序章

「ああ、また駄目だったか」

と、あるじは言った。

「この国の者はどいつもこいつも馬鹿でかなわん。このままじゃ、いつまでたっても変わりゃせん。ワタシはもう飽きたというのに」

その言葉とは裏腹にとても楽しげな声が響く。

私は隣に鎮座する豪奢ごうしゃな椅子を見た。

この広い空間に一つだけあるその椅子は誇らしげに主を乗せている。

主が笑った。

「さあ、次はどうしてやろうか」

――止めなければ。今度こそ。

私は反射的にそう思った。

視界いっぱいに広がる無数の人間。等間隔で並べられているそれらは皆、主に向かってこうべを垂れているが何の反応も見せない。それどころか生気せいきすら感じられなかった。けれど、そのどれもが遥か昔にれっきとしたであったことを私は知っていた。

――止めなければ。なんとしても。

主は椅子の肘掛けに頬杖ほおずえをついて妄想にひたっている。今なら進言できそうではあるが、一僕いちしもべである私の言葉など到底聞き入れられないことは今までの経験からわかっていた。

――止めなければ。

もう嫌だった。苦痛に歪む顔、悲鳴、焼け跡、累々と積まれた死体、ちぎれた手足、何も見ていない目、湯気を上げている内臓、血のにおい。

やっと嫌になった。真実を知っている自分も、知っていながら何もしようとなかった自分も、全て。

――止めなければ。

止めることなどできないと解っている。止めても何にもならないことも解っている。それでも、この頭の中で鳴り続ける警鐘けいしょうは果たして私の意志なのだろうか。

――止めなければ。

主が立ち上がる。その場でぐうっと伸びをした。

――止めなければ……。

そして、視界から消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る