仰々しい世界の中で、今日も息を潜めるように
西氷直
世見平
プロローグ
ポイントカードとか、よく分からない。
コンビニをよく使うから、きっと持っていない分凄く損をしているんだと思う。だけど、何だか上手く飲み込めない。私がバカだからだろうか?
コンビニと言えば最近はレシートにも割引券が付いて来ることもある。大好きなもちもちどら焼きを買う時に出せば安くなるらしい。いつもどこかに無くしてしまう。そもそもあんなレシートの端くれが、硬貨や紙幣の代わりになるということ自体が、やっぱりよく分からないのだ。電子決済とかああいうのは、もはや未知の世界。近頃はそっちの方が主流で財布を持ち歩かない人もいるらしいけど、私はチェーン付きの子供っぽい財布を手放せそうにない。
思うに、世界はどんどん複雑になっているのだ。使いこなせれば便利だし、そういうシステムと共存できている人たちは器用で羨ましいなと感じる時もある。だけど私はもっと簡単で分かり易い方が良い。
自販機の中に硬貨をジャラジャラと流し込んで、130円の缶コーヒーを買う。お釣りで出てきた十円玉を手に取ると、ピカピカの真新しい貨幣が混ざっていた。何となくそれだけで嬉しくなる。小さい時のことを思い出した。
小学生の頃、自由研究で十円玉の錆び落としをしたことがあった。確か最初はアサガオの観察をしていたはずなのだけれど、何をするにも要領が悪かった私はアサガオを枯らしてしまった。落ち込んでいる私を見かねて、お父さんとお母さんが手伝ってくれた。いろいろな調味料に十円玉を漬けて、どれが一番綺麗になるか観察する。
実験の詳しい結果はよく覚えていないし、ピカピカになる仕組みも未だに分からない。覚えているのは綺麗になった十円玉が凄く綺麗で、大事に思えて、とっても嬉しかったことと、そんな私を見守っていたお父さんとお母さんの微笑ましそうな表情。
気分が良くなった私は、その場で缶コーヒーを開ける。春先の肌寒い夕暮れ時。赤く色付いた町の中を、会社帰りのサラリーマンだとか、手を繋いだ子供づれだとか、ダンジョン帰りの探索者だとかが行き来している。その様子をコーヒーをちびちびと口に含めながら眺める。人口少なめの地方都市には、ゆったりとした空気が流れている。何時の間にか頭上の街灯が付いて、辺りを優しく照らしていた。
飲み終わった缶を捨てて、家路に付く。途中チェーンの牛丼屋によって、謎肉丼を食べた。成型肉で作られたなんちゃって牛丼の味は、私には本物の牛丼とほとんど区別が付かない。紅ショウガもたっぷり乗せて食べると、とっても美味しい。会計はぴったし360円。低級の魔石一つ分くらいだ。値段がとってもちょうどいいから、ちょくちょく食べてしまう。
借りているプレハブ造りの賃貸アパートは、水道代込みで月に38000円。口座に残った残高には、まだ余裕がある。
玄関に入るとまず、郵便受けにびっしりと溜まったチラシが目に入って、いつも通り辟易としてしまう。少し悩んでから結局今日も郵便受けは放置することに決めて、1roomの部屋に入る。
まずいつもの日課通りに点検をする。部屋の壁に画鋲で貼り付けたA3用紙は、コンビニで印刷した。数十のチェック項目が書かれていて、それを上から順番に埋めて行く。まずは私の身体のことから。外套と探索着を脱ぎ、ブラとパンツだけを残す。腕を伸ばしたり、鏡で背中を確認したりしてから、ボールペンで点検表を埋める。それが終わった後は、装備を確認する。スティレット4振りに投げナイフ、万能ナイフ、腰に付けたポーチには回復、解毒、気付けのポーションが2つずつ。それから各種消耗品。半分くらい埋めた所で、思わず欠伸が漏れた。
最後まで埋め終る頃には、眠気が頭に回り始めていた。重たい体を持ち上げて、何とかシャワーを浴びる。おざなりに髪と体を拭いてから、また下着だけを身につける。
冷蔵庫の中にはこの間買ったお酒がまだ残っていた。お酒を飲むのは、けっこう最近覚えた。『毒耐性』をわざわざ弄ってから、缶酎ハイを飲む。ビールは苦手だ、苦いから。全然美味しくない。今飲んでいるのはアルコール9%位の、無糖で強いやつ。口に含むとスッとして、心なしか気分が楽になる。
酎ハイを飲み干すとベッドに横になって、音楽を聴く。多分だけど、趣味は少ないんだと思う。本もあまり読まないし、テレビはこの部屋には置いていない。部屋に備え付けのルーターからインターネットは見れるけど、それは情報を集める為の道具という一面が強い。そもそもああいうハイテクな物は苦手だ。だから音楽を聴くのが数少ない娯楽だった。
使い古した音楽プレイヤーにコードのイヤホンを付けて、それからシーツを頭まで被る。体中にアルコールが回って、音楽プレイヤーの画面がぼやけている。ランダム再生で曲を流すと、まず流れてきたのはクラシックだった。それから次に一昔前のアニソン、アイドルソング、合唱曲にロックンロール。選曲には一貫性がまるで無い。音楽プレイヤーの中には、私が気になった物が雑多に詰め込まれている。宝物だ。
布団の中は温かくて、穏やかだった。音楽と、時折私の口から漏れ出る独り言以外何も聞こえない。アルコールで緩んだ頭は、訳の分からない言葉をぽつぽつと漏らしている。私はそんな自分を、俯瞰するようにぼんやりと見つめている。『お腹空いた』『鶏肉硬い』『小夜子さん』『お父さんの釣り竿』『助けて……』
眠りに落ちるまで音楽が響いていた。そうして今日も夜が明ける。
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