第7話

 なんとか我を取り戻した私の胸中を襲ったのは、激しい自己嫌悪と後悔の念だった。

 甘かった。どうしようもなく。チセ・クレアシオンが私の知っているヒロインかはどうかわからない、なんて言っていた癖に、無意識のうちに思い込んでいた。

 彼女はきっと心優しい少女で、人の死を厭う人物に違いないと――国が滅ぶと知ったら、きっとそれを止めるために協力してくれるに違いないと。

 しかし実際の彼女は、はっきり言ったのだ。“しょうがないんじゃない”――なんて。


 沢山の人が死んで沢山の人が不幸になる未来を、あの子は、それがシナリオ通りなんだからしょうがないと言ったのだ!


「そんなの、そんなのってない……!」


 私はドレスの胸元を握りしめて俯いた。チセという少女を誤解して、希望的観測に縋って行動を決めた。その私の過ちのせいで、怪我をしたのはジークだ。私じゃない。それが苦しくて辛くて、仕方がなかった。

 しかも、それだけでは済まない。この件をきっかけに、チセに気付かれてしまった。私というイレギュラーがいて、ジークに命を下したこと。運命を変えるために動いているということを。

 気付かれてしまったということは、少なからず警戒されることを意味する。そうすればいままでよりずっと動きにくくなるし、直接妨害だってされかねない。相手はヒロインで私は脇役だ。本気で敵対されたら勝ち目なんてない。

 失敗した。失敗した。失敗した――軽率に行動するべきじゃないとわかっていた筈なのに、わかっていたつもりになっていただけだったなんて!


「どう、しよう」


 呟いた声は、我ながら酷く情け無く震えていた。後悔から抜け出せず、無力感が体を支配する。先程まで考えていた“次の一手”すら、その全てが裏目に出るように思えて仕方がない。私は床に座り込んだまま、蹲りそうになって――

 その手を包んだ温かな感触に、意識を掬い上げられた。


「お嬢様」

「あ、……」


 優しい、優しい声だった。

いつの間にか戻ってきていたジークが、私の手を握ってくれていたのだ。彼の両手に、いつも身につけている白手袋はない――手当てする際に外して、そのままだったのだろう。怪我をした彼の右腕には、雑に止血が施されている。


 普段のジークは、素手で私に触れたがらない。侍従としての立場がそうさせるのか、理由まで踏み込んで訊いたことはないけれど。ふたりきりのときの一人称を『私』から『おれ』に変えた後も、態度が少しずつ気安いものになっていった後もそれだけは変わらなかったから、きっと彼にとって譲れない部分なのだろうと、なんとなく思っていた。

 けれど今、彼は素手で私の手を握っている。いつの間に冷え切っていたこの手に体温を移すように、しっかりと。

 そのことを理解した途端、不思議と呼吸が楽になって。私はゆっくり息を吐いた――吸って、吐いて、全身に酸素を巡らせる。


 そうして私が少し冷静になったのを確認してから、ジークは静かに手を離す。


「大丈夫、ですか?」

「……うん」


 嘘だ。全然大丈夫なんかではない。けれどそうして意地を張っていないとまた泣き言を口にしてしまいそうで、――少しでも彼の主人として相応しい自分でいるために、私はきゅっと唇を噛み締める。

 勝算が低いことなんてはじめからわかっていたことだ。それでも、ひとりでも多く救いたいと思った。その気持ちは本物だ。

 だったら、やるしかない。こんなことで、いちいち落ち込んでいる場合じゃないのだ。


「ジーク」

「はい」


 ごめんね。

そう言おうとして、踏み止まる。それが彼に対する侮辱だと、私は知っていた。

 だから代わりに、こう伝える。


「ありがとう」

「……礼には及びませんよ、お嬢様」


 よし、と覚悟を新たに立ち上がった私は、ひとまずジークの手を引いてソファへと向かった。きょとんとしている彼の肩を押して座らせて、私も隣に腰掛ける。そして彼の右腕を優しく掴んで、端から丁寧に包帯を解いていった。


「えぇと、あの、お嬢様?」

「貴方ね。自分で手当てするって言ったのだから、もう少し丁寧にしなさい。血さえ止まってれば良いってものじゃないんだから」

「いえ、でしたら自分で」

「いいから、じっとして」


 “クラウディア”は幼い貴族の女の子だから他人の手当てなんてしたことはないけれど、前世の私には経験がある。字は下手でも、包帯くらいきちんと巻き直せる筈だ。これならあんまり指先の器用さとか関係ないし。

 慌てるジークを無視して、私は黙々と彼の手当てを続けた。よれたり歪んだりしている箇所を直して、綺麗に固定し直していく。その最中に、覚束ない治癒魔法を施しながら。傷の治りが早くなるような効果があるかはともかく、気休めくらいにはなるだろう。


 私の迂闊さで怪我をした彼のために、せめてこれくらいはしたかった。そんな私の心情を察してくれたのか、最初はやんわりと制止し続けていた彼も、やがて黙って手元を見つめるだけになって。

 互いに無言のまま、時間は過ぎていった。

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