拝啓私へ 拝啓貴方へ
WaKana
そんな約束だけ、覚えて居なくなんなよ。ばーか
俺が高校二年生の秋。彼女は消えた。
ある真っ白な病院の一室。長い黒髪を揺らし、終わりを知らない海を見る人影。
彼女はもう、俺の知る貴女じゃない。
きっと俺のことも、自分のことも、二人の思い出も、もう何もかも。その青に溶けて消えてしま
った。
なぁ、俺は、どうしたらいい?
どうしたらよかった?
貴女は、何を望んでいた?
「なんで、、、」
握りしめた手に、痛みを覚える。
どうして俺は、何も知らないんだよ。
どうして、知ろうとしなかったんだよ。
このどうしようもない無力感を、後悔と呼ぶのだろうか。
「はぁ、はぁっ」
晴れた土曜日の十一時半。
冷たく乾いた風が、俺の汗を冷やす。
季節には似合わぬTシャツで、ただ走って、走って、走って。数刻前に鳴ったスマホを握りしめて。
そこから聞こえた声は、彼女の遠い親戚からだった。
まるで今の今まで泣いていたような声で、そんな声で、言わないでくれよ。
「なぁ、頼むから」
少し震える声を隠すように、スマホを握りし
める。
視界を滲ませる涙を隠すように、歯を食いし
ばる。
もつれる足が鬱陶しくて、視界を隠す前髪が邪魔くさくて、走っているこの時間に苛立って。
一秒時間が経つたびに、一歩足を踏み出すたびに増えてゆくこの不安を、どうしたらいい?
会って貴女が名前を呼んでくれれば、いつもの笑顔で笑ってくれれば。
きっと何かの勘違いだったならば。
そんな希望は、夢は、願望は、まだ願ってもいいのだろうか。
自動ドアが開くのを待つことさえできなくて、俺は重いガラスの扉を押し開ける。
「あ!ちょっと、面談ですか?!」
その声が誰に向けられていたのか考える余裕もなくて、俺はただ貴女の名前を探す。上がる息なんて気にせずに。
周りを見渡して、走って、二階に続く階段を駆け上がって。
見つけられない鬱陶しさに、縋るようにまたスマホを持つ手に力を籠める。
もう諦めて三階へ上がろうとしたとき、見覚えのある貴女の名前が、目に留まった。
“川野”
俺はその扉に手を伸ばした。
勢いよく開けた扉の先には、海を見つめる、貴女の後ろ姿。
彼女は驚いたようにこちらを振りかえる。
「あ、葵、、、」
「こ、こんにちは。“初めまして”、なのかな」
「、、、っ」
あぁ、、本当に、、、。
俺は、支える何かが欲しくて、後ろのドアにもたれかかる。
それでももう、足に力なんて入らなくて。俯いたまま座り込む。
「あ、あの?大丈夫ですか」
困惑したように言葉をかける彼女の声が、頭に響いた。
あぁ、何も考えられない。聞きたくない。
消えてしまった貴女を、知らない君を見たくは
ない。
自分の荒い息が、思考の邪魔をする。
「、、、あぁ、大丈夫。初めまして。亮と言います。」
ゆっくりと立ち上がって、俺は声を発した。
どこを見ているかもわからない瞳で。感情を押し殺して。
「すみません。なんだか私、あまり覚えていないみたいで。ここがどこかも、わからないんですよね。」
あぁ、君の得意なその笑顔。
初めて貴女を見た時も、そんな笑顔だったよな。
心を開いていない、作られた笑顔。
なんだか今までが全部、全部、消えてしまったみたいだ。
「私の名前は“清水”葵。よろしくお願いします」
俺の、動きが止まった。
なぁ、どうして。どうしてそんなことは覚えてるんだよ。
俺の視界がまた滲んで、嫌でも貴女を見てし
まう。
気付けば俺の前にもう彼女はいなくて。貴女の病室前の廊下で、泣いていた。
彼女の親戚がどうして真っ先に俺を呼んだのか理解できた。
「将来は、葵と結婚する」
そんな約束だけ、覚えていなくなんなよ。
「ばーか」
こぼれた涙は一滴、スマホに落ちる。その画面が映し出したのは、俺と貴女のツーショットだった。
―――――――――――――――――――――――
川野 葵 17歳
2024年 10月30日 午前5時42分
――区――丁 自宅付近の廃ビルから投身
自殺未遂
容態 記憶喪失
―――――――――――――――――――――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます