できそこないの悪役令嬢と大嘘つきの本
シャチ とんび
第1話(1)
十六歳の時、私は突然未来を思い出した。未来というか、正しくは前世の記憶を思い出した。
ここが前世で読んだことのある小説の世界なこと。私がその物語の中の、いわゆる悪役令嬢に転生していること。
そしてまる一年後の十七歳で婚約相手である王子のアルベール様に婚約破棄を告げられ、元々没落しかけていた一家共々国外へ追放され無様に死ぬこと。
けれど唯一救いだったのは、その小説がいわゆる"悪役令嬢転生モノ"だったということだ。つまり私の頑張り次第で死亡フラグが回避できるはず。
高熱を出して丸三日、私は今までの高飛車で意地悪な性格を改め、どうにか追放エンドを回避すべく死力を尽くすのだった──
──なんて、急にできるはずもなくない?
「……む、無理に……決まってるじゃないの……」
私ことエメ・レノーヴルは、ベッドの上で頭を抱え込んでいた。最悪だ。絶望だ。この世の終わりだ。
ああそうだ、たしかに前世を思い出した。そして未来だって思い出した。
けれどそれがどうしたというの。私は意地悪でキツくて、使用人によく当たるしお父様とお母様にはしょっちゅうわがままを言っている。小さい頃から甘やかされた結果、機嫌のコントロールが全然効かないまま育ってしまったお嬢様だ。前世の人格が入った分そう冷静に分析くらいはできた。
けれどそこまでだ。性格なんて、ちょっと前世が混じったからって急に百八十度も変われるわけがない。むしろ前世も今世に似たり寄ったりの性格だった。
それになにより。
「死亡エンド回避って言ったって、一体どうすれば良いのよ……」
これだ。
転生した影響なのか、肝心の"悪役令嬢がどうやって追放ルートを回避しようとしたのか"の部分が全く思い出せない。
もしかして転生して性格が変わって、王子に好かれるようになる系だった?
……そもそも性格すら変わってないし、王子から相当嫌われている今からどう好感度を取り戻せというのだろう。ヒロインはもう王子と知り合っているし、なんなら恋に落ちてしまっている可能性すらある。
それじゃあ今からでも実家の没落を防いで、婚約破棄されたとしても国外追放されない程度にレノーヴル家を強くする系?
……そんなのもっと難しい。私の両親は私に負けず劣らず少しばかり見栄っ張りで、家計はどんどん狂っていっている。今や我がレノーヴル家は、私が王子と婚約をしているおかげでなんとか没落を免れている状態なのである。
残念ながら、私の前世はどこかの国の政治家でもなければ特別頭が良いわけでもない。レノーヴル家を強くする方法どころか没落を回避する方法すらわからない。
贅沢をするなってお父様とお母様に言う? 険悪になりつつある使用人と仲良くなって、協力して家計をなんとかしてみせる? それ本当に私にできる? 仮にできたとして上手くいく?
「無理でしょ」
完。終わり。次回作にご期待下さい。
そんな字幕が頭をよぎって今度はベッドの上でのけぞった。勝手に終わらせてんじゃないわよ。人生に次回作なんてないわよ。
いや、私が転生してるのだからもしかしてあるのかしら?
「……でも、小説ではみんな上手くやってたわ」
無駄に豪華な天井を見上げてぽつりと呟く。
前世で読んでいた小説では、同じような境遇の悪役令嬢たちはみんな上手くやっていた。
「……そうよ、きっとなんとかなるわ。ええ、そう、なんとかなるはずよ。だって小説ではみんな上手くいっていたもの。そうに決まってるわ!」
平凡な一般人の転生者達だって、最後はみんなハッピーエンドを迎えていた。ちょっとした苦労はあるかもしれないけれど、結局なんとかなっていた。
私だって死に物狂いで何かすればきっとそうなるに違いない。なるわよね?
……本当に?
本で見た主人公達は、平凡と言いながらみんな立派だった。努力ができた。才能があった。底抜けの優しさを持っていた。人としてしっかりとしていて、何をすれば良いのかちゃんとわかっていた。
じゃあ私は?
「……ッ」
ぞわりとした恐怖はすぐに癇癪へと変わった。
カッとなって衝動的に枕を殴る。
「冗談じゃないわ、なんで悪役令嬢に転生なんてしたのよ! なんで、なんで、なんでよお!」
力一杯クッションを掴み、ベッドの上に叩きつける。ビリッとカバーの破れる音が聞こえてきたけど、ふつふつと湧き出る怒りは止まらない。
バン! といっそう大きな音を出したところで、ついに中身が飛び出てくる。勢いよく羽が宙に舞ったところでようやくハッとした。
無惨な姿になったクッションの上に、ひらひらと羽が積もっていく。ああ、またやってしまった。
すぐに癇癪を起こすのは私の良くない癖だった。そうわかっているのに止められない。だってこんなに甘やかされた環境で育って、どうやったら治るっていうのよ。
静まり返った部屋に、私の上がった息の音だけが響いている。それがおさまっていくのにつられて、今度は急に泣きそうな気持ちになった。
俯くと長くて綺麗な髪が視界を覆う。小さな頃から他人に手入れされた、癖ひとつない綺麗な髪。
「……大丈夫、きっと誰かが助けてくれるわ。小説ではいつもそうだったじゃない」
自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
そうよ。今まで読んできた小説では、必ず誰かが悪役令嬢を助けていた。辺境の伯爵だとか、王国直属の騎士だとか、はたまた隣国の王子様だとか。
この際肩書きなんてどうでも良いわ。とにかくすごい力を持って、一瞬で私を救ってくれるような都合のいい存在。私にだって、そんな誰かがすぐにやって来るはず。
きっとそうよ、ほら、今にもどこからか助けが──……
「お~、大丈夫かこの嬢ちゃん」
「……は?」
聞き間違いかと思った。それか、いつのまにか使用人が入ってきたのかと思った。はたまた三日間熱に浮かされていたので、幻聴でも聞こえたのかもしれない。
だって咄嗟に振り返ったところにちょうど本が浮いていたりだとか、そいつが喋るなんてありえないのだから。
きっと記憶を取り戻したばかりでまだ動揺しているんだわ。こめかみのあたりをぐりぐりと押す。
けれど声はもう一度、はっきりと私の耳に届いた。
「お? もしかして聞こえてねえのか? おーい?」
「……」
目の前で表紙がパタパタと動いた。
やっぱり喋ってる。本が。
「イヤ――ーッ! 喋った!!!!!本が!!!!!しゃべっ、ひいっ!」
「なんだ聞こえてるんじゃねえか。って、おいおい本当に大丈夫か」
大丈夫な訳があるか。
恐怖でベッドの端まで後ずさった私は口をぱくぱくとさせて……それからぱくんと口を閉じた。
ああなるほど、きっとこの本がそうなのだ。辺境の伯爵、隣国の王子様……みたいな、とにかく私を助けてくれる人。人かしら、これ。いや今はそんなことどうでも良いわ。
だってこんな現実的じゃない喋る本なんて、どこからどう見ても物語のキーパーソンだもの。彼(と呼んでいいのか彼女と言っていいのかそれとも全く別の呼称なのか検討もつかないが)の言う通りにすれば、おそらく全て上手くいくに違いない。人間ですらないのに一抹の不安はあるけれど。
私はほんの少しだけほっとして、気を取り直して姿勢を正した。
「えへん、……ええと、貴方は?」
「いや本だよ。見りゃわかるだろ、目医者でも行くか?」
「……」
そして口の悪さに思わず絶句した。
「し……失礼ねあなた!? 初対面の私に何よその言い方! そもそもそんな当たり前のこと聞くわけないでしょうが! なんなのよこの馬鹿! 阿保! 馬鹿!」
本のくせに不遜な態度に思わず声を荒げて、それからハッとして咳払いをする。危ない、危ない。
この本は私を救ってくれる本なのよ。キレちゃダメだわ。落ち着きなさい、落ち着くのよ。
ぜえぜえと上がった息を整えながら努めて穏やかな声で口を開く。
「ごほん。……声を荒げてごめんなさい。貴方が本なことはわかってるわ。でも私、今まで喋る本に会ったことなんてなかったの。どうして貴方は喋れるの? 何か特別な本なのかしら?」
「は? 知らねえよ、俺だって気づいたらここにいたんだ。動いて喋れるって気づいたのもな。どっちかってえと初対面のやつに馬鹿馬鹿言う嬢ちゃんの頭の方が特別アレなんじゃねえのか?」
「……ッ! ……ッ!」
落ち着け、落ち着くのよ。
私は自分に言い聞かせた。ぶるぶる震える両手をわきわきさせ、深呼吸をする。大丈夫、人間の怒りは六秒しか持たないわ。だから六秒経つ前に殴ればいいのよ。違う、そうじゃない、そうじゃないったら。
「……そう、貴方にもわからないのね。でもいいわ、それは本題じゃないもの」
ふーっ、と息を大きく吐いて、なんとか両手をぎゅっと握りしめた。
咳払いをして仕切り直す。
「あのね、さっき聞いていたかもしれないけれど……」
「嬢ちゃんは転生者で、最悪の未来を知っていて、どうにかそれを回避したいんだろ?」
被せるようにそう言われて、思わずぱちりと目を瞬かせた。
「え、ええ。そうよ……って、あなた、転生とか知ってるの?」
「知ってるも何も、俺の中身はそういう話だからな。ようく知ってるさ、"悪役令嬢"の嬢ちゃんと同じくらいはな」
なんて好都合な話だろうか。というかそんな本、この世界にあったっけ、と首を捻った。
前世を思い出す前から、友達がいなかった私は暇つぶしによく小説を読んでいた。とはいってもどれもくだらない大衆小説だ。巷で流行っているような、単純明快でご都合主義の、必ず最後はハッピーエンドになるような恋愛小説。
別に好きなわけじゃない。ええ、決して、好きなわけじゃないわ。そうに決まってるでしょう、だってこんないい歳をした貴族令嬢が読むのには相応しくないもの。そんな趣味があると言いふらすなんてもっての他。だから大量にある読み散らかした本はこっそり部屋の奥に隠している。
そういうわけで、大抵の有名どころはもう読んでいたはずなのだけれど……転生ものなんて現代的なファンタジー小説、この世界には存在しなかった気が……。
……まあ、この際細かいことはどうでもいいわ。本も転生とかしたんでしょう、きっと。本が転生するってどんな状態かわからないけれど。
余計な思考を振り払うように頭を振って、不適な笑を作って本に向き直った。
「なら話は簡単ね。ねえ貴方、私に協力をしてくれない? あと一年で私が死んでしまう未来をどうにかして変えたいの。もちろんタダでとは言わないわ、できる限りの報酬は用意するつもりよ」
本に向かって、胸に手を当ててそう告げる。推定チートな味方が目の前に現れたことで、さっきまでの絶望的な気持ちはすっかりどこかへ行ってしまった。
気分はまるでよくある小説の中の悪役令嬢。ここから始まるであろう逆転劇に、なんならワクワクと胸さえ踊り始めた。
「喋って動けるあなたなら、もしかして……いいえ。もしかしなくても、なにかすごい力とかがあるんでしょう!?」
なにせベストタイミングで現れた世にも不思議な喋る本だ。特殊能力の一つや二つ、はたまた三つや四つくらいはあるに違いない。
例えばそう、実は他国の皇子が魔法にかけられて本になっているだけ……とか。いいえ、皇子じゃなかったとしても、没落を防げるような知識を持った人だった……とか。ついでに言えば、誰もが振り向くほど顔が整っていた……とか。
そういう、こう、なにか都合のいいことが!
私が手を広げてそう言うと、しかし本は首を傾げるような様子(首が一体どこなのかはわからないが)で言った。
「いや……んなこと言われても、別に暇だし協力するのはいいけどよ。別に喋れるだけで他はなんの力も持ってねえぞ、俺」
「え?」
予想外の答えに、思わずぽかんと口を開ける。
「……じゃ、じゃあ、もしかして元々は人間だったり……どこかの貴族だったりとかは……?」
「あいにく、こちとら生まれてから今まで本だが」
「……な、なら! 私みたいにどこかの誰かの生まれ変わりだったり……そう、すごく頭の良い人の転生者だったりとか……!」
「嬢ちゃんっつう前例がある以上転生の可能性は否定できねえが、まあ今のところただの本だった記憶しかねえな」
いけしゃあしゃあと述べられた言葉。
「つ……」
「つ?」
「使えないわ……」
「はあ?」
本が怪訝な声を出したのを気にもせず、私はへなへなとベッドの上に崩れ落ちた。
「使えない本だって言ってるの! やっぱりただの古本じゃないの! 何よもう、期待した私が馬鹿だった……」
どん詰まりの物語にただの喋れる本が現れたからって、それが一体なんになるというのだろう。
魔法も使えない、王子様にも変身できない、ただかなり失礼で生意気に話すだけのこの本が。
今度こそ本当にこの世の終わりよ。大きくため息を吐いて頭を抱える。
「おいおい嬢ちゃん、そりゃ失礼にも程がねえか? 誰がなんの役にも立たないって?」
すると、呆れたとでも言いたげな口調で本が私の顔を覗き込んできた。目、ないけど。
「いいか、俺の中身はさっきも言った通り、嬢ちゃんみたいなやつが異世界に転生する話だ。破滅回避のために奮闘する悪役令嬢……エメ・レノーヴルの、な」
エメ・レノーヴルの……って、それ私の名前じゃない。
つまり……。
「……あなたは未来が全部わかってるってこと……?」
「御名答! 俺の中にはぜーんぶ書かれてるんだぜ。嬢ちゃんが一番知りたがってる、破滅ルートを回避する方法も!」
「……」
思わぬ言葉にパチリと瞬きをする。
「ま、でも嬢ちゃんにとって俺は役に立たねえやつみたいだし? 邪魔者はさっさと黙って処分される前にどっか行くとするかなあ……」
ついでに言えばそれを自動で教えてくれる機能付きだったんだがなあと自慢げに胸を張ってから、本はくるりと私に背、いや背表紙を向けた。
あんたの胸一体どこにあるのよ、と若干の苛立ちを覚えつつも、私は思わず「そ……」と口を開いた。
「それを早く言いなさいよ!」
そう叫んでから力強く本の背表紙のところを掴む。「うおっ!?」と本が驚いたような声を上げた。
そんなのもうチートどころじゃないじゃない。だって本の書いてある通りにすれば薔薇色の人生確約なのよ。
「今すぐそれを教えなさい! この通りよ!」
「どの通りだよ! いてててて! 破れる! 破れちまう!」
「お願いは暴力と権力に訴えた方が確実なのよ」
「お前本当に悪役令嬢かよ!?」
どう考えても悪役令嬢でしょうが。本来の意味の。
背表紙をギュッと掴むと、本はジタバタと暴れながら、「わかった、わかった! 逃げねえからとりあえず手ぇ離せ!」と叫んだ。
「まったく、とんでもねえやつに話しかけちまったな……悪役令嬢ってのはもっとこう、性格が良いもんだと思ってたんだが……。嬢ちゃん、転生して記憶が戻ったんだろ? だったら転生前の感覚とか性格とかが上乗せされて改心するんじゃねえのかよ?」
心なしか中のページがヘロヘロとした本に向かって、私はふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
「残念だったわね。こっちは転生前からこの性格よ」
「あーそう……」
「なんなら一応貴族としての教育を受けた記憶のある今の方がマシなくらいよ」
「最悪じゃねえか」
失礼ね、と私は舌打ちをした。性格が最悪だなんて、私自身が一番よく知っている。
でもどうしようもないじゃないの。心の底から良い人なんて、今時それこそ小説の中にしかいないわよ。というか今更だけれど、"悪役"令嬢のはずなのに性格が良いってなんなの。いや、あくまで"役"だからいいのかしら……?
「ともかく! これで勝ったも同然だけど……ま、まずは状況の擦り合わせが必要かしら」
私がどこまでちゃんと覚えているのか、これから一体何をすればいいのか。
ここまでエメとして生きてきた記憶もあるけれど、何か忘れてしまっていることもあるだろうし。だって元の小説のことだって、途中からオチまで何一つ覚えていないくらいなのだから。
ぱん、と手を叩いてベッドサイドのテーブルに紙を広げる。私がペンを手に取ると、本は渋々といった様子で手元を覗き込んできた。
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