#1「攫われた思い出」

 ――――夢を見ていた。いや、正しくは過去の思い出だ。


 思えばあの頃が最初の出会いだった。あれは僕が生まれたばかりの時の事……近所に住んでる白神さん一家と偶然遭遇する事になったのだ。僕の両親は共に白神さんとは仲が良く、よく一緒に遊んだり話したりしていた。


「お、大蛇か! まさか家族が出来て住む場所も隣同士とはな!」

「亜玲澄に雛乃さん……もしかしたらそういう運命なのかもな、俺達は」

「ははっ、お前もついにジョークを口にするようになったとは! 変わったなぁ!」

「……別にいつも通りだろ」

「いやいや〜、君は変わってるよ! 昔はもうツンツーンってしてたし?」

「……今も変わらん」


 他愛の無いやり取りに、互いの両親はくすりと笑みを零した。一方で彼らしか知らない話をずっと聞かされて暇そうにしている僕を、下から淡栗色の髪が特徴の小さな女の子がじっと僕を見つめていた。それに亜玲澄さんが気づき、同時に父さんと母さんの元に子供……つまり僕の事に気づいた。


「――あ、大蛇お前……ついに産まれたんだな! 子供!」

「あぁ、まだ生まれたばかりだがな。この子は美尊みこと。お前の子供の……2つ下の男の子だな」

「美尊かぁ……良い名前だな。立派に強く優しい子に育てよ少年」


 亜玲澄さんは優しく僕の頭をぽんぽんと叩きながらそう呟いた。更に亜玲澄さんは雛乃さんとの間で手を繋いでいる女の子に目を遣る。


 それが、初めての出会いだった。


彩芽あやめ、この子が近所の子供の美尊君。これから関わる機会が増えるだろうから、として仲良くしてあげてくれよ?」

「……お、ねえちゃん?」

「うん、お姉ちゃんだよ。いつもママがやってるみたいにお世話してあげてね」

「……! うん、今日から私、おねえちゃん!!」


 血縁関係ではないとはいえ、お姉ちゃんになれた事があまりにも嬉しいのか、白神彩芽しらかみあやめはぴょんぴょんと小さく飛び跳ねる。そんな彩芽に僕を抱いていたお母さんが突然しゃがみ出した。目線が彩芽と同じになる。お姉ちゃんとなった彩芽はニコニコと微笑みながら僕の頭をよしよしと撫でる。


「よしよ〜し、お姉ちゃんだよ〜」

「……おねえ、ちゃん」

「えへへっ……♪」


 思えばこの時から僕は血も繋がってない彩芽をお姉ちゃんと呼んでいたし、そう思っていた。その逆も然りだった。今でも変な関係だとは思っている。でも、更にそれは時が過ぎると共にエスカレートしていって……



「弟君! おはよ!」

「おはよ……って、お姉ちゃん何で家にいるの?」

「弟のお世話をするのがお姉ちゃんだよ! ちゃんと弟君の両親にも許可とったんだから! ほ〜ら、起きて〜!」

「ねぇちょっと……布団めくらないでよ寒いから!」

「ごめんって〜! お詫びにお姉ちゃんが温めてあげるっ♪」


 僕が小学校に入学してからは、血の繋がりが無い事の違和感を抱くこともなく姉弟として振る舞い、朝は常に僕の家に侵入しては僕を叩き起こし、時にはこうやって抱きついてきたりもしてきた。


「――弟君! 一緒に帰ろ!」

「やだよ恥ずかしい……」

「え〜いいじゃん! もう誰もいないからさ! ほらっ、手繋いで帰ろ!」

「……今日だけだからね」

「ありがと! 弟君は優しいな〜♪」


 毎回こうして彩芽と共に人気ひとけのない道を通ってカップルかのように手を繋いで帰ったりしていた。幼い頃からずっと一緒だったからか、緊張とかは一切しなかった。血が繋がってないとか、そういうのは考えないようにしていた。一瞬でもそれが過れば変に意識してしまうからだ。


「――ね、

「……!」


 でも、この日――彩芽の卒業式前最後の学校帰りはすごく緊張した。今でも忘れない。あの日の別れ際に、初めて彩芽が僕の名で僕を呼んだのだ。


「そ、その……一度しか、言わないから。ちゃんと聞いてて、ほしいな……」

「……何?」


 左隣を歩く彩芽の方を向きながら反応すると、彼女は少し顔を赤らめながら……両手をもじもじとさせ、深呼吸を一つ置く。唯一つの想いだけを胸に構え、覚悟を決めて僕の方を向いては口を開いた。 


「――大好き。もちろん、そういう意味で……ねっ」

「……!」


 その刹那、僕は気づかされた。いや、こみ上げては爆発した。幼い頃から一緒に過ごしてきた彼女の中に秘められていた、純情に満ちた想いが。これまで一緒にいるのが当たり前になっていて、本当の姉かのように接してきたからこそ、彼女から放たれるこの言葉には慣れてきたつもりだった。


 しかし、今回はその言葉の重みが違っていた。徐々に速まっていく心臓の鼓動がそれを証明する。当たり前で錯覚させられていた感覚が修正される。どれだけ僕の姉として過ごしていようと、白神彩芽はそれ以前に血の繋がらない、ただの一人の女の子なのだと。そう思うと、自然と意識が「お姉ちゃん」ではなく、「彩芽ちゃん」に向いてしまう。


「……私、いつでも待ってるからね。君が弟してじゃなく、一人の男の子として、私に大好きって言ってくれるまで」


 この頃の僕は恥ずかしさと驚きのあまり、返事をすることが出来なかった。そんな僕を察して、彩芽は僕の「その日」まで待ってる、と言ってくれた。そんな期待に満ちた言葉を残して彼女は僕に手を振って「じゃあね」と言いながら笑った。僕も彼女に「うん」と頷いて、同じように手を振って去り行く背中を見送る。

 

 

 遠く、小さくなっていく彩芽を写す視界に、突如白が灯る。無数の白線が朱色の風景を侵食する。その先に写る何かに、僕は目を見開くことしか出来ずに。


「――」


 僕の眼前に光景が消え去った。同時に身体の感覚が思い出され、記憶が現実に引き寄せられていく。これまでの思い出は過去に攫われ、忘れ去っていく。僕の願望が生み出した捏造なのではと、疑ってしまう程には。


「ん……」


 そして、僕が目を覚ました先に、現実が迎えに来てくれた。そこにはもう、彩芽と共にあの頃の思い出が攫われてしまった今があるのみだった。

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