第10話:バサバサとバチバチ

(さあ、問題はこれが長期戦なのか、短期決戦なのかだが)


 最前列のコンテナに、背中をぴたりとくっ付けて、リオは熟考していた。

 周囲に監視カメラのたぐいは見当たらない。


 ルイの黒い羽がそのまんまカラスの能力なら、フクロウの聴覚やコウモリの反響音のように、視野の外を探ることは難しいはずである。


(左右には緊急用避難経路があるが、これは論外だ。十中八九、最後尾を飛び出したところを狙撃される。

 ならば、コンテナの上を一気に駆け抜け、狙いが定まる前に奇襲をかけるか?)


 それもノーだな、とリオは首を横に振った。

 いくら【エルク】の脚力でも、遮蔽物しゃへいぶつが無ければ、いい的だろう。

 足音をわずかでも抑えるために、ひづめを上履きへと戻す。


「くすくす、リオさん。迷っていますね。私が膠着こうちゃく状態を仕掛けているのかどうか」


 声のよく通る地下運動場に、ルイのからかうような台詞が響く。

 リオは声で位置を気取られまいと、返答はしない。


「いいのですよ、返事をしても。声の出所を探ろうなんてしません」


 どうして信じられるものか、とリオはいぶかしんだ。

 コンテナの陰に隠れつつ、ルイの出方を窺う。


「くすくす、怯えちゃって、かわいいですね。さて、持久戦なのかという話でしたが、答えはこうです──」


 バシュッ、と弓矢の射出音がした。

 まだリオは動かない、当てずっぽうで、そうそう当たるものではないからだ。


 ルイの〈生体矢筒せいたいやづつ〉で生成された、

 カラスの羽と骨と頭部で出来た矢は、ゆるりと弧を描き、リオの近場にクチバシを立てて突き刺さった。


(『曲射』か! あいつが銃ではなく、弓を扱う理由はこれか!)


 最前列から矢の弾幕で埋めていき、徐々に追い込むつもりだろう。

 どこかでまぐれ当たりでもすれば、傷は治っても、再生に使った体力は削れる。


(ならば、勝敗を分けるのは、迷路を抜ける速さ。

 さっき、上から確認する余裕はなかった。運任せに進むしか)


 そこまで考えたリオは、何者かの視線を感じて、そちらを見やる。


「なっ、なんだこれは……」

 異様な光景に、思わず驚嘆きょうたんの声が漏れた。


 矢羽根付近の肉がボコボコと膨らみ、形成された水色の瞳の眼球が、リオを無言でじっと見つめていた。


 セファラと戦ったレンカの報告を思い出す。

 あの時と状況は少々異なるが、おそらく目の効力は同様で、増えた視野はルイにフィードバックされているのだろう。


「『情報転送トランスファー』とかいう、改造で得た能力か」


 一瞬、矢の眼球を潰すか迷ったが、弓矢の第二射、三射はすでに放たれている。

 リオの立っていた床と、潰すために動いた場合の地点が射抜かれた。


 間一髪、直観的にどちらからも遠ざかっていたリオは、難を逃れる。


 矢羽根の付近の肉が再び、もぞもぞとうごめいている。

 眼球が増えれば増えるほど、それだけ狙撃は正確になっていくのだ。


「くっ、これは長期戦というより、まるで追い込み猟だ!」


 リオは慌てて、コンテナの二列目へと進む。

 退路を断つように、さっきまでいた最前列は、無数の矢で埋め尽くされた。


「くすくす、追い込み猟ですか。私からすると──『詰将棋』なのですけど」


 二列目には、いっぺんに三本の矢が刺さった。

 ルイの射撃は、精度だけでなく、速射にも長けているらしい。


(一射目はわざと一本のみ打って、こっちの動向をはかったな! ルイ!)


 二列目が矢で埋まってしまう前に、リオはコンテナの迷路を先へと進む。

 あくまで迷路は比喩であって、射撃演習を目的に作られたフィールドなので、道中で迷う心配はなさそうだ。


(このまま、角度的に曲射で狙えない地点まで、進んでしまいたいところだが……)


 ルイの放つ曲射の特性に、リオは気づいていた。


 目標上空で、黒い矢羽根が翼を広げ、空気抵抗を調節して、限りなく垂直に近い角度で落ちるのだ。

 そうしているあいだにも、弓を弾く音と矢の風切り音が、絶え間なく鳴り響いている。


(あとに戻れない以上、前に進むしかない!)


 矢の刺さった地点は、眼球の監視網に包囲される。

 さながら、陣取りゲームの様相もていしていた。


「くすくす、矢の【アイオーブ】に姿が映りませんね。ということは、リオさんは今中間くらいでしょうか」

「このペースなら、すぐにでもそっちへ行くぞ。いつまでその『くすくす』笑いが持つかな」


「うーん、下手に希望を与えてしまって、少々申し訳ないですね。そろそろ、溜まった矢が──『かえる』頃合いです」


 たしかに先ほどから、弓の弦を引く音も矢の風切り音もしない、ルイが手を止めているのだ。


 代わりに、バサッバサッという飛翔音が聞こえる。

 背後から急速に接近してくるその音に、振り返ったリオはぎょっとした。


「これはっ……カラス、なのか?」


 骨の矢の中心部に、黒い翼が生え、細長いいびつなシルエットで飛行してくる。

 注視しなければ分かりづらいが、矢羽根部分の眼球がしぼみ、頭部にカラスの黒い目が形成されていた。


「くすくす、それは〈矢咫烏やたがらす〉といいます」

「まんまだな」


「わ、私のネーミングは、分かりやすさがモットーなのです!」

 ルイは平静を装っていたが、声が反響する密閉空間で会話しているため、顔が見えずとも、動揺が瞭然りょうぜんであった。


「分かりやすいか? どちらかと言うと──ガガンボだな」


 細い矢の中間と末尾に、最低限の翼が生えたシルエットは不気味に思えたが、見慣れると絶妙なゆるさがある。


「ガッ……き、機能性! 機能性重視です!」

 耳まで真っ赤にして、声の調子だけでも取りつくろい、ルイはこう続ける。


「私の矢は射って、はいそれで終わりではありません。無用となった卵黄アイオーブの養分を吸い、〈矢咫烏〉へと成長するのです」


「なるほど、驚きはしたが……一発芸だな。弓で射る威力に比べれば、推進力はたかが知れている。そのガガンボとやらが飛んできたところを、叩き落としてやる」


「ヤ・タ・ガ・ラ・ス! 〈矢咫烏〉です! 矢は弓矢の矢! ぐぬぬ、せいぜい思い知るといいです!」


「どうだか……情報習得ダウンロード【バックラー】」


 一応、念には念を入れて、右腕に金属の丸盾を装備し、左腕を〈枝角えだつの〉の籠手で覆い、迎撃準備をする。


 リオは全身を〈枝角〉の鎧で固めていない。

 関節部を除いたとしても、重さで動きが鈍るためである。


 加えて、鎧の形成には多量のタンパク質を消費するので、消耗も激しい。

 以前ロティが、鎧を維持し続けられたのは、再生力を高める改造手術の賜物たまものであった。


 ふらふら飛びながら、やがて〈矢咫烏〉はリオに狙いを定め──。


「速──っ!」

 ボシュッ、と急加速した。


 なんとか【バックラー】で受け止めたが、受け流すパリィする余裕はない。

 衝撃を逃す丸みを帯びた盾が、クチバシの激突の勢いを逃がしきれず、ピシッとひび割れ、粉々に砕け散った。


 金属盾でこの始末、仮に左腕の鎧で受けていたら、肘から上と泣き別れになっていただろう。


(あのガガンボに何が起きた?)


 威力の秘密を解き明かそうと、発射の瞬間を回想ハイライトする。


 強化された〈端末人間〉の動体視力が、首から血を吹き出しながら飛来する、カラスの頭部を捉えていた。

 射出されたのは頭部のみで、矢の大部分は反動で吹っ飛んだ。


 続いて、状況証拠と組み合わせて仮説を立てる。

 壊れた盾にこびり付いた血は、リオのものではない。千切れた黒い羽と、赤い血肉が床に散乱している。


 ほどなくして、リオは立てた仮説が正しいと得心とくしんした。

 血液を急激に圧縮、破裂させ、頭部を弾丸のように発射したのだ。


(機能性ね。ガガンボは生物であっても、長生きする機能はないらしい)


 射程距離まで弾丸を運び、仕留めるためだけの有機生命体兵器Bio Organic Weapon。すなわち、bowで放たれるB.O.W.。


 矢は心臓以外の内臓が削ぎ落とされており、跳びまわっているだけで、餓死以前に酸素を満足に取り込めず、発生から十数分で死亡する。


 倫理観と実用性を鍋で煮詰めて、倫理観だけドブ川に流したような発想だ。

 いや、本来の生物兵器──細菌兵器の大きさを、動物大にしただけではあるが。


 そこまで考えて、バサッバサッ、という羽ばたきが、リオの思考を停止させた。

 今度はひとつではない、あちこちから重複して聞こえてくる。


「まあ、そうなるよな……」


 忘れていたわけではないが、地下運動場には、大量の矢が打ち込まれていた。

 そのすべてが一斉に『孵化ふか』し、リオ目がけて飛翔ひしょうしてくる。


「くすくす、親切心で〈矢咫烏〉を解説してあげたと思いましたか? 成長するまでの時間稼ぎですよ。

 この戦いはある意味、持久戦ではありましたが、同時に短期決戦でもあったのです」


 短期決戦。たしかにあれらは、3~4分と持たず羽ばたきを止め、自滅するだろう。

 ただし、3、である。


 コンテナ地帯はまだ半分であり──確実に、進みきるゴールまでに追いつかれる。

 かと言って、ショートカットしようとコンテナに乗れば、ルイの直射の餌食えじきである。


「ほおら、考えのあいだにも、〈矢咫烏〉は近づいてきてますよ」

 ぎりぎりと、弓を引き絞る音が、羽音に混じって、かすかに聞こえる。


「くすくす、どうしますか? 畜生の肉片と衝突して死ぬか、ひと息に私の弓に射抜かれるか、死に方くらい選ばせてあげます──情報習得ダウンロード【エレクトリック】」


 つがえたのは、〈生体矢筒〉の生んだ矢ではない。〈インストーラー〉を変形させた金属矢であり、ルイの詠唱に呼応して、電気を帯びる。


(私は負けたのか……? もう詰んでいる? いや、最初から詰んでいた?)


 リオはこの攻防を、追い込み猟に例えたが、ルイは『詰将棋』だと訂正した。

 そこにある、言葉遊び以上の差異。

 ──詰将棋は勝つことが前提で、いかに適切な手順を踏むか、というゲームなのだ。


 リオからはルイの表情は窺えないが、勝ち誇った彼女が口角を吊り上げて、いじらしく笑っている顔がありありと目に浮かんだ。


 バサバサ、バチバチ、羽音と放電音が、リオの頭の中でシェイクする。


 ダメだもう。勝てない。敗北が思考の端にちらつき始めた。


 今のリオは〈端末人間〉だ。〈矢咫烏〉との衝突では、簡単には死にきれず、長らく苦しむことになるだろう。

 ルイの金属矢に身をゆだねれば、きっと楽に死ねるだろう。


『ソラエは、戦うときに何を考えてるんだ?』

『勝つこと以外にある?』


 何時ぞやの会話が、フラッシュバックした。

 リオはあのとき言葉の意味を、敵は容赦なく殺せ、だと解釈した。


 違う。違ったのだ。

 彼女が本当に、言いたかったことは──。


「──勝つこと以外、考えるな」


 ボゴンッ、という大きな音が、一時的に羽音も放電音をも掻き消した。

 それがせきを切ったように、〈矢咫烏〉の群れがコンテナに次々と衝突していく。

 弓矢をつがえたままのルイから、笑みが消えた。


(まさか、リオさん……〈矢咫烏〉の弱点に気づいた?)


 実際のところ、そこまでリオは考えていなかった。

 コンテナを突き破って直進すれば、遮蔽となって狙いが上手く定まらず、最短距離で迷路を駆け抜けて、勝てるかもしれない。


 それでも、貫通してくる分のダメージは覚悟していた。

 僥倖ぎょうこう。なんという僥倖。


 として──カラスの頭部は致命的に強度不足である。

 コンテナの外壁に当たった途端に、肉が弾け飛び、曲射の降着で摩耗まもうしたクチバシは、十分な貫通力が得られず崩壊する。


 さらに、〈矢咫烏〉は単純な命令しか聞けない。

 一羽が突貫とっかんを開始してしまえば、刷り込みインプリント効果で、すべてが行動を模倣もほうする。


 結果的として──リオはそれらを全滅させつつ、無傷でコンテナ地帯を突破した。


「まだです……まだ終わっていません……」


 一列分のコンテナ列を挟んで、リオとルイは向かい合う。

 ルイはまだ諦めていなかった。


 リオが最後の行列を超える瞬間──その瞬間だけは、弓矢を構えたルイが『後の先』を取れる。


 しかしながらルイには、リオが出てくる場所は分からない。

 コンテナを突き破ってくるのか。左右の避難路から来るのか。はたまた、上を跳び越えてくるか。


 必ず顔を出した瞬間に射抜いてみせるという、ある種のである。

 ところが、時運の流れは、阿久津あくつリオに微笑んだ。


 突如、渡部わたべルイを目がけて、コンテナのひとつが吹き飛んでくる。

 完全に計算外の出来事であったが、思考する前に体が動き、彼女はすれすれで仰け反って避けはしたのだが──。


「落としたな、弓を。虚を突ければいいくらいで、当てるつもりはなかったんだがな」


 リオは【エルク】のパワフルな脚力で、コンテナを蹴り飛ばしたのだった。

 躱した拍子にそれにかすめた弓が手を離れ、矢もむなしく、床でバチバチと放電している。


 


「くすく、ふっ、ふふふ……あははははは!!!!!!!!!!1

 まさかリオさん、そのまさかですよ! うおりゃっ!」

「悪あがきを!」


 リオの腰辺りに、ルイが組みつき、タックルで押し倒す。


 取っ組み合いでは、大雪をも掻きわけるヘラジカのパワーを持つリオが、圧倒的に有利であり、ルイはあっさりと上下を逆転された。


 リオは彼女の両腕を掴み、マウントポジションを取る。


「くっ……んん……んんん……」

迂闊うかつだぞ! パワータイプではないだろうに!」


 密着している限り、互いに電気は使えない。たしかに、このままでは決着こそつかないが。

 リオは両手に、ぐっと力を籠めた。


「あああーーーーーーッ……!」

「このまま腕の骨を、へし折ってもいいんだぞ! トリガラのように! ラーメンの出汁だしを取るトリガラのように!」


 理詰めで追い込んでいたルイの、土壇場どたんばでやけを起こしたような行動に、リオはいきどおりこそすれ、疑う余地はなかった。


「くっ、ふふ……リオさん。私はね……『保険』をかけて、おいたんです……こうなった場合に、備えておいたんです」


 苦しげに、途切れ途切れに台詞を放ったルイは、冷や汗のにじむ顔で、わずかに笑った。

 ──あくまで苦しげであって、苦し紛れではない。


 エネルギーが切れ、【エレクトリック】の発電機関が停止する。

 バサッ、放電の音で消えていた、羽音が聞こえた。


「私ごとやるのです、〈矢咫烏〉たちよ──濡羽色の高山流水モノトーン・スコール


 ふたりの少女の頭上から、矢の驟雨しゅううが降り注ぐのだった。


(第9話・了、つづく)




【次回予告──】


「ルイちゃんの意地悪~っ! でも、そんなところが萌え!」

「くすくす、コアな変態の間違いじゃないですか」

「そっか、性悪なルイちゃんとも仲良くなれたもんね!」

「〈端末人間〉に……なったら、ヒヨミちゃんに勝てますか……?」


 岩倉ヒヨミは、渡部ルイのたったひとりの親友“だった”。

 三年分の思い出は現在へと至る……リオ対ルイ、ここに決着。


「そう──これは〈氷柱〉だ。たった今、名づけた」


次回、『くすくす』


【──毎日夕方18時00分更新!】

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