隠しておこうと考えた。いまわたしが書いているこの前書きと合わせて、いつか誰かが発見するその日までしまっておくつもりだ。場所は、そう――かつて父の書斎でもあった小父さんの書斎に。そこにいつか収められるだろうアンソニー・ブレア全集、その最終巻の函はどうだろうか。父の集めた蔵書のなかの、小父さんが著した本のなかに、最後の物語として紛れ込ませて……。

 小父さんの許に転がり込んでから一ヶ月経った頃、いま思えばこの手記を書き終えた時期だったろう夜に、小父さんは食事の席でわたしに云った。

 ――言葉だけが最後に残るんだ。

 小父さんが唯一無二の親友について書き続けた、それが理由なのだ。ならばわたしもそれを信じよう。わたしがこの屋敷を去っても、みんなが小父さんのことを忘れても、書かれた物語は残り続け、この手記もどこかで読者を待ち続けるのだと。

 いつかこの手記を読むあなたに向けて、父について、小父さんについて、詳しく説明するような前置きは止す。書かれていることを素直に読んでもらえばそれで良い。あるいはあなたが名探偵となって、裏の作為を読みと取ってもらってもかまわない。どうであれ、書かれたものが全てだ。生き残った言葉がなんだったのかを考えるのはあなたの自由である。


 一九五〇年

  ボストン、マサチューセッツ

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