第九話 暗殺ギルドと奴隷商人

 すっかり陽が落ちた。片付けを終え、寝かしつけも済んで、レカは窓の外を見る。今日は救貧院に泊まりだ。もう大時計塔の影が街を覆ってしまっている。だがこの礼拝堂は、その影とも違う、柔らかな暗がりに包まれている。リリアが貴重な蝋燭に火をつける。ここでは魔光灯の恩恵には与れない。違法に魔導線を引っ張ろうにも、街の外れのここまではとても無理だった。

「リリア」

「はい?」

 ほとんど光のない礼拝堂。レカがテーブルに置いたランプが、二人の娘の影を、壁にゆったりと踊らせていた。レカは久々に休暇らしい休暇を満喫でき、満足して座っている。暗殺者の皮の戦闘服も緩め、グローブも外して胸元も開けている。

「明日な、また、ミーチャのパン屋から差し入れ持ってくるよ。今日のお返しってことで」

「嬉しい! みんなきっと喜びます!」

 そして手を叩いて喜ぶ。その純粋な笑顔に、レカも釣られて笑う。二人の笑い声が、礼拝堂に心地よく響いた。

 だが、ふっとリリアの笑顔が消えた。そして窓際へ歩み寄った。暗闇しか見えないそれの、古びたガラスに、指でそっと触れる。冷たい感触がリリアの指先にピンと刺激を与え、白い指が丸まり、ぎゅっと拳になった。

「ねえ、レカさん。この街、好き?」

「は?」

 唐突な質問に、レカは思わず目を丸くする。久々の甘いもので少しぼーっとしたせいか、あまり考えずに答えた。

「んー、すまん、考えたこともねえ。この街から出たこともねえし」

 リリアは窓の外を見つめながら、静かに続けた。

「私ね、前までは大嫌いだった。でもこの前、父やアルエイシス家の当主様と一緒に、この街の外へ馬車で出る機会があったの」

「へえ、ロドヴィコのおっさんと?」

 レカは面白そうに笑った。

「テル坊の親父さんか。最近会ってねえな。あの高慢ちき、息子が絵ばっかり描いてるって嘆いてたけど……」

 リリアは静かな口調で続けた。

「あの方は、テルさんにも貴族の責任を理解して欲しいのよ」

 そして重苦しい口調になる。

「この街の外はもっと酷かった」

 リリアの声が震えを帯びていく。

「同じ人間なのに、獣人の人やエルフの人が、亜人種だって言って傭兵に殺されてた」

「へへ、外の世界ってのは結構シビアなのさ……」

 レカはそこまで言いかけて、リリアの真剣な横顔に気づいた。思ったよりもずっと深刻に考えているらしい。レカは少し反省し、

「そうさなあ……」

 と言った。しかしその次の言葉は出てこない。テルであれば、自分の考えをすらすら述べることができるのだろう。レカには自分の考えというものがなかった。少なくともレカ自身で自身をそう思っていた。リリアは窓の外の暗闇を見つめながら、さらにこう言った。

「だから私、少しはこの街を好きになれるように頑張ろうって思ったの。ここでは少なくとも、死ななくて済むと思って」

 石造りの床に、ランプが作る長椅子の影が長く伸びる。

「だって、悲しいじゃない。差別されてひどくいじめられるだけじゃなくて、殺されるなんて。それだけは止めたいの」

 レカは黙って、リリアの横顔を見つめていた。その姿は聖女のように見えた。

「だから、この救貧院だけは平和な場所にしたいの。ここは自分で作った場所だから。家の支援こそあれ、ここがまだしも子供達が笑っていられるのは、自分の力で作ったことだから」

 リリアは窓の外を見つめながら、静かに続けた。それはレカには、暗闇を見続ける覚悟そのものに見えた。レカの胸に、今までに感じたことがないくらい温かな感触が弾けた。なみだになって溢れそうなくらい……。

(この人のためなら……いくらでも汚いことをやれるって気がしたぜ)

 その時、レカの耳、いや、もしかすると肌感覚と言った方が正確かもしれない。気配、空気の流れ、微妙な雰囲気の変化。そんなものを、レカは暗殺者のセンスで嗅ぎ取った。リリアは全く気づいていないようだったが……。

 果たして、玄関から物音が響いた。レカはさっと礼拝堂のドアとリリアの間、その間の物陰に身を隠した。じっと見ていたとしても追えないほどの、影が溶けていくかのような動き……。観音開きのドアがダン! と開けられた。蝋燭の柔らかな光が、吹き込む風に揺らめく。

 玄関から現れた男は、巡回の商人にしては明らかに高価すぎる服装だった。深い紫の外套には金の刺繍が施され、襟元には魔導結晶のカフスが輝いている。その腕には法の権威を示す魔法科学ギルドの紋章が刻まれた腕章。しかし、その目は蛇のように冷たく、商売道具の笑みさえ浮かべていない。男の後ろには、ぼろを着た無法者たちが控えていた。彼らの腰には、喧嘩剣(カッツバルゲル)が不似合いに下がっている。おそらく、街の裏で雇われた傭兵だろう。その手には、かすかに魔力の光を放つ令状が握られていた。月明かりに照らされた紙面には、魔法科学ギルドの公印が確かに押されている。

「誰ですか!?」

 リリアが強い口調で言った。男たちはすまし顔で黙殺する。

「これは法に則った査察だ」

 高価な服装の男は薄い唇を歪めて言った。

「お嬢さん、私どもにご協力いただけるとありがたい。この施設で保護されている『特定の商品』についてな」

 その言葉に、リリアのスカートが揺れる。思わず後退りしたのだ。しかし、その声は凛として揺るがなかった。

「ここは暗殺ギルドの管轄です。私はギルドの長、タティオン・ヴィルヴィトゥールの娘、リリアです! あなた方は父上の許可を......」

 物陰からその様子を見つめるレカの赤い瞳に、殺気が宿る。暗殺者の直感が、この男たちがなんらかの嘘をついていることを告げていた。そもそも、正規の魔法科学ギルドなら、絶対に傭兵を伴うことはない。レカの指に力がこもり、ついで脱力した。いつでもトップスピードで動けるように。しかし……。

(リリアの目の前での殺生は避けてえな……)

 レカはリリアにとって、非正規のギルドの協力者に過ぎないのだ。

「法はもはや貴殿らの手中にはない」

 男が令状を広げて言った。その声には焦りはないが、急かすような雰囲気がある。

「我々は正規の奴隷商人であり、この令状は魔法科学ギルドの承認済み。そしてあなた方暗殺ギルドはこの街の路地で採集される『商品』を不当に独占している。さあ、引き渡してもらおうか」

「ふざけないでください!」

 リリアの怒声。あまりにも珍しいものだが、その厳かで強靭な意志を感じさせる響きは、流石、暗殺ギルドの娘といったところ。しかし、奴隷商人を名乗る者たちは、ここにはなんの力もない小娘しかいないとたかを括っているのだろう。強気に出てくる。

「奴隷の採集と売買はこの街で法的に保護された商取引である! 暗殺ギルドの人間だろうと、これを邪魔すれば問題になるぞ!」

 レカは逡巡した。かなり怪しいが、レカには論理的にそれを指摘できる法律の知識はない。何か裏で陰謀が動いているとすれば、単に力で解決するわけにもいかなかった。

(どうする……?)

 レカが奥歯を噛み締めて苦悩するが、それは長く続かずに済んだ。レカは背筋に冷たい感覚を得た。まるでボス・タティオンが本気になった時のような。いや、それよりかはまだ小粒というか……。

「これはこれは。魔法科学ギルドの貴族様の許可状ですか」

 月光のように静かで、しかし確固たる存在感が部屋に満ちる。

(スタヴロ!?)

 礼拝堂の暗がりから姿を現したのは、2m近い大男。そのスキンヘッドは見間違えようもない。暗殺ギルドの跡取り、スタヴロ・ヴォルヴィトゥールその人だった。

「法の代理人殿」

 その声は、氷のように冷たかった。奴隷商人は返事をすることもできない。

「その令状、本物かな?」

「だ、誰だ!?」

 傭兵の一人が叫んだ。

 突然の大男の登場に、奴隷商人は狼狽えたままだ。完全に想定外らしい。他の一人が指差して叫ぶ。

「あっ! だ、旦那! こいつ、暗殺ギルドのナンバーツーの、タティオンの息子です!」

 奴隷商人はニヤッと笑った。状況さえ把握できれば、ここから巻き返せると思っているのだ。

「ほ、ほう? 妹の危機に暗殺ギルドのナンバーツーが自ら参上とは。てっきり護衛は部下に任せているかと」

 スタヴロは腕を組んで言った。氷のように冷静に。

「ところでその書状、手続き状の不備はないでしょうな? もし少しでも不備があれば……。あなたは危険な賭けをしていることを自覚すべきだ。例えばここでなんらかのトラブルが起こり、後ろにいる傭兵の誰かがここで保護されたとしよう。そして、魔法科学ギルドの令状を見せる何者かに雇われて暗殺ギルドの施設を襲ったということになれば……三つのギルドを怒らせる可能性が出てくるわけだが……」

 奴隷商人の顔が強張る。その額に汗が浮かぶ。本物の力の前で、虚勢は砕け散る。背後で、傭兵たちがざわつき始めた。

「それに」

 スタヴロは月明かりに照らされた暗殺ギルドの紋章を見上げる。

「妹が目をかけている孤児が巻き込まれたとなれば......私も個人的に黙ってはいられなくなる」

 一瞬の沈黙。奴隷商人は、早々に退散を決意したようだ。

 「こ、これは失礼を......」

 慌てて引き下がる商人たち。リリアは安堵の息を漏らしかける。だがその時、誰かが月明かりに照らされた令状を拾い上げようとした。光る紙面。確かに魔法科学ギルドの公印が......。

 シュッ。

 光った刃物が、紙を貫いて床に突き刺さった。投げたのはレカだ。令状は床に釘付けにされ、引き裂かれた。

「ヒッ」

 奴隷商人は、もはや振り返る勇気もなく逃げ去った。礼拝堂に、再び静寂が戻る。

「兄さん!」

 リリアの声が礼拝堂の緊張を解いた。スカートが月明かりに揺れ、彼女はスタヴロに駆け寄って抱きついた。その仕草には、暗殺ギルドの令嬢としての威厳など微塵もない。ただの妹が、慕う兄への愛情を素直に表現しているだけだった。

「リリアよ、大変だったな」

 スタヴロは妹の頭を優しく撫でながら、礼拝堂の隅々まで目を配る。影の中から、黒装束の部下たちが次々と姿を現した。

「周囲の警戒を厳重に」

 スタヴロはそう指示を飛ばす。

「へえ、妹の危機に暗殺ギルドのナンバーツーが自ら参上とは。てっきり護衛は部下に任せているかと」

 レカは物陰から姿を現しながら、からかうような口調で言った。

「黙れ」

スタヴロの声が低く響く。

「レカ、屋上まで来い」


 月明かりに照らされた古い教会の屋上。レカとスタヴロの影が、瓦の上に長く伸びる。

「お前の部下、気配が丸出しだぜ? テル坊ですら気づいてたかもな」

 レカはそう言ってからかったが、スタヴロは動じない。

「あまり感情的になるな。お前こそ殺気がダダ漏れだ。ハッタリで退がってくれたが、彼らの行動が本当に法の範囲外かどうか、まだ確認が取れていない。お前がナイフを投げたおかげで礼状を回収できた。そこは評価する。しかしあれが万が一にも本当なら、かなり厄介な事案だ。リスクは犯せない」

「っへ、あんなの明らかに大ウソだろ」

 レカは相変わらずの強がりを見せる。しかしスタヴロは動じない。

「レカ」

 太い声が低く響く。

「お前は休暇中のはずだ。こんな案件、お前が噛む必要はない。エルフの連続怪死の件も、首を突っ込むな。冒険者ギルドの領分だろう」

 レカはニヤニヤして譲らない。

「へっ、お前の部下、毎日毎日リリアの護衛ご苦労さんだぜ。それにしても気配丸出しだぜ? テル坊ですら気づいてるかもな」

 レカの挑発的な言葉に、スタヴロは応えない。代わりに、彼女の手に目を向けた。

「へつ、仕事中は挑発にも乗りやがらねぇ。退屈だぜ。もう少しユーモアを……。

「その手、怪我か? おそらく炎症を起こしつつある」

「へ?」

 レカは思わず右手を隠すように体を丸くした。

「な、なんでわかんだよ……」

 うろたえるレカに、スタヴロが手を伸ばしてもう一度、今度は強い口調で言う。

「手をよこせ。戦闘用グローブを取ってな。小指の角度に違和感があった。痛みがあるのだろう? それで今後の仕事に支障が出ても困る」

 レカが言われた通りにすると、スタヴロは小瓶を出し、中身をレカの手へと振りかけた。

「この噛み痕、獣人によるモノだな」

「ああ、昼間にちょっとな」

「フン、ヘマをしたな。無用に首を突っ込んで、殺し以外の手段で解決しようとしたが。暗殺者としてあるまじきことだ」

「でもあーしは……。ッチ、そんなんじゃねえよ……」

 レカはひどくバツが悪かった。治癒の薬はもはや滅びた治癒魔法に由来する、限りある資源である。高度な薬は、瓶一つだけで屋敷が建つほどの値段で取引される。そういうものを、普段馬鹿にしている相手に使ってもらうなんて、どう反応したらいいかわからなかった。レカは手袋をはめた。礼の言葉をどう皮肉っぽく言ったものか考えて、少しだけ気が逸れた。スタヴロはそれを見逃さなかった。

 彼の工場のパイプのように太い腕がレカの手を掴む。そしてそれを起点に、レカは一回転して石造りの屋根に叩きつけられた。痛みはまったくなかった。腕の傷は治癒していたし、生まれながらの赤い瞳の魔力で強化された身体は、石の床に打ち付けられても、打撲傷すら受けなかった。

「オイ、なにしやがるこのハゲ」

「油断したな?」

 スタヴロが冷たい声で言った。

「お前は父上からの愛に依存しすぎている」

 レカが弾けるバネのように飛び起きる。赤い瞳が鋭く光る。

「急に何言いやがる!?藪から棒によお!?」

 次代のボスたるスタヴロは怯まない。

「優しくされて油断し、父上のことを言われると冷静さを失う。父上も技術は教えられても、精神性は伝えられなかったか」

 レカは歯ぎしりした。言葉は続く。

「お前、父上にリリアの万分の一でも愛されてると思ったら大間違いだぞ?」

 その言葉は的確にレカを揺さぶる。

「てめぇ……! もう一度言ってみろ!」

 スタヴロは冷静なままだ。

「レカ。父上亡きあとはどうする?ギルドで今の微妙な地位を維持できるとでも?」

 レカの体から力が抜ける。スタヴロがため息を吐く。

「お前の弱点はメンタル。お前は父上の最高傑作であり失敗作。暗殺者に不向き」

 レカはいままでの人生で一度も感じたことがないくらいに強い怒りを感じた。顔から一瞬で血の気が失せたが、かえって冷静だった。怒りはむしろ体から行動する意思を奪い、硬直させた。

「レカ。幸せを考えるなら、あの貴族のガキと暮らせ。牧場とかがいいんじゃないか? 二人で、権力の中枢から離れて静かに平穏に暮らすがいい……」

「勝手な……ことを……」

 レカの言葉には力がなかった。スタヴロは少し声色を和らげる。

「レカ、本当はわかっているのだろう? あのガキになにかを成し遂げる可能性などないと。あの非力なくせに無駄な慈善活動にばかり精を出し、街を変革する才能もなく、絵を描くのだけ無駄に上手い、およそ政治家の跡取りとして不適当な……」

 強い目線を向けていたレカの目が、明後日の方向に向いた。

「そうだ。そうなのだ。お前は我がギルドにとって、便利な暗殺短剣(スティレット)でしかない。お前は父上にそう育てられた。政務を担当する俺とは違い、本当にただそれだけの育て方をされたんだ。だが、人はただの道具にはなりきれないものだ。自我を捨てることはできない。誰の持ち物になるか、自分で決めるべきだ。

兄としてお前にくれてやることができる愛情は、その選択肢だけだ。リリアへの愛情の万分の一ではあるがな……」

「レカ」

その声は、今までにない重みを帯びていた。

「お前は我がギルドの暗殺短剣(スティレット)でしかない。父上はそう育てた。それは間違いない」

 レカの体が強張る。タティオンの名が出るたび、彼女の心は掻き乱された。

「だが、人はただの道具にはなりきれない。そもそも完璧な道具など存在しない」

スタヴロは窓の外を見る。

「もしかしたら、それが父上の本当の望みかもしれんな」

 その言葉がレカの胸を刺す。リリアは、彼女にとって大切な妹のような存在。だが同時に、最も嫉妬する相手でもあった。暗殺者の血にまみれた手では決して触れることのできない、純白の百合のような少女。

(なあ、ボス……。なんでこうも、違うんだろうな)

 スタヴロはリリアを実の妹として慈しみ、タティオンは実の娘として愛している。それは確かな血の繋がりに裏打ちされた、揺るぎない愛情。一方のレカは、エルフの血を引く隠し子。ギルドに拾われた暗殺者の道具。

「あーしはよ……」

 レカの声が掠れる。

「本当の、家族には……なれねえんだな」

 夜風が強く吹き、レカの金髪が顔を覆う。それは涙を隠すためには都合が良かった。レカの赤い瞳が月を見上げる。その光は、まるで嘲笑うように冷たい。

「余計なことを」

レカは強がりの笑みを浮かべる。

「リリアは、立派なギルドの令嬢様。あーしみてえな殺しの道具とは、格が違うってことさ」

 その自虐的な言葉の裏には、決して手に入れることのできない純粋な愛情への渇望が隠されていた。家族として愛されること、暗殺者以外の存在として認められること。それは、レカにとって最も遠い夢だった。

(あーし、なんかな……)

レカは心の中で呟く。

(本当の家族ってやつに、憧れすぎちまったのかもな)


 救貧院は暗殺ギルドの支援を受けているとはいえ、古い教会の大部分は廃墟のままだ。いつも使う礼拝堂などは補強工事が済んでいるが、大部分は風が吹き込む有様。そんな崩れかけた建物の中で、タンザがキナに読み書きを教えている。満ち溢れる日差しを遮るように、ぼろ布が窓に掛けられていた。埃の舞う床の上で、二人は毛布の中で、昼間拾った魔光灯のライトを使い、何やらしていた。

「ほら、こうやって『パン』って書くんだ」

 タンザが敷き布の上に、指で文字を書いてみせる。キナは真剣な表情で、その動きを目で追った。

「難しい……でも、頑張る!お兄ちゃんみたいになりたいもん」

 そう言って、キナは自分の指でなぞってみる。支離滅裂な線に、タンザは思わず吹き出しそうになる。けれども、彼は優しく微笑むことで、それを堪える。タンザの手には、レカから借りた教科書。ボロボロの表紙からは、幾度も読まれた形跡が伺える。キナの純粋な瞳に映る「兄」の姿に、彼は救いを見出していた。

 外から物音がした。

「吸血鬼だ!」

 二人はそう小声で言い合い、毛布の中で身を潜める。キナの小さな体が震える。砂埃を被った銀髪に、恐怖の色が滲む。タンザは、キナの頭に手を置いた。

「大丈夫。俺が守るから」

 その声は震えていたが、彼の瞳は揺るがない。

「約束する」

 その声は小さいが、揺るぎない決意に満ちていた。

「必ず守るから」

 月が昇り、街は闇に沈んでいく。しかし今宵、暗殺者の赤い瞳と、聖女のような少女の姿が、確かにその闇を照らしていた。

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