第16話 始まり

 蒸気の音が夜明けの日差しと共に木霊こだまする。

 沸騰したやかんから吹き出る音にも似たそれは、朝一番に街中のいたる所から立ち上って人々に東雲しののめを告げていた。


(誰か朝風呂してる……)


 ベッドから上体を起こしたカナタは、ゆっくりゆっくりと伸びをすると着替えを片手に部屋を出た。

 五階建ての学生寮は一階が浴場や食堂、娯楽室、といった生活設備を備え、二階から五階までは爵位によって寮生の部屋が分かれている。

 二階が侯爵こうしゃく。三階が辺境伯へんきょうはく伯爵はくしゃく。四階が子爵ししゃく男爵だんしゃく。五階がそれ以下の位――騎士爵、平民などでまとめられている。

 公爵を含む侯爵クラスはそもそも王都周辺に家を構えている事と、わざわざ子息を集団生活に送り込むようなさも無いので、部屋が埋まる事はほとんどない。

 

 伯爵家の身であるカナタは三階の端に部屋を割り当てられていた。

 春になって不要になった中央配熱機セントラルヒーディング放熱器ラジエーターに浮いている錆を後目に、階段を下りて一階の浴場へ向かう。

 昨晩は帰宅が遅くなったのもあって、湯浴みもしないままにベッドに倒れ込んで眠ってしまっていた。その割には早くに目覚めたので、人目も憚らず泣いてしまった事には恥ずかしながら心に山積した濁りを解消するだけの効果があったらしい。


 浴場の扉を開けて隅に設置してある業務用の大型珈琲豆焙煎機のような蒸機機関ワポル・ケタス原動機エンジンを確認すると、やはり誰かが既にスターターを起動させて使用しているようだった。

 水音は聞こえないので、起動させたばかりで外のタンクにお湯が貯まっていないのだろう。

 地球にあったようなガス給湯器は電源を押せばすぐにお湯が供給されるが、こちらの蒸気文明ではそうはいかない。機関が始動して水をお湯に変えるまでのタイムラグがある。それでも、気軽にお湯を使えるという点では必要十分なものだ。


 カナタは寝間着を脱ぎ、銭湯のように並んだ荷物棚にそれをしまうと、寮が設置しているタオルを一枚取って浴場に入った。

 浴場は大人数が収容できるような貴族級ビッグサイズだが、ここに湯が張られるのは夜の決まった時間帯だけである。毎日の掃除、施設のメンテナンスを考えれば、温泉レベルで常時お湯を張っている訳にはいかない。

 なので、それ以外の時間に湯浴みをする場合は浴場を通って入れるかけ流し室を使うのだ。

 いわゆるシャワールームといった作りであり、ゆとりをもった仕切りの設けられた内部は、八人分の場所を提供してくれている。


「あっ、おはようございます」


 なんとなく奥の方を使おうかなと考えていたカナタは、案の定朝風呂の為に来ていたと思しき先客の背中が見えたので足を止めて挨拶をした。


「……ふん」

(は~~~~~~ん? 感じ悪いなぁ)


 が、仕切りの向こうの少女はカナタを一瞥すると、まるで汚らわしい物を見るかのような目つきで鼻を鳴らして顔を背けた。

 貴族平民間だけでなく、貴族同士でも爵位の違いなどで態度を変える者は珍しくないが、ここまであからさまに敵対的な姿勢を取る者はそう居ない。

 気位プライドの高そうな吊り目に心中で舌を出して通り過ぎたカナタは、奥の仕切りのでっぱりにタオルを掛けて垂れ下がっている紐を軽く引いた。


(おっ、きたきた)


 身長よりほど高い場所にあるくり貫かれた壁穴から、お湯がじゃばじゃばと流れて出てくる。シャワーのように細かい穴の集合体から出てくるわけではないので仕方ないが、気分としては滝行だ。


「チッ」


 流れるお湯の音に紛れて明らかな舌打ちの音が聞こえた。

 自分が蒸機機関ワポル・ケタスを起動して待っていたのに、後から来たカナタに先取りされてイラついたのだろう。

 はいはいごめんなさいねと気の無い謝罪を内心で入れつつも、温まりきったら何人使っても一緒だろうにと狭心に悪態をつく。

 

(あ~~……すっごい気持ちいい……)


 同じ空間にいる少女の事は忘れ、流れ出るお湯に全身の倦怠感を拭われながら昨晩の出来事を思い返す。

 自分の決断が良か非か。未だ計れぬものではあるが、決めた事に後悔はない。

 寝起きの鈍った頭が湯浴みで回転を始める。


『こっちでも苦労してきたんだな、彼方』


 あの後、二人きりで会話をする為に植物温室ボタニカルガーデンの外へ出て兄にこれまでの半生を全て語った。〝スパゲッティのモンスター〟の話もした上で、今後自分がどう立ち回るべきかを相談したのである。


『お前の癖を見ると安心するなぁ。相談って言った時は決めてる時だし、悩み事って言った時はまだ何も決まってない時だ』


 話を聞いた叶也は、カナタが自分の中で既に方針の決断をしている事を指摘した。

 決意も決心もしていたのは事実だ。決めた方向へ進む勇気が足りず、背中を押してもらいたいが為に兄へ縋った感は否めない。自分の考えが客観的に見て肯定しうるものか補強してもらいたかったという面もある。


『正しいと思ったことをしろ。お前の人生はお前だけのもんだ、邪魔なものは全部ぶっ壊しちまえ』


 兄は快活な笑顔でそう告げた。

 かくして、いくつかの条件を提示して了承を得る事で、カナタはレイベリーたちの行動に協力する事となった。

 

 一つ、クルヌエルに接触できた場合、必ず対話の機会を設けること。

 彼女が何らかの拍子に現れたからと問答無用で攻撃をすれば、敵対する事は避けられない。事実関係が曖昧なまま断裂を生む行為は悲劇をもたらす可能性がある。

 二つ、レイベリー、ユリウス、ユウからカナタへ何らかの形で協力の要請があった場合、内容次第では協力を拒否する。強要をしない。 


 たった二つの条項ではあるが、兄曰く『決まり事が明確じゃない同盟関係は互いの不都合が起きた時に擦り付け合いが始まって悪い結果になりがち』だそうで、なんら拘束力が無くとも条件を提示するに至った。

 結果的に三人は条件を受け入れ、カナタは晴れて反クルヌエル一派としてレイベリーたちの輪に加わる事となったのである。


 兄は去り間際に〝スパゲッティのモンスター〟と会話を交わしていた。

 rootルート権限とかC++++++++++ディカプルプラスとかperidotペリドットとか、まるでちんぷんかんぷんな内容に話は右から左だったが、兄はなんとも複雑な表情を浮かべながらも納得はしたらしく、『変なゲームや漫画の中の世界じゃないことはわかったけどさぁ……』とこぼしていた。

 そして最後に、『頑張れよ、彼方』と実にあっさりした別れの挨拶をしてこの世界から居なくなったというのが昨晩の出来事。


 カナタは兄に居残ってもらうつもりもなかったし、兄もこの世界に居座るつもりはなかった。

 複製の兄はクルヌエルの視点から見れば異分子同然。何かのきっかけで兄の存在に気づけば、それがどういう結果を招くのかわからない。

 クルヌエル自身の意思が見えない事と原則不可能な転生を宇宙を跨いで起こしたカナタを鑑みれば、迂闊に地球産の人間を置いたままにしてはおけないだろう。


 なにより、カナタは今ここで生きている人間である。

 決して地球での家族との血が切れた訳ではないが、ここではここの生き方をすべきであると感じていた。

 それは兄も同じだったようで、一時の再会を惜しみながらもカナタが気負う事のないように簡単な挨拶だけで別れを済ませたのだ。


『本物の俺がこれを知らないのが残念だよ』


 兄のこぼした未練はそれだけだった。


「お……っと」


 いつの間にかお湯の滝が止まっていた。

 軽く洗い流した身体を乾かしながら浴場の着替え場に戻ると、他にも朝風呂に来た寮生らがたむろっている。

 先客と違ってちゃんとした挨拶を交わしつつ着替えたカナタは、買い置きしていたパンが無くなったのを思い出して食堂へ向かった。


「あら? カナタさんが朝にここへいらっしゃるとは珍しいですわね」

「おはよ、二人とも」


 朝早い時間で閑散としていた食堂に見知った二つの影。

 真っ先に声を掛けてきたシャルレーヌは、朝食にするには少々……いや、明らかに多すぎる量の皿を前にその大半を既に食べ尽くしていた。

 いつもの事だが見ているだけでこちらが胃もたれする。


「おはようございます、カナタさん。パンをご所望でしたら本日は貴女のお好きなバゲットトーストですよ」


 もう一方。アレクサンドラは、常識的な量の朝食を並べていた。

 わざわざパン籠を傾けて中身を見せた彼女は、「おひとついかがでしょう?」とカナタを隣の席へ誘ったが、首を振って断る。


「大丈夫。ちゃんと自分の分もらうから」


 食堂に待機していた使用人がカナタの姿を見て目配せをする。それにカナタは軽く会釈をすると、使用人は厨房の方へ消えていった。


「カナタさんは食が細くて心配ですわ。シャルレーヌさんまでは行き過ぎですが、パンだけでなくスープくらいはお付けになってもよしいのでは?」

「そうですわよ! 沢山食べて身体に栄養つけませんと!」

「おお、珍しく二人の意見が一致してる……」


 カナタは基本的に朝をパンだけで簡単に済ませるので、食堂の利用はほぼ無い。

 パン自体も街にあるお気に入りのパン屋で購入しており、こうしてパンを切らして食堂に来るのは今日を含めても二回目だった。


「お待たせしました」

「ありがとうございます」


 貴族寮に勤める者だけあって、使用人たちはそうした寮生の好みをつぶさに把握している。

 カナタが来た理由を聞かずとも、厨房から一食分のバゲット入りパン籠バスケットとジャムを持ってきてくれた。


「カナタさん」


 ぐい、とアレクサンドラがカナタの服の裾を引っ張った。


「何かトラブルでもありましたか?」

「えぇ?」


 思い当たる節と言えば、昨日の中庭の件だ。

 二人は知っているかもしれないが、一晩でよからぬ噂でも立ったのだろうか?

 が、長机の対面にいるシャルレーヌは皿を平らげながらも訝し気にカナタへ囁くアレクサンドラを見るばかりだ。


「昨日中庭で――」

「そうではなく、後ろの席に居る方が貴女を睨んでおりましたが」


 後ろの席、と言われてそのまま素直に振り向けば変に絡まれるかもしれない。

 中庭以外で誰かに睨まれるほど悪意を買った覚えのないカナタは、小さく首を振ると何食わぬ顔でバスケットを持って食堂の出口に向かった。


(ああ~……)


 そして、道すがらに相手へ悟られぬよう横目で言われた座席の方を見て気がつく。

 座って朝食を食べていたのは浴場で出会った寮生の少女だった。

 お湯を先取りした事でも根に持っているのだろう。自分が入って来てつい睨みを利かせてしまい、それをアレクサンドラに目撃されたといったところか。


 小さな事だからどうせすぐに忘れるはずだ。

 そう考えたカナタは、食堂の出入り口付近で後ろに向けて小さく手を上げる。

 『問題無し』――そう告げる合図を受け取ったアレクサンドラは小さく頷いて食卓へ向き直るが、会話を知らないシャルレーヌはカナタの行動に反応して大きく手を振り返していた。


「カナタ~? 起きてる~?」


 そうして部屋に戻って朝食を終え、学院に向かう準備を終えたところでタイミング良くアリスが扉をノックした。


「ちゃんと起きてまぁす!」


 返事をしてから学院のローブを羽織り、杖を背負って扉を開ける。

 そこには同じようにローブを羽織ったアリスがちょこんと扉の前に待機していた。

 これから日常となるはずの風景。変わらない親友の姿。

 ところが、この何の変哲もない日常の一部が今日はどうしても息苦しく思える。


(昨日のこと、なんて話せばいいんだろ……)


 昨晩の話を自分の内だけに秘めておくつもりは無かった。

 小さい頃からこれまで、幼馴染として色々な事を共にしてきた仲だからこそ隠せないし隠したままでいたくもない。

 しかし、話してしまえばそれだけでこの大切な親友をとんでもない争いの渦に巻き込んでしまう恐れもある。

 アリスにどう話をするか……それが昨晩から今の今までカナタの頭を悩ませていた。


「カナタ?」

「……わたし今、アリスに隠し事してる」

「えっ、ど、どうしたのいきなり? ……あ、昨日のこと?」

「うん。話したいけど話せないっていうか……思ってたより複雑で、面倒なことになっちゃって……」


 秘密を抱えたせいで妙な態度を取って不安がらせたくないがゆえに自ら隠している事があると明かしたカナタに、アリスは少しだけ考える素振りをしてから彼女の手を取る。


「わかった、無理に言おうとしなくても大丈夫。その代わり、何かあったらちゃんと頼ってね」


 アリスは深く追求しなかった。

 引き換えに、互いの信頼の厚みを確認するように小指を差し出す。


「ゆーびきーりげーまん嘘ついたら針千本のーます」


 昔、カナタが教えた指切り。

 二人は親交の証として、度々それを交わしている。


「「ゆーびきった!」」


 指を離し、手を繋ぐ。


「はい、これでこの話おしまいっ」

「ん、ありがと。学校いこっか」

「うん」


 何度この純真無垢な笑顔に救われただろうか。

 彼女の笑顔に傷をつけてはいけない。その為には、自分がうまくやらなくては。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る