第2話 黄金の球と生み出されるメイド

放課後、教科書やらノートが詰め込まれた鞄を持ちながら校庭をのんびりと迂回しながら歩く。というのも、校則で正門から帰ることを推奨されているせいだ。

 正門に行くために武道館の前を横切ろうとすると見知った先輩がいた。

 風にたなびく髪を抑えながら誰かを待っている美少女。

 腰まで届く長いストレートな髪、シルクのような滑らかな白い肌。高校生にしては大人びた顔つきで、可愛いというよりも美人という言葉がよく似合う。

 柚木怜先輩。俺より一つ歳上の三年の先輩でいて、俺の家の近所の家に住むお姉さん。

 清楚で可憐で一つ一つの所作が優雅でテーブルマナーも完璧。茶道も嗜んでいて、まさに完璧な大和撫子。

 親同士が知り合いでなければ一生、縁なんてなかった気がする。

 まさか、親父の職場の同僚が怜先輩のお父さんだなんてな。

 向こうが俺に気付いて控えめに小さく手を振る。

 そして、おいでおいでと手招きする。

 つられて怜先輩の元までいくとゆっくりと口を開いた。

「アキラくん、今から帰るところだよね。一緒してもいいかな?」

「いいもなにも、怜先輩と一緒に帰れるなら本望なんで」

「ありがとっ。実は君をずっと待ってたんだ」

 待ってたという言葉に違和感を覚える。

 怜先輩が俺を待つほどの用事って?

「そのね、家庭科の授業で作ったクッキーを誰かに食べてほしくって。私、実は男の人の知り合いがあんまりいなくってさ。知ってるでしょ?」

「まあ、先輩は恥ずかしがり屋ですもんね」

「そうなんだよ。男の人を見るとどう話していいかわからなくってさ。明くんとはこうして話せるんだけどね。あーあ、男の人がみんな明みたいだったらいいんだけどな」

「そう言われて俺は光栄ですけど」

 なんせこの人は恐ろしいほどモテるからな。

 バレンタインデーの時なんて、女子が男子にチョコをプレゼントするのが定番なのに。

 男子が女子にプレゼントするいわゆる逆チョコで男子が列をなすほどの人気だ。

 毎日のごとく、告白されるが本人は誰とも付き合う気がないのでフリまくってる。

 女子から妬みを買うけど本人は気にも止めていない。

 のほほんと過ごしている。おそろしいメンタルをお持ちの人だ。

「先輩なんて他人行儀な呼び方はやめてよね。昔みたいに怜お姉ちゃんって言ってくれてもいいんだよっ」

「そんな呼び方したら、俺は学校中の男子からボコボコにされて簀巻きにされてその辺の川にでも捨てられますよ」

「そうかなー」

「そうですよ」

 この人は自分の影響力ってやつをまるで理解してないんだ。

 怜先輩が動けば学校中の男子たちが動き出すほど心酔されているのだから。

「あっ、そうそう。用があるから明くんを呼び止めたんだった」

そう言うと怜先輩は鞄から包みに入ったクッキーを取り出す。

 恥ずかしいのか、赤らんだ顔を伏せながら手渡してくれる。

「私のクッキー、明くんが食べてくれると嬉しいなって」

「えっ、お、俺でいいんですか」

「君がいいんだよ。だって、明くんは私に嘘とかついたりしないでしょ。いつもありのままでいてくれるし。だから、クッキーの感想が聞けるかなって」

「俺だって、たまには嘘をついたりしますよ」

「でも、私の前ではしないでしょう」

 それは怜先輩が俺にとって憧れの人だから。

 誰に対しても品行方正で平等で優しい人だから。

 小学三年生の頃、校庭で俺と志保と怜先輩が遊んでいる時に上級生がやってきたのを覚えている。相手は小学六年生の男子三人。

 俺たちがかくれんぼをしている時に場所を取り過ぎているからあっちに行けと追い出そうとしてきた。

 それを怜先輩が止めていたのをよく覚えている。

 校庭はみんなのもので誰かのためだけのものじゃないって。

 その言葉に感激したのを今でも鮮明に記憶している。

 それ以来、ずっと怜先輩だけが俺の憧れの女性だ。

 あと、実は小さい頃に一緒にお風呂に入ったこともあったせいかめちゃくちゃ意識してしまう。俺にとって、身近にいる女性なのだ。

 志保はどちらかというと女子という感じであまり意識したことはない。

 その怜先輩からもらえるクッキー。これは極上ものだ。

 包みを開けると黄色と黒のクッキーが入っていた。おそらく、色的にバニラとココア味のクッキーだろう。

「今、食べてもいいんですか?」

「うん、いいよー。感想聞かせてほしいな」

 それじゃあ、お言葉に甘えて一つ頂かせてもらおうかな。

 口に入れた瞬間、猛烈な塩味が舌に広がっていく。

 ウッ、これは……。砂糖と間違えて塩を入れているな……。

 なんと答えていいかわからず言葉に詰まっていると。

 怜先輩がキラキラした目を向けてくる。

「どう? どう? おいしいかな? 結構、自信作なんだけど」

 これはあきららかにお褒めの言葉待ちだ。

 本当の事を言うべきか、それとも嘘でも褒めるべきか。

 俺がするべき決断はというと、


「……………………おいしいです」


「ほんと! やったー! 頑張ったかいあったよー!」

 両手を上げて歓喜する怜先輩。心底嬉しそうだ。

 ……いいんだ、俺一人の嘘で先輩の笑顔が守れるのなら。

「そういえば味見してなかったんだよね。アキラくん一つ頂戴?」

 まずい。怜先輩にこのクッキーの味がバレるわけにはいかない。

 俺は包みに入っていたクッキーを全部口の中に放り込んだ。

 くっ、塩が口の中でしみていく。めっちゃ、塩辛い。

「どっ、どうしたの。急にそんなにかき込んで」

「いや、なんでもないです。美味しいんで、つい全部食べちゃいました」

「そ、そう。それならよかったけど……」

 さすがに怪しまれるか。かくなるうえは、

「じゃあ、怜先輩。俺、急用を思い出したんで、それじゃ」

「あっ、ちょっと――」

 俺は怜先輩の制止を聞かずに飛び出していった。

 怜先輩がぼそりと呟く。

「一緒に帰りたかったのにな」

 そんな小さな願いが風の音で掻き消されていった。



 怜先輩の元を走り去った後、特に部活動などやっていない俺は自宅へと直行で帰る。

 道中、猛暑のせいか電柱にセミが張り付いてやかましく鳴いていた。

 汗は滝のように流れ落ち、足を少しでも早くへと動かして自宅まで急ぐ。

 俺の住んでいるところは三十万人以上の人が住む中野区にある中野坂上っていう新宿に近い駅のこれまた近くにある住宅街の中の一軒家で二階建ての家屋。

 緑の屋根に白いタイルの外壁はどこにでもありそうなごく普通の家を想像してもらえるだろう。実際、思い浮かべた通りだ。

 そこでは俺とじいちゃんと両親が暮らしている。

 元々はじいちゃんの家で両親と俺が一緒に住まわしてもらっている。

 両親の職場がこの近くにあるんで便利だからという理由だ。

 じいちゃんの方はこの近くに古代人の遺跡があるからなのと新宿に近いから。なにか買い物をすることがあった時に色んな物が売ってる新宿に近い方が便利だし。

 学校から自宅までたどり着いた俺は玄関のドアに手をかけた。

「あーっ、外はほんとあっちいな。ただいまー」

 猛暑に参りつつ、俺は玄関のドアを思いっきり開けて声を張り上げる。

 だけど……。あれっ、じいちゃんの返事がない。

 いつもだったらウザいと思うくらい出迎えてくれるのに。

 そう思って靴を脱いでると、リビングからひとり言が聞こえてくる。

「ううむ。こりゃいったいどういう用途で使われていたのか、ワシにはさっぱりわからんな」

 気になって、リビングに行ってみた。

 そしたら、じいちゃんが机の上に新聞紙を広げて、ところどころ砂で汚れた黄金の球を持ち上げては覗き込んでいる。近くには砂を落とす用のハケとのどが渇いた時用のお茶が備えられている。完全に考古学者モードに入ってるな、これ。

「じいちゃんいったいどうしたんだよ、それ」

「いや、実はな。今日もちょっとばかし、古代人の遺跡に入って発掘調査してたんだがな。掘っていくうちにたまたまこれが見つかってな、どうやら古代人の大事なものかと思ったんだが、こいつがどういう用途で使われていたのかさっぱりわからんのでな。もしかしたら、古代人の秘宝かもしれないって思ったんだがのう」

「ちょっと触ってみてもいい?」

「ああ、ええぞ」

 興味本位でじいちゃんから黄金の球を受け取った俺はさっそく色んな方向から見てみる。二十も面があって、中になにか入っていそうだがそれがどういったものなのかはわからない。

 わかりやすく言えば、一般的な白と黒のサッカーボールが黄金色になったものと思ってくれていいだろう。実際に俺もそういう風に捉えている。

「中を開けてみようとも思ったんがのう。もしかしたら、壊してしまうかもしれんと思ってな。どうしても知りたくて前に強引に開けてしまって、遺物を壊してしまったことがあったからな」

「ああ、あったな。そういうことも。だから、慎重になっているのか。でも、なんで家にまで持ってきたんだ? 普通だったらこういうのは博物館かとかに預けるんじゃないのか?」

「どうしても気になってのう。発掘現場からそのまんま、持ってきてしまったんじゃ」

「ふーん。俺も触ってみてもいいか?」

「ああ、ええぞ。儂はその間、お茶でも飲もうかの」

 許可がとれたんで、さっそく黄金の球を触ってみる。

 大きさは占い師が占いによく使う水晶玉くらいだろうか。

 あちこち適当に触っていると急に指が沈み込んだ。

 なにかのスイッチをうっかり押しちゃったみたいで、パネルがポロリと落ちた。

 やっべっ、壊しちゃったか? 

 じいちゃんにバレないようにコッソリとパネルを拾ってポケットの中へとしまう。

 さいわい、じいちゃんは机の上に置いてあったお茶を飲んでいるから気付かなかったようだ。

 俺はパネルが落ちた部分をこっそり見ると黒い文字が描かれていた。

 これ、古代文字だ。歴史の授業で勉強したから間違いない。

 そういえば大吾が言っていた古代人の秘宝ってもしかしてこいつのことか?

 黄金の球ってのも当てはまるし。

「じいちゃん、ちょっとこれ借りてもいいか? 壊したりしないから」

「ああ、ええよ。なにに使うのか、儂にはさっぱりわからんからな」

「ありがとよ。じゃあ、遠慮なく借りてくよ」

 黄金の球を受け取り、さっそく自分の部屋へと持ち帰ってみる。

部屋に入ると床には乱雑に置かれた漫画や小説(二十二世紀の青い猫型ロボットが登場する漫画やフィリップ・K・ディックの『宇宙からの眼』など)が横たわっていた。

踏まないようにわずかな足の置き場を見つけては飛石(とびいし)のごとく、ジャンプして跳んでいった。

 壁の前までくると暑かったからエアコンのリモコンを操作してクーラーをつけた。

 学校指定の鞄を机の横に置いて、机の上のものを片付けていく。

 俺が思うにきっとこいつは古代人の重要ななにかに違いない。

 もし本当に古代人の秘宝だったら、なにを願おうかな。

 今、俺が欲しいものといったら――。

 なにかないかと周りを見回してみると片付けられていない小説や漫画が目に入る。

 この辺の片付けてないものを片付けてくれるメイドさんとかいたらいいな。

 でも、仮にこれが古代人の秘宝だとして、どうやったら使うことができるんだ?

 この古代文字を読み上げてみるとかか?

 歴史の授業で古代文字の勉強をしたことがある。なんといっても、古代文字は古代人が作り上げた文字で現在の俺たちの言語の基礎になっているからだ。

 あまり勉強には興味のない俺だが、どういったわけかこういった古代文字については興味があった。おそらく、考古学者のじいちゃんの血がなせるものなのかそれとも前世からの因縁でもあるのか。

 この古代文字を俺は今までの人生で見たことがない。

 だけど、不思議と読むことができた。

 まるで、これが運命とでもいうかのように呟いた。


『ル・クシェンテ』。

 

 唱えてみても、とくに何も起こらない。

 まあ、そうだよな。願いが叶う理想の世界になる代物なんてあるわけないよな。

 そう諦めかけていた時だった。

 黄金の球がいきなり宙に浮きあがって、表面が卵の殻のごとく割れて外れる。

 中から光り輝く水晶のような玉が出てきた。

 えぇっ!? なにがどうなってんだよと思っている間にも周りの風景が変わっていく。

 まるで世界そのものが回転しているかのような感覚にとらわれ、浮かび上がった玉が光を放つ。視界は一瞬で真っ白に染まっていく。

 まぶしっ、なんだよこれっ! 本当にコレが古代人の秘宝なのかよッ!?

 驚くやいなや、急に視界がぼんやりと開けるようになってきた。

 ……今のはいったいなんだったんだよ。

 手の平の上には古代語を読み上げる前の黄金の球が置かれてある。

 何一つ、変わった様子なんてない。

 さっきのは白昼夢かなんかか? 冷静に考えるとあんな体験が現実で起きるわけないしな。

 黄金の球を手に取ってみるも中から光り輝く玉が出てきた形跡はない。

 全部、ただの気のせいだったのか?

 なんだかバカバカしくなって、机の上にまた黄金の球を置いた。

 ……暑いし、アイスでも食べよう。白昼夢かなにかだったんだろ。

 そう思って、部屋のドアの方を振り向くとそこには信じられない光景が広がってた。

 ショートボブのメイド服を着た同い年くらいの女の子がこっちを不思議そうに見つめていたからだ。俺より頭一つ分くらい身長が低い小柄な女の子。

 えっ、誰だよ。この娘?

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