星詠みは泡沫に

双葉ゆず

第1話 ドリームレス

 ───底なしの海の深淵。

 何とか裸眼で視認できるほど遠い水面から差し込む光芒だけが、辺りの暗闇を照らしている。


 睡魔の誘いに逆らわず瞼を閉じ、意識が現実から切り離された時、岸波きしなみはるかは決まって此処に居た。

 所詮は夢の中だ。水の温度も感じられなければ、水中で酸欠になることも無い。身動きが取れないのが唯一の難点である。呼吸と周囲の観察のみで一晩を過ごす。これほど退屈な夢を毎夜のように見るのは自分だけだろう、と遥は自負していた。

 けれど、この夢では不思議な現象も起きる。

 息を吸って吐いた時、視界を埋め尽くすように広がる泡沫。その一粒一粒に異なる映像が流れるのだ。見ることが出来るのは、自分の頭の高さを超えて浮上するまでのほんの一瞬。じっくりと観賞するには一粒だけでも捕まえるしかない。パッと目に入った泡を両手で確保して、そっと広げると──驚いたことに、泡は真珠みたいな硬い宝玉に変わり、手のひらの上を転がせるようになる。加えて音声まで聞こえ始める。 

 こうして見た映像の内容は全て、近い未来で実際に起きる出来事である。たとえば明日の朝ご飯とか、友達とのちょっとした会話のような取り留めのないことだったり、事故や地震など不吉なものもあったりと多種多様だ。 

 そんな中でもたった1つだけ、何度も見ている映像がある。目覚めれば綺麗さっぱり忘れてしまっているけれど、再度目にして思い出す。


 ……前に見た■■が■■を■■■■■■夢だ、と。




 

「──てコトで、彼女をスカウトしたってワケ」

「理由になっていませんよ。何が『てコトで』ですか」


 2024年4月。京都府内、某市街地。

 シルバーのボディの普通自動車を運転する男が眉間に皺を寄せる。原因は言うまでもなく、後部座席の真ん中に座る深縹の髪の男だ。髪色は勿論のこと、現代では物珍しい袴姿の彼は、黒スーツに明るい水色のネクタイを合わせた運転席の男より遥かに目立っていた。

「そこは察してよ霧宮キリミヤくん。話した通り、岸波遥には【星詠みの巫女】の素質と卓越した才能がある。スカウト以外の選択肢は有り得ないだろう?」

「確かに岸波さんが持つ未来透視術は、今現在は廃れたものとされていた稀代の相伝術式です。希少価値こそあると思いますが……使えるんですか、彼女」

「それは少し違うね」

 耳に重く響いた声。瞬間、霧宮はバックミラーに映る真紅の瞳が放つ、鋭い眼光を見てしまった。 

(あぁぁ、やっちった……!)

 今更ながら後悔する霧宮。仕事人としての表情は崩れていないが、額に冷や汗が滲んでいる。

 使えるんですか、などと無意識に言ってしまったが、ひとりの人間を物と見なすような表現は誰であれ癪に障るのは当然だ。これでは実力主義で頭のお固い御三家と同じ思考である。 

遠國とおくにさん、今のは失言でした。すみませ──」

 内心焦りを感じた霧宮は咄嗟に口を開いた、が。

「いいかい、霧宮くん。これは彼女が陰陽師として使えるか否かの話じゃない。今から使えるように育てるんだよ。その為に無理矢理うちの高校に入学させたんだ。彼女は素人だからこそ伸びしろ充分だし、何より優秀な生徒達がいる。特に今年度の新入生は粒揃い。不安要素はゼロじゃないけど、きっと立派な陰陽師になれるさ」


 彼が意気揚々と話す中で、一般人にはあまり聞き馴染みのないワード──それ即ち“陰陽師”。遠國と霧宮もその1人である。

 元々、陰陽師とは官職の1つとして過去に実在し、主に占いや祈祷を行っていた。呪禁師の制度が廃止されて以降は悪霊を祓う仕事も受け持つようになったと言われている。そんな陰陽師も明治時代に禁止され、彼らの記録や逸話は度重なる歴史の中に埋もれてしまった。

 だがしかし、戦後より御三家を中心に【神在月】という新たな組織を構え、今や教育機関まで設立した陰陽師は、現代に於いて暗躍する秘匿存在となったのだ。

  

「……あと、僕の呼び方は時雨シグレさんね」

「あっ、そうでした。気を付けます」

(良かった、説教じゃなくて……) 

 霧宮が安心感に浸っているのも束の間、時雨が懐に入れているスマートフォンが鳴った。早くも2コール目で電話に出る。

「はいはい。今どんな感じ?」

夏向かなたが岸波さんと合流したそうです』

 時雨に似た低い声が聞こえる。霧宮は電話の相手が誰か何となく分かった。十中八九、高校の生徒だろう。 

「ここまでは順調だね。そんじゃ暁人アキトには特別に、高校敷地内での召喚術式の使用を許可する。ササッと誰か喚んで夏向の援護を要請して」

『そんな簡単に許可出して大丈夫なんですか』

「今回の任務の最優先事項は、岸波遥を高校まで安全に送り届けることだ。理事長特権もあるし問題ないよ」

『上に怒られても俺は知りませんよ』

「そう言いつつ準備してるんだろう。昔から真面目なところは変わらないな。ほら、十歳二ヶ月六日の暁人が術式開花した時なんてさ、」

 相手が電話を切ったらしい。時雨は耳に当てていたスマホをゆっくり膝に下ろし、あからさまにしょぼくれた顔をした。

「ねえ、霧宮くん。僕もしかして何かしたかな……」

「長々と話を続けるからじゃないですか?」

「なんか適当に言ってない?」

「真面目に答えてますよ。任務中に思い出話をする余裕は無いでしょう」

 時雨に疑いの目を向けられ、強く言い返す霧宮。

 ……電話を切られた原因は大方、長話がどうこうより時雨の口からストーカーじみた発言が飛び出したことだろうが。

「そっか……反省、反省」

 今に至るまでほぼ延々と喋りっぱなしだった時雨は、漸く落ち着いたかと思えば「僕も会いたかったなあ、遥ちゃん」なんて吐露した。

 ……何だ、その推してる芸能人のイベントに行けなかった人みたいな呟きは。反応に困った霧宮はとにかく無難に「会ったことないんですか」と訊いた。

「いやあ、彼女が意識不明の時に会って、それっきりだからね。暁人と夏向が羨ましいよ。……いっその事、御三家会合は仮病で休んで直接会いに行けば、」

「それだけは絶対に駄目ですからね」

「ジョーダン、ジョーダン。でも君なら僕の気持ち、分かるだろう? 御三家の当主が揃って食事、並行して会議とか、面倒にも程があるっての」

 実際、時雨の言い分は御尤もだ。付き添いの形で同席する霧宮も、陰陽師の仕事の方が幾分かマシと思うくらいには会合への苦手意識が強い。しかしながら、かく言うあなたも御三家でしょうが、と突っ込む勇気は無かった。

「霧宮くん、ソコの店で停めて」

 時雨が指差す先には、こじんまりとした木造の一戸建てが見えた。全国的にメディアでよく取り上げられる老舗の和菓子屋だ。平日の朝方ということもあり、来客は少ないようだ。

「何か用事ですか?」

「菓子折り買うの忘れてた。紺堂コンドウ家のご令嬢は何かしら甘味あげとけば言うコト聞いてくれるでしょ」

「ああ、成程……」

(御三家の中でも紺堂さんは特に口うるさいけど、たかが菓子折りで釣られて、というのも何だかな……)

 可哀想だ、と胸に抱いた感情をこっそり奥へと仕舞い込み、霧宮は道路脇に車を停めた。

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星詠みは泡沫に 双葉ゆず @yuzu_futaba

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