草木萠動〈そうもくめばえいずる〉後日譚・厥魚群 〈けつぎょむらがる〉
じーく
閉塞成冬 〈へいそくしてふゆとなる〉
「ほだか……」
呼吸と溶け合って、切なげに漏れるその声が、堪らなく好きだ。
枕に顔を埋めながら、俺は少し首を右に傾けて、声のする方へ視線を投げた。
コータが息を弾ませながら、優しく笑った。
「辛くない?」
馬鹿な質問だな。
辛いわけがない。
「あっ……」
この瞬間も、堪えていた声が漏れ出てしまうほどなのは、お前が一番よく分かってんだろ。
思いの外大きく出たその声が照れくさくって、俺は眼を閉じて微笑んだ。
コータの体温が近付いてくる。
「照れんなよ」
身体を包み込むようにして囁くと、すぐに唇を重ねる。
重ねるだけじゃ足りない。
離れそうになるその唇を追おうとした時、コータが舌を絡め取った。
クラクラする。
肩に絡んだコータの両手が、俺の身体を強く引き寄せる。
声にならないまま、小刻みに下唇が震えた。
俺たちは、2人で初めての冬を迎えようとしている。
昨日、仕事を終えて車に乗り込む時、吐き出した白い息の向こうで、雪虫がフワフワと舞っていた。
来週には雪になるかもしれない。
最近は年々雪の量が減っているけれど、それでも雪国には違いない。
それなりに積もりはする。
雪で電車が止まったら、コータを職場まで送らないといけないな。
そんなことを考えて、ちょっとニヤける。
そんな小さな事も、嬉しく感じる。
一緒に暮らしていくからこそ、ぶつかる出来事さえ、今は愛おしい。
何気ない日常が、かけがえない日々になる。
そしてもうすぐ、俺たちにとって大切な日がやってこようとしていた。
観光客たちが、場違いに大きな声で会話するのを、時折横目で見ながら、時計を確認する。
遅いな。
コーヒーの残りが少なくなってきた。
メニューを再度手に取って、ドリンクのページを開いた瞬間、遅い自動ドアに地団駄踏んで、イズが駆け込んで来た。
思わず上げた右手に、イズと店員が応える。
「ごめん、遅くなった」
イズは向かいに腰掛けると、後ろをついてきた店員に
「カフェオレと……」
そう言って、俺のオーダーを待った。
「コーヒーもう1杯」
久しぶりの感覚に、自然に口角が上がる。
「なによ、ニヤけちゃって。さてはまた、相談と言う名の惚気だな」
コートとバッグをソファに置きながら、イズが笑う。
「いや、イズだなぁと思って……」
キョトンとして俺を見るから、俺は可笑しくなって、小さく笑った。
「ずっとそのままでいてよ」
イズが胸を張って、
「もちろん」
と答えると、何故か胸が熱くなって、俺は俯いた。
「で、相談って?」
何だかこの流れで言い出し難くて、チラリとイズを見て、また視線を落とす。
「まさか……悪い話じゃないでしょ?」
俺の顔色を伺いながら、少し不安げに問いかける。
「それは大丈夫。引っ越し無事終わったし、コータ仕事楽しそうにやってるし、俺も役職付いてヒラじゃなくなったし」
「聞いた聞いた、課長さん。で、相談は何、課長さん」
のらりくらりと本題を避けてる俺を、イズは逃さない。
俺は、背筋を伸ばして、膝に両手を置いた。
「あのさ……」
イズもつられて背筋を伸ばして頷く。
「誕生日ってさ、何して欲しいもん?」
一瞬の間があって、イズが吹き出した。
「やっぱ惚気じゃん」
「惚気じゃないよ。真剣に聞いてんだよ。人の誕生日とか祝ったの、ナイトのお誕生日会くらいで、俺何したらいいか分かんなくって。ほら、コータは何かこなれてるから、オシャレなレストランでディナーとか予約したりするのかもしんないけど、俺そんなんしたことないしさ。特別な日だから、ちゃんとお祝いしたいのに、ね、助けてよ、イズ」
情けない自分が、一気に堰を切って溢れ出す。
必死な俺を見て、イズが母ちゃんみたいにあったかく微笑んだところで、カフェオレとコーヒーのおかわりがやって来た。
「ほだはさ、コータに誕生日何されたい?」
「俺?」
口に出せば惚気って言われるだろうけど、今俺たちが一緒にいること自体が奇跡みたいなもんで、それだけで充分満足している。
「別に……コータが俺の為にしてくれることなら、何だって嬉しいよ」
「でしょ。多分、コータもそうだと思うよ」
「あ」
「だからさ、難しく考えなくていいよ。ほだがしてあげたい事を、精一杯やればいいんだよ。ほだはコータをどうしてあげたい?」
「あのくっしゃくしゃの笑顔を、さらに最高にくっしゃくしゃにしたい」
イズが嬉しそうに頷いた。
「きっと、もうほだの中に答えはあると思うよ。」
「俺の中に……」
何度か頷いた後、ふと何かを思い出したように微笑む。
「私の誕生日にさ、ケーキ5個くらい買ってきてくれたじゃん。ケーキの好み分かんないからって。あれ、嬉しかったよ。」
そんなことあったな。
イズの誕生日知らなくて、当日知って、大急ぎでケーキ買いに行ったけど、何が好きか分かんなくて……。
「これ、普通は恋に落ちるやつだって思った。見た目に似合わず、繊細で優しいんだ、ほだは」
「見た目に似合わず、は余計だよ」
照れくさいから、コーヒーのカップを口へと運ぶ。
「ほんと、良かった。眉間のシワに幸せって書いてある」
口の中のコーヒー、危なく噴き出すところを、既で堪えてむせる。
イズがケタケタと声をあげて笑う。
おかしな元夫婦だな。
俺もつられて、咳と一緒に笑った。
カフェを出て、車に向かう途中、コータから連絡が来た。
『駅着いたよ』
いいタイミング。
『すぐにいく』
俺はそう返して、車の鍵を開けた。
コータの就職した会社は、県内に幾つも店舗や営業所を持つ会社だ。
まずは3ヶ月、一番大きな店舗で研修した後、配属先で本格的に働く事になる。
研修先まで電車で約1時間。
口には出さないけれど、慣れないことだらけで、疲れてるのは伝わってくる。
本当はいつも迎えに行きたいんだけど、コータは俺に負担をかけたくないと、駅から歩いて帰ってくる。
強いて言うなら、そんな他人行儀なところが、俺はちょっと不満だ。
俺を想ってのことなのは百の承知だけど、もっと頼って欲しいし、甘えて欲しい。
そんなの恥ずかしくて、面と向かっては言えないけど。
今日は、駅前に用事があるから、タイミング合えば迎えに行くと伝えてあった。
コータの姿を探しながら、ゆっくりと駅のロータリーに車を進めると、ちょうど駅舎からコータが出てくるのが見えた。
クラクションを鳴らそうかと思った次の瞬間、コータの後ろを歩く女性に気が付いて、手を止めた。
楽しげに会話を交わしながら歩く2人。観光案内板の前で挨拶をして、女性が笑顔で手を振って駐輪場の方へと向かうのを、名残惜しそうにコータが見守っている。
俺はあからさまにショックを受けていた。
同僚なんだろうけど、一緒に帰ってる人がいるなんて、1度も聞いてない。
いや、わざわざ言う必要もないのかも知れないけど……。
鼓動が早い。
嫌な考えが一気に溢れて、さらに心臓がバクバクいう。車が止まりそうになって、後ろからクラクション鳴らされて、ハッとしてアクセルをゆっくりと踏む。
クラクションで振り向いたコータが、こっちに手を振って近付いてくる。
俺は車を寄せて、ロックを解除した。
「ただいま」
いつもと変わらないコータが助手席に乗り込んでくる。
「おかえり」
最後まで言う前に、頬に口づけられて、ちょっとニヤける。
いつも通りだよ。
何も変わらない。
さっきまでの感情を、コータの眼が全否定する。
「今日、用事ってなんだったの?」
シートベルトを締めながら、コータが聞く。
いろんな感情を押し込めながら、俺は何でもない顔で答える。
「あぁ、イズとお茶してた」
シートベルトの音を確認して、俺はゆっくり車を発進させた。
「えー、いーな、俺も穂高とお茶したいよ」
コータが、口を尖らせて言う。
「なんかちょっと、仲良すぎて妬けてくる」
「なんだよ、それ」
さっきまでの自分の動揺を棚に上げて、俺は笑った。
確かに、俺とイズは仲いいけど、そういう仲いいじゃないのは、良く分かってるじゃん。
ましてや、今日の相談は……
「じゃ、来週の休み一緒に出かけない?」
「来週の休みって……」
俺の言葉に、コータが少し照れたように見えた。
「どこ連れてってくれるの?」
「まだ内緒」
「ふーん」
ニヤける口元を隠しながら、俺の横顔を見つめてる。
ちょっとでも、悪い事考えた自分が恥ずかしい。
こんなにも、大切に思われてるじゃん。
ロータリーを出る信号が赤なのをいいことに、俺たちはどちらからともなく、吸い寄せられるように唇を重ねた。
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