君と猫と恋の話

神宮寺あおい

第1話 私と彼

 自己責任って何なんだろうね。


 会社からの仕事帰り、体も疲れているけれど心はそれ以上に疲れていて。

 今日も私は癒しを求めてショッピングモールに入っているペットショップの向かいのベンチに座っている。


「資料作りもまともにできないのか?」


 発注量を算出する元になる資料を作ったのはたしかに私だ。

 だけどあの上司は。

 人に資料を作らせておきながら自分の色を出したいのかたびたび資料の内容を無視するあの上司は。

 勝手に商品の発注量を増やして結果売れ残った責任を私に被せてきた。


(数値を無視したのはそっちなのに、なんで私の自己責任って言われないといけないわけ?)


 お前のせいだと言われ、あちこちに頭を下げて嫌味を言われながらなんとか対応したけれど。

 

 正直心がもうくたくただった。

 

 さらには追い討ちをかけるようなLINEが届いていて。


「結婚しました!!」


 浮かれたような文字と共に送られてきた写真には一年前に別れた彼氏の顔が写っていた。

 

『お前は一人で生きていけるくらい強いよな。でもこいつには俺が必要なんだ』

 そんな陳腐なセリフで浮気相手の肩を抱いていた奴なんてこちらから願い下げだったけれど。

 結局は私がフラれた形になって。


(でも写真の人、あの時の浮気相手じゃないよね)

 

 別に未練があったわけじゃない。

 もちろん、やり直す気なんてさらさらない。

 でも。


(タイミングが最悪だわ)


 アラサーと呼ばれて久しく、年齢も三十三ともなれば些細なことで気持ちがささくれることがある。


 別に必ずしも結婚したいわけではない。

 子どもは可愛いと思うけれど産み育てたいかというと現実を考えて躊躇するところもある。


 だから今の状況を積極的に変えることはしていないけれど。

 ひとたび自分は誰にも必要とされない人間なんじゃないかと思ってしまうと気持ちを浮上させることが難しくなる。


 だから私はペットショップに来るのだ。

 

 最初は、箱に入れられて自分ではどうすることもできずに、売られるのを待つばかりのペットと自分の姿が重なって見えた。

 それでいて、つぶらな瞳で見つめてくる彼らの可愛らしさやモフモフを眺めていたら何となく心が癒される気がした。


 それからだ。

 私が疲れた時に癒しを求めてここに来るようになったのは。


 そうやって通う内に、ペットショップに新しい店員が入った。


 グレイの髪色に派手な色合いですら着こなしてしまうファッションセンス、そして抗い難く視線を惹く整った顔を持った彼は、その格好からしてアルバイトだと思えた。


(綺麗な顔の子だなぁ)


 初めて彼を見た時の私の感想である。


 良く見れば彼の右目の下には泣き黒子があり、綺麗さの中に色っぽさを添えていた。


 鑑賞に耐えうる顔とはこのことか。

 そう思いながら、私のペットショップ観察に彼が組み込まれたのは仕方のないことだと思う。


 彼のバイトの日は不定期だった。

 私が行く時にいることもあればいないこともある。

 

 私の中の鉄則で、ペットは眺めるだけと決めていた。

 現状飼うことのできない私が彼らに触れるのはルール違反だと思えたからだ。

 だから私は向かいのベンチに座って眺めるだけ。


(はたから見たら変質者にならないだろうか)


 一抹の不安を感じながら、それでも通うのを止められなかった私はだんだん気づくことになる。


 最初あんなにも衝撃を受けた彼の顔を、私は見なくなっていた。

 私が見つめるのはただ一つ、彼のその手だけ。


 ペットショップは犬と猫を扱っていたけれど彼の担当は主に子猫たちだった。

 彼の手が大切そうに猫たちの世話をする。


 子猫たちを相手にしているその爪は綺麗に切りそろえられていた。

 見た目の印象から、たとえばマニキュアをしていても不思議ではないしピアスや指輪などの装飾品を身につけていても違和感はない。


 でもそのどれも、彼の身を飾っていないことに私はすぐに気づく。


(ああ……そうか)


 その指に込められるのは慈しみ。

 子猫たちが彼から注がれているのは愛情だ。

 手が、指が、雄弁にその想いを伝えていく。


 だからだろうか。

 愛を知った子猫たちは、気づけば新たな飼い主に望まれて巣立っていった。

 そしてまた新たな子猫がやってくる。


 私は舞台を観る観客のようにその様を眺めていた。

 決して台に上がることのない、永遠の観客として。


(今日は彼はいないのかな)


 こんな風にくたくたな時は、彼の手が見たい。

 あの手が子猫を慈しむ様を眺めて癒されたい。


(ああ……でも何か疲れた)


 ペットショップの光を移していた私の視線が、だんだんと下に下がっていく。

 

(そうか。このモールの床はクリーム色なんだ)


 そんなどうでもいいことが頭をよぎる。

 

「あの!」


 だから。

 その声が自分に向けられていることにしばらく気づかなかった。


「あの、よろしければ子猫を見ていきませんか?」


 目を上げると視線が合う。


(あ。彼の瞳は黒じゃないくて薄い茶色なんだ)


 あの彼が。

 慈しみを注ぐ手を持つあの彼が私を見ていた。


「……え?」


 私の口から小さな声がこぼれ落ちる。


「よくいらっしゃっているので猫が好きなのかなと思ったのですが、ご迷惑でしたら申し訳ありません」


 彼の声は少し低めの良く通る声だった。


(ダメだよ。ペットは眺めるだけと決めていたでしょう?)


 そう思ったのに。

 

 何かに誘われるように立ち上がると、私は一歩を踏み出してしまう。


 ただ、導かれるままに。


 それが、私と彼の出会いだった。

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