第二章 昔なつかしアイスクリン(2ー3)
【れいちゃんの過去編その二】
「それじゃ、いってくるねお母さん」
「本当にごめんなさい。せっかくの入学式なのに」
カーテンの隙間から朝日が差し込む。
真新しい制服に身を包み、晴れ姿を披露する愛娘に、母は申し訳なさそうに眉をひそめた。
佐久間の喫茶店の二階にある一室。
あの日、偶然、佐久間に拾われ、それ以来ずっと間借りさせてもらっている。ところどころささくれ立った
部屋の中央に敷かれた布団の上で、上半身を起こして娘を眺める母の姿。幼いれいの手を引いていた強く大きかった母が、今ではとても小さく弱弱しく見える。
母の奥に見えるのは、壁にかけられた黒いシックなアンサンブルスーツ。小学校の時は着ていく立派な服がなくて、娘に恥をかかせてしまったからと、なけなしの貯金の中から今日のために用意したものだった。
もちろん、れいはそんなことは気にもしない。それでも、そんな母の気持ちがうれしくて、二人で一緒に選びに行った。
「大丈夫だから、お母さんはゆっくり休んでいて。お店は帰ったらあたしが手伝うし」
ここに住まわせてもらうようになってから、母は佐久間の喫茶店を手伝っている。お嬢様育ちで何もできなかった母も、佐久間の粘り強い指導によって、今では美味しいコーヒーを淹れられるようになり、料理も簡単なものなら作ることができるようになっていた。
しかし、その反面、かつての放浪生活の心労がたたってか、体調を崩しがちになり
「ごめんね。少し休めばきっと大丈夫だから。夜は一緒にお祝いしましょうね」
「うん。楽しみにしてる」
母にちいさく手をふって、れいは部屋を後にした。
狭く短い廊下を通りぬけ、階段をとんとんと降りていく。すると階段の途中、店からコーヒーのいい香りが漂ってきた。
初めてここを訪れてからずっと嗅ぎ続けてきたコーヒーの香り、不思議と心が落ち着く匂いだった。
「おはようございます、おひぃさま。おお、おお、とてもよく似合っておいでだ」
見慣れたエプロン姿の佐久間が、れいを見て目を細める。以前より顔の皺はさらに増え、すっかり白髪頭になっていた。
「おはよう、佐久間さん。ありがと。でも、おひぃさまはやめてね」
いくら言っても、いっこうにやめてくれる気配はない。きっと一生やめないだろう。
「お母さんのことよろしくお願いします。あと、帰ったらお店手伝うから」
れいは佐久間に真っ直ぐに向かい、深々と頭を下げた。
「ご心配は無用です。お母上も、店も。おひぃさまは、どうぞご学友と遊びにでも行かれるとよいかと」
「そんな友だちいないし。あと、おひぃさまはやめて」
「友というのは良いものですぞ。共に笑い、共に泣き、共に過ごした日々はかけがえのない宝ともなりましょう。おひぃさまにもいずれきっと……」
「ああもう、遅刻しちゃう。それじゃ、いってくるから。あと、おひぃさまはやめてね」
目を閉じ朗々と語り始めた佐久間を横目に、れいは店のドアを開けた。軽やかなベルの音が鳴り響く。
「ああそうだ、おひぃさま」
佐久間の呼びかけに、れいが開いたドアの向こうからひょいっと顔をのぞかせた。
「今晩のお祝いですが、献立は何にいたしましょう」
「オムライスっ!」
佐久間の言葉に間髪入れずにそう言い放つと、れいは今度こそドアの向こうに姿を消した。再びベルが鳴り、ドアが静かに閉じる。
佐久間は嬉しそうにくつくつと笑うと、
「かしこまりました」
つづく
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