第五章 星のピノ、ハートのピノ(5ー5)


【美しき風の花 その一】



 美咲が放った一閃いっせんは、音もなく大気を切り裂いて、一見何もない虚空こくうに、鋭い三日月のような白刃しらはの軌跡を描き出した。


 数舜すうしゅんおくれて、一陣いちじんの風が巻き起こり、美咲のそばで座り込んでいたルゥナーの、その真っ白い髪をふわりと揺らす。



 その時、この場所にいた者たち。

 りんこ

 れい

 あかり

 ルゥナー


 そして、筑波祢つくばね 真昼まひる



 それらすべての瞳の中に、不偏ふへん太刀たちを振りぬいた美咲の姿が映っていた。





 何も、起こらない。


 誰ひとり声を発する者はなく、静寂に包まれる駐車場。



 きょとんとした表情で美咲を見上げるルゥナーが、その宝石のように美しい藍色の瞳をぱちりとしばたたかせた、次の瞬間。



 ―――世界が、ぜて飛散った。



 一瞬にして、広大な駐車場の敷地全体に衝撃が波となって広がった。


 その波とともに、ルゥナーが身にまとっているのと同じ青く輝く光の粒子つぶが舞い、視界に映るものすべてを覆いつくしていった。



 青い光の粒子は衝撃の波とともに渦を巻きながら駐車場全体に広がると、やがてゆっくりとした速さで天に向かって昇り始めた。


 てつく灰色の地面から、銀の月が優しく輝き、無数の星がまたたく天に向かって、下から上へ、淡雪が舞いおちるように、風に乗って、ふわふわ、ふわふわと。



 りんこ、れい、灯の三人はこの世の物とは思えない美しくもはかない幻想的な光景に目を奪われ、しばし我を忘れて立ち尽くした。





 美咲の視界の隅で、ルゥナーの小さな身体が青い光となってほころんでいく。

 その消えゆく最後の表情は、いったいどのようなものであったろうか。


 美咲はそれを見届けることなく、不偏の太刀を下段に構え、短い呼気とともに低い姿勢で駆けだした。



 まだだ。

 まだ、感傷にひたる時ではない。

 美咲じぶんには、まだやることが、やらなければならないことが残っている。


 まるで獲物を狙うツバメラストーチカのように、地面すれすれを飛翔する美咲の両の目は、真っ直ぐに、ただ一筋に、筑波祢つくばね 真昼まひるの姿をとらえていた。



 死して魂だけの存在でありながら、物質に干渉するほど濃密に凝縮された悪意のかたまり、マモノと化したかつての教え子。


 真っ黒い瘴気しょうきによって朧気おぼろげにすら見えないけれど、見慣れたセーラー服におかっぱ髪、すらりと伸びた長い手足、そして何より、かつては未来への希望にあふれ、今では殺意と怨念に染まった強い意志のこもった瞳、その全身がどす黒い血にまみれたあわれな姿を、美咲は鋭い視線でにらみつけた。



 美咲が見据えたのは、結界の蒼焔そうえんに包まれたままの両腕と、血だまりを踏みしめる両脚。


 どちらだ。

 美咲は一瞬、判断に迷ってしまった。


 脚を切る。

 そのつもりだった。


 しかし、美咲は、真昼の蒼焔に焼かれる両腕を、あろうことかだと思ってしまった。もはや真昼は苦痛など感じることはないのだと、頭では理解していたのだけれど、ほんのわずかに気持ちが揺らいだ。



 ―――まず、無力化する。



 脚を両断しようと横に構えた太刀の切っ先を、飛び上がるツバメの如く振り上げる。



「――――――!!」


 真昼の口から野獣のような唸り声が発せられ、その両腕は音もなく本体から離れて宙を舞った。



 ―――次、動きを止める。



 不偏の太刀を頭上まで振り抜き全身が伸びあがった状態から、今度は真昼の足もとを狙おうと、負担が大きい無理な動作で体勢を整えようとする美咲。


 しかし、それをするには、失われた利き手の左腕をはじめ、身体的な能力があまりに不足していた。

 もともと重い不偏の太刀を決して軽々とは扱えない美咲の身体は、その刀身の重量によって逆に振り回されてしまう。



 一息の半分で行う動作に、もう四分の一。

 秒にも満たないわずかな遅れが生じる。



 その刹那せつな

 美咲は、美咲の身体は、たずさえた不偏の太刀もろとも、





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 目の前に広がる光景に、りんことれい、そして灯の三人は状況を忘れて目を奪われ、感嘆の声を漏らしていた。


 すぐそばにいるはずの、お互いの姿さえ見失いそうになるほど大量に舞い昇る青い光の粒子。


 それは、それがかわかっていても、心を奪われずにはいられないほどの美しさだった。


「るーなちゃん……」

「ルゥナーさん……」


 りんこと灯がルゥナーの名前を呼び、空を見上げる。

 その目には、光をあびて青く輝く涙が、今にもあふれんばかりに溜まっていた。



「………」


 ふと、れいが何を思ったのか、周囲を立ち昇る光の粒子を自分の手のひらでかこうようにしてそっと集めた。


 れいにとっても、それは単なる気まぐれに過ぎない。

 ただ、自分なら、ひょっとしたら、と思ったのだ。


 ただ、それだけの、確たる理由も目的もない、思いつきの行動だった。


 れいの丸く重ね合わせた手の中に入るだけの、文字通りほんの一握りだけの青い光。

 れいはそれを、これまた何となく、肩から提げていた通学鞄の中に仕舞った。、そんな事はこの時考えもしなかった。



「ルゥナー、またね」


 れいが静かに、りんこや灯と同じように空を見上げた、その時。




 ――――――!!



 何か重い物が高い所から落ちたような、ずっしりとした物が、地面に激しく叩きつけられる音が聞こえた。




「な、なんですかっ? 今度は!?」


 灯の悲鳴にも似た驚きの声が響く。



「うそっ! 美咲ちゃんがふってきた!! なんで?」


 りんこの声が続いた。


 れいがりんこが指し示す方に視線を向けると、三人から少し離れたアスファルトの上に、横たわる美咲の姿があった。



「美咲さんっ!? だ、大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄る。

 パニックになりかけている脳を懸命に落ち着かせながら、れいは美咲のそばにひざまずき、その様子をうかがった。



「美咲さんっ! 大丈夫ですか!? 美咲さん!」


 何度も呼びかける。

 しかし、美咲から返答はなく、声に対する反応らしきものも見えなかった。



 佐倉さくら 美咲みさきは頭から血を流し、ぐったりとしていて意識がなかった。見たところ、それ以外に目立つような外傷はない。



「美咲ちゃん!? どうしたの? おきてよ!」


 りんこが呼びかけ続けているけれど、美咲に反応はない。



「ふってきた? えっと、落ちてきたって、そんな、いったいどこから」


 灯も美咲のそばにしゃがむと、周囲を見回し始めた。



 れいの中の何かが、警鐘けいしょうを鳴らしている。

 鼓動が早まり、全身から冷汗がにじむ。


 危険だ。

 ここにいては危ない。




 ―――



 そんなこと考えたくはなかったけれど、それでも、目に見える現実と、見えない直感めいた何かが、そろってそう告げていた。



 今すぐ逃げなくては全員あぶない。


 頭の中で、もう一人の自分が叫んでいる。



「美咲さんをおいてはいけない。えっと、そうだ。と、とりあえず救急車……」


 震える手でスマートフォンを取り出す。

 しかし、どういうわけか電波の状況を知らせるアンテナのしるしは無情にも『ゼロ』を示していた。



「れいちゃん、美咲ちゃん、息してる!」


 りんこの安堵あんどしたような声が聞こえた。



「ここでは美咲さんの身体がこごえてしまいます。みんなで車まで運びましょう」


 灯の提案に、れいは小さく二回、うなずいた。



 だめだ。

 自分で思っている以上に頭が働いていない。


 りんこと灯の方が落ち着いて行動できている。

 普段から、いつも自分がいちばん冷静に物事や状況を見ていると、勝手に思い込んでいた。


 れいは、それがとても恥ずかしかった。



「灯、ごめん。ちょっと指示おねがい」


 泣きそうな顔で灯に頭をさげるれい。

 その初めて見る情けない表情に、灯は一瞬だけ驚いたようだったけれど、すぐにいつもと変わらない穏やかな笑顔でれいに言った。



「はい、まかされました。おまかせあれ」


 それは、とてもとても安心できる、そんな笑顔だった。



 灯の指示のもと、りんことれいの二人で美咲を抱きかかえた。

 正確にはれいが美咲を背負って、それをりんこが支えるような格好で、美咲のミニクーパーまで運ぶ。



 いつの間にか、周囲の青い光はめっきり少なくなり、視界はほとんど晴れていた。

 さっきまでの光景が嘘か幻のように、辺りはもとの静かな駐車場に戻っている。



 美咲を落としたりしないように、慎重に足を進める三人の耳に、不意に水たまりを踏んだ時のようなびしゃり、という水音が聞こえた。



 数日前からずっと晴天つづきで、昨日の夜に雪がちらついたものの、今日にかけては雨も雪も降っていない。

 駐車場のアスファルトはどこも乾いていて、水たまりなど、どこにも無かった。



 どこからともなく漂う、腐敗臭にも似たツンと鼻につく臭い。


 そして、とつぜん全身に走り始めた強烈な悪寒。



「……うそ、でしょ?」


 震える唇で、それだけ言うのがやっとだった。


 りんこと灯も、れいと同じものを感じていたらしく、青白い顔を見合わせていた。




 三人が、水音が聞こえた方をゆっくりと振り向く。


 そこに立っていたのは、切り落とされた両腕からおびただしい量の血をしたたり落とし、暗い憎悪を宿した瞳でこちらを睨みつける、血塗られたセーラー服の筑波祢 真昼だった。



 りんこたち三人の身体ががくがくと震える。

 顔がひきつり、冷汗が背筋を伝い落ちた。吐く息はますます白くなり、激しい耳鳴りと、鈍い頭痛が三人をおそう。



 そして、りんこたち三人の目の前で、真昼はゆっくりと口を開き、囁くような小さな声なのに、はっきりと耳元で聞こえるような、凛としていて、自分たちよりも少し幼い中学生の少女の声で、こう言った。



     



 真昼は、本当に嬉しそうに、楽しそうに、目を細め、口の端をつりあげて。

 にた~り、とわらった。



 悲鳴はあがらなかった。

 声がでない。

 身体はぴくりとも動かない。


 ただ、りんこの左右の太ももの、そのきめの細かい白い肌を、あふれ出した透明な液体が幾筋も伝って落ちていった。





 つづく

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