月面のメリークリスマス

まさかミケ猫

前編

――地球には「クリスマス」と呼ばれる都市伝説のような怪奇現象があるらしい。


 地球出身のマーニャの話によると、その日は「サンダークロス」とかいうファンキーな名前のヒゲ面の爺さんが現れ、寝ているうちに居住空間に侵入。そして靴下の中にプレゼントをねじ込んで去っていくそうだ。

 しかも子どもは誰一人それに気づかず、翌朝になるとプレゼントを受け取って呑気に小躍りするのだとか。


「なにそれ怖いんだけど。地球人のセキュリティ意識と肝の太さは一体どうなってんの」


 月面宇宙港の職員用休憩室で。

 愕然としている僕に、マーニャはくすくすと笑う。


「まぁ、私は良い子じゃなかったからさ。サンタなんて一度も来たことがないまま大人になったけど」

「うん、良かったじゃん、狙われなくて。その爺さん絶対ろくでもない目的で活動してるよ。こわっ」

「ふふ……イゴールって変な奴だよねぇ。そういえば、火星にはそういう文化ってなかったの?」


 そう言われてもなぁ。うーん、火星はなぁ。

 そもそも火星人のルーツって、地球で居住権を獲得できなくて追い出されるように移り住んだ人類だからね。しかも火星で再起に成功して大金を得た者は、みんな地球に舞い戻っていくから……言い方は悪いけど、現在の火星人は敗者の子孫ってことになる。だから地球人に対して変なコンプレックスを拗らせてる奴がけっこう多くてさ。


「地球の豊かな精神文化、みたいモノは軒並み批判対象だったからなぁ。たぶん火星のご先祖様は、サンダークロスの惑星入植を認めなかったんだろう。そういう文化は全滅だよ」

「へぇ。イゴールの話を聞くと火星人の印象がちょっと変わっちゃうなぁ。自由を愛する開拓者って話を聞いたんだけど……意外とドロドロしてるの?」

「そりゃあね。それが嫌で僕は月に逃げてきたから」


 月面居住区の寒々しさが、僕には心地よかったんだよね。このまま死ぬまで月で働いていたい。


 月面にある宇宙港の周辺は、地球外で最初に整備された人類の居住区画になる。でも火星の開発が進んでからは、大半の人がそっちに移り住んでいったからね……現在も月に残っているのは、よほどの人間嫌いや変人だけだった。

 もちろん、宇宙港として人の出入りは絶え間なくあるし、僕もマーニャもそれで職にありつけてるけど。


「マーニャの話だと、地球人も噂とかなり違うみたいだね。風流を愛する粋な趣味人って聞くけど」

「あはは、ものは言いようだね……地球にはさぁ、風流を気取ってるだけの嫌味な爺さん婆さんとか超多いんだよ。やり方が陰険でえげつないんだ。だから私も月に逃げてきたってわけ」


 地球もそれはそれで生き辛そうだな。まぁ、人間自体がどうしようもないって話に居住惑星は関係ないんだろう。

 そんな風に僕らがいつもの結論に至る頃には、休憩時間も残り僅かになってきた。


 僕の仕事は星間輸送船スペースシップの整備で、マーニャは管制塔のオペレーターをしている。とは言っても、難しいことはだいたいAIがやってくれるから、僕らはマネーコインを稼ぐために、お情けで仕事を貰っているに過ぎなかった。国から日々配布されるマネーコインだけじゃ、必要最低限の生活をするのでギリギリだからね。

 二十代前半という若さでこの寂れた宇宙港の職員をやっている変な奴らは僕たち以外にいない。そんなわけで、なんやかんやと話してるうちに、いつの間にか僕とマーニャは仲良くなっていたのである。


――それにしても、煩わしい人間関係を嫌って月面に来たというのに、結局こうして人との触れ合いを求めてしまうのはなぜなのか。


「そうそうイゴール。今日さ、部屋でクッキーを焼こうと思ってるんだ。食べに来るでしょ?」

「もちろん。あ、クッキーといえば、宇宙港の取引所に新しい紅茶葉が入荷したらしいよ。マーニャは気になるだろ? 火星産の安いやつだけど」

「値段より味でしょ。試飲できるかな」


 そう話しながら、僕らは仕事に戻ろうと立ち上がる。


「マーニャ、左腕忘れてるよ」

「あ、うっかり。ありがと」


 マーニャの左腕は、肩からバッサリと義手になっている。過去の経緯を詳しく聞いたことはないけれど、五年ほど前に何かの事故で失ったらしい。

 義手の整備はきちんとされてるけど、中古らしくてすでにボロボロなんだよなぁ。


「はぁ、そろそろ私の義手も買い替え時なんだけどね……新品は高いけど、中古はボロばっかりで」

「うーん、再生医療……は、もっと高くつくか」

「あれは金持ちの贅沢でしょ。私は義手で十分」


 そう言いながらマーニャは義手をカチャッと取り付けると、ヘルメットを被ってフェイスシールドを下ろす。休憩室の外も気密性は保たれているけれど、どんな事故があるか分からないからね。宇宙港職員はみんな薄手の宇宙服を着て仕事をしているのだ。


――自分の身の安全は、自分で守らないといけない。


 聞くところによると、昔と比べて人の命というのは軽視される傾向があるらしい。

 なにせ人類の平均寿命は五百年ほどに伸びて、金持ちは自分の脳をバックアップできるから、肉体的な死とはほぼ無縁になっている。それに人間工場なんてものまで存在するから、今や人間の命なんて簡単に補充できる大量生産品に成り下がっていた。

 つまり、自分の命は自分で守らないと、誰も大切にしてくれないわけだ。


 フェイスシールドの向こう側で、マーニャはハッと何かを思いついたような顔をする。


『※※※※、※※※※。※※※※?』

『マーニャ。翻訳機、ちゃんと動いてないよ』

『※※※……あー、義手より先に翻訳機を買い替えないと。もうダメだね。またマネーコインが飛ぶなぁ……みんな貯金とかどうしてるんだろ』


 そうやって話をしながら、僕らは休憩室を出る。


 マーニャへのクリスマスプレゼントは、義手じゃなくて翻訳機の方が良いだろうか。僕は機械いじりが得意だから、何かしら手作りのものを渡せたらと思ってるんだけど。

 ちなみに僕はサンダークロスではないから、居住空間に押し入るような真似をするつもりはないし、わざわざ寝ている彼女の靴下にプレゼントをねじ込むような謎行動はしない。普通に渡すつもりだけど……でも少しくらいロマンチックな方が良いかなぁ。うーん。


 準備期間はまだあるから、もう少し悩んでみるか。


   ⚝     ⚝     ⚝


 現在の火星はかなり住みやすい星だ。

 大気組成は地球と変わらないし、環境維持装置は常に最新式だから気候も安定している。公転軌道の外側には小惑星帯があるから、鉱物資源に困ることもない。居住地も計画的に造成されたものだから、単純な暮らしやすさで考えれば地球よりも上だろう。


 それなのに、火星人の心に燻る劣等感は消えない。


『あんたのお母さん、地球人なんだって?』

『うわ。半地球人ってこと?』

『地球人と結婚した裏切り者の息子か』

『どうせ俺らを下に見てんだろ』


 何が原因なのかは分からないが、どこかの段階で必ず僕の出自がバレてしまう。すると、今まで友人付き合いをしていた者がみんな手のひらを返して僕を責め立てるのだ。

 

『はいはい、地球人さま』

『偉そうにすんじゃねえよ地球人』

『みんなの輪を乱すんじゃありません』

『この状況はお前に問題があるからだ』

『ちゃんと自覚して大人しくしてろよ』


 そうやって、心ない言葉をどれほど浴びただろう。


 両親はとっくの昔に離婚している。父親は他の女性と所帯を持ったし、母親は地球に戻って元気に暮らしていると聞いた。そんな中、僕はお世話ロボットに育てられながら一人暮らしをしていて、両親のことは画像データで顔を知っているだけだ。

 だから一人で火星中を転々と移動しながら学校に通っていたのだけれど……そのうち、僕は人に期待するのをやめてしまった。


 趣味の機械いじりが就職に活かせたのは幸運だ。高校までの教育過程を修了した僕に、火星からの脱出をためらう理由はなかった。


 そして初めて月面宇宙港に着いた時、僕は強い衝撃を受けたのだ。このゴツゴツした岩だらけの寒々しい衛星は、まるで僕の心象風景だ。それに、ここで暮らす人は地球人でも火星人でもない中途半端な存在。

 僕の居場所はここにあったのかと……ずっと止まったままだった心の歯車が、ギシギシと音を立てて、ゆっくりと動き出すのを感じた。


 あれからもう七年くらい経つのか。

 僕がそうして色々と思い返していると、天井の方から声が聞こえてきた。


「――おい、イゴール。呆けてないで考えろよ。マーニャ嬢へのプレゼントを決めるんだろ?」


 ここ十年ほど僕の相棒を務めている、コウモリ型ロボットのムイムイだ。

 作業場の天井から逆さまにぶら下がるムイムイは、鳥なのか獣なのか中途半端な立ち位置にいるところに妙なシンパシーを感じてパートナー契約を結んだ。ロボットにしては生意気な口をきくところが、個人的にすごく気に入っている。


 輸送船の整備を続けながら話をする。


「プレゼントなぁ。ちょっと悩むんだよね」

「何がだよ。翻訳機、義手、調理器具……機械いじりしかできないお前が手作りで用意できるのなんて、それくらいだろ」

「うーん。それはそうなんだけどさ」


 僕は頭の中で何となくぐるぐると考えていたことを、思いきって口に出してみることにした。


「何だろうな。僕がプレゼントを渡しても、マーニャは心の底から喜んではくれない気がするんだよ」

「はぁ? そんなことないだろ」

「あるんだよ。僕はずっと思ってたんだ。マーニャの表情には何か、引っかかるものを感じる。もしかすると彼女は火星にいた頃の僕と同じかもしれないって」


 ムイムイに向かって言葉を紡ぎながら、僕は自分の中にうっすらと持っていた考えを形にする。


「昔の僕のように……マーニャの心の歯車は、錆びついて固まったまま今も動いていない。そう思うんだ」

「お前。それは」

「僕の恋愛感情なんて些細な問題だよ。彼女が本当の意味で、心の底から笑うためには、何をどうしたら良いんだろう。それが見えないから……それで僕はプレゼントを選べなかったんだ」


 あぁ、ようやく言葉にできた。

 僕が引っかかっていたのはその一点なのか。


 それなら、マーニャにあげるべきプレゼントは――

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