エピローグ

崩れた橋、残り風

 好葉は泥のように朝まで眠った。

 起きると、自身だけでなく部屋中が泥臭くなっていることに気付き、大慌てで脱衣所へ向かった。

 隣に美しいものが並んでおり、騒々しい自分とは違い、死んだように綺麗な寝顔だったが、余計に、泥臭くてすみません、と駆られ、目覚めるまで彼女の寝顔を拝謁するわけにはいかなかった。

 好葉は経緯を覚えていないが、小撫の部屋で眠ったのは確かなよう。


 朝食も母家の居間で。

 将親はこの街の機関支部へ伺うとのことで、珍しくスーツを着用している。着物姿が目に焼き付いている分、好葉には新鮮に映ったが、将親自身も同様で、ネクタイを和紗に結び直してもらっていた。

 急ぎの用事なら仕方ない。好葉は遠慮して諸々を問えなかったが、将親の方から「さて、答えよう」と言い出したため、遠慮を解くことにした。

 いつものように由埜親子と自分とで食卓を囲う中、好葉は彼との関係と、彼がどのような人となりだったのかを聞いた。

 将親と柳戸は若い頃に道場で出会い、切磋琢磨した、相棒と呼べる間柄だったそう。将親が当主を継ぎ、指揮に回って己が拳を振るう機会が減るまでは、二人が率先してこの街の脅威を排除していたのだと言う。

 柳戸の武を痛いほど知る好葉と小撫は、彼が背中を預けるほどだったという眼前の現当主にようやく畏敬を覚えた。

(怪獣とか言われてたような……)

 今と比べて当時は荒々しいものだったのかも……と、好葉は目を合わせにくくなった。

 ゴーレスが蔓延るより前の時代だが、今と同様、社会悪かつ狂暴な存在というのは常に一定数いる。そのため、正義の側として戦える者も常に求められてきた。

 その、好葉と小撫が台頭する前の時代における最強の格闘家が柳戸粋だったのだ。

 そんな彼が、ゴーレスたちを増やし、非業の機会を与える巨悪になった。

 将親と機関はとうに知っていた。今まで捕らえたゴーレスたちの情報を繋ぎ合わせた結果、破門・追放されたあの男の形が出来上がったと。現当主の旧友だと知れば、少女たちに限らず、柳戸と衝突する展開になった場合の隊員たちも躊躇すると思い、あえて他言を控えたのだ。

 破門・追放された理由を恐る恐る問うと、将親は一変、嘲るようにほころんだ。

「一言で言えば、加減しない男だった。悪と認識した相手には容赦なく猛威を振るう。『殺さずの掟』を絶対とするうちとは相性最悪。食事時にすまんがな、あいつは若い頃から何人も人を殺してるんだ」

 コップを置く将親の目には、悲しみも、怒りのようなものも感じ取れない。運命として全てを受け入れている様子で、自分たちにはない行雲流水の姿勢だと、少女たちは感じた。

「やり過ぎるあいつを咎める。あいつもやり過ぎを自覚している。それでもやり方を改めることはなかった。お前たちが生まれる前の話だが、毎日のように口論になったよ。俺としては父上の方が怖かったから屁でもなかったし、喧嘩も五分五分と分かっていたから付き合えたんだが」

 将親は誰もいない畳の間を見つめた。そこに、彼との憧憬があったのだ。

「俺が当主を継ぐことになったのも、元凶はあいつだ。本当はもう少し遊びたかったのになぁ。

 当然だが、機関からお達しが来てな。掟を破る者など置いておけない、機関だけでなく道場からも外せと。世間にバレない範囲で暴れていたから許されていたが、悪党相手とはいえ平然と人を殺せるあいつが恐ろしくなっていったんだろうなぁ」

 将親は牛乳を含み、目を細める。

「あいつは引かなかった。だが、父上も引かなかった。結果、二人は衝突。決闘で勝った方の意見を通すことになった。柳戸が勝てば残留、『殺さずの掟』も改めよと。父上が勝てば破門・追放、拘置所行きだ」

「……それで、あの人が勝った?」

 顔をしかめる好葉に瞬きする。

「父上が俺に座を譲ったのは、衰えによるものではない。分かるな?」

 少女たちの背筋が凍る。

「柳戸は結局自ら道場を、機関を離れていった。俺たちに失望して」

「あなた……」

 憂う妻に、将親は口角を上げた。

「俺は掟を貫いてきたが、それはそれとして結構暴れていた。少なくとも、あいつの相棒に能う力はあったと自負している。だが、和紗や、生まれてくる小撫、道場の看板を守るため、去り行くあいつを止めるのは得策じゃないと判断して決闘を申し込まなかった。……言い訳だがな。

 その後、俺が当主となり、和紗と契り、小撫が生まれ、今日まで……いや、あいつがゴーレムになるより前から、どこで何をしていたのかは俺にも分からない。ただ――」

 将親の眼差しは、どこか、慈しむような色を纏っていた。

「本来、俺たちの狩るべき悪党が根城に赴いた頃には死んでいた、なんて事がいくつもあった。確証はないが、あいつがやってきたことだと俺は思っている」

 将親と違い、三人の喉はカラカラ。察して「あの野郎が回復したら問い詰めるさ」と言い、食べろ、と顎で促した。

 和紗と小撫は遠慮がちながらに食器を取った。

 好葉も食器を取ったが、後で分かることでも今のうちに問わねばならなかった。

「あの人、私のお父さんとも知り合いだったかもしれないんですけど……」

 由埜親子が揃って目を見開き、胸が締め付けられたが、そんな好葉の憂いを晴らすことこそ、ここにいる誰にも不可能だった。


 晴らせるのは本人のみだった。

 この街の最大悪ということで、好葉すら会って話すことを認められなかったが、代わりに彼と会ってきた将親から真実を明かされた。

「お前の父君、正人氏とは学友だったそうだ。追放後、うらぶれていた時期にも何度か会っており、家に上がる機会もあったそうだ。柳戸は、まだ幼子だった頃からお前を知っていた、と話した」

 亡き父と最大の敵は、悲運に翻弄されるより以前、自分が生まれてくるよりも前から繋がっていた。

 将親にも、誰にも説明されずとも、神の傀儡となった柳戸粋が、狂暴化した父・正人を殺めた理由が分かった。

 好葉はその後、誰もいない場所で頭を抱えて慟哭した。


 そのように、父と敵の真実を知る十日後と比べてしまえば、決戦後日の朝、将親に「今日は家で寛ぎなさい。それと、父上のもとへ伺うように」と言われ、そのようにした好葉の落ち着きぶりは異常とすら取れる。

 好葉と小撫は、他の隊員や機関・政府より一早く、この戦いの真実を宗瀧から聞かされたのだが、好葉は終始「へー」って感じだった。小撫は祖父よりも好葉の態度に、流石に不遜では……と、ハラハラしていたというのに。

 神とは何だったのか、ゴーレスとは何のために在ったのか、この街は彼がしくじった場合にどうなっていたのか。小撫は全貌がめくられるたびに血の気が引いたが、比較すれば好葉はボケているほどだった。

「十年、あの者の娘をやった恩恵か」

 何と宗瀧こそが好葉の不遜ぶりに大笑するため、いよいよ小撫は目が回る思いだった。

 姿がスガタで、この街を、世界を滅ぼすつもりの悪神を裁く天使だったのだとしても、好葉には驚愕も疑念もなく、「何となくそういうものなのかなって曖昧に思っていました」と言い切り、小撫は開いた口がしばらく塞がらなかった。


 ――電波塔の広場で決着をつける。神がお前たちを見放した以上、俺がお前たちを守ってやる。


 そう言って姿は祖父の間を離れ、最後に娘の寝顔を見てから決戦に進み、勝利を収めたのだ。

 好葉は口角を広げるも、眉は震えて止まなかった。

 彼女がそのようにするのなら……と、小撫も彼への恩義より、万感の敬意を思うのみで留めた。

 

 機関に回収されたゴーレスたちは、一体たりとも爆発せず、その場で物言わぬ廃人と化した。

 また、ゴーレスが全てこの街からいなくなったとは断定できず、残党がどこかで息を潜めている可能性がある以上、好葉は棍を倉庫に仕舞うのを躊躇った。

 仮にゴーレスとの戦いが終わっても、鍛錬は継続していくつもりでいるため、この日曜日はこれまでの日曜日と大差なかった。

「うわ」

 違いがあるとすれば、これに尽きる。

 祖父の間を離れ、小撫を部屋で休ませ、離れに帰ってきた。今後もここで暮らすのか、あるいは、小撫と深く親密な関係になってもいい頃合いなのではないかと悩み、二階まで歩いてきたが、その扉を開けた途端、あらゆる煩悩が忘れ去られた。

 自分の部屋の隣、姿の部屋を訪れる機会は多々あった。

 悪夢に怯えて眠れない日などは、乞うように廊下を駆けて扉を開けた。年齢が二桁になるまでは布団を持ってきて床に敷いたし、以降も何度か、姿と語らい、気を紛らわせた夜もある。

 離れを借りて間もない頃も、そのように縋った時の刹那も、今も、部屋の様相は同じだった。

「愛がないねぇ」

 好葉はおもむろに窓を開けた。秋風が、あの頃より伸びた髪をなびかせ、頬をくすぐる。 

 しかし、振り返ると、清々しい思いまでも吹き飛ばされてしまう。

 姿の部屋には元よりベッドと机しかないうえ、布団や机上の物すらも除かれていたのだ。

「掃除は楽だけどさ」

 気が済むまで、または気まぐれでここの掃除もやっていくつもりのため、自然とそのような言葉になった。窓を開けたのも換気目的と思い出す。

 好葉が小学生の頃、二人で図書館や本屋に行ったことがある。それからレトロな喫茶店に入り、小説や旅行雑誌のページをめくる彼の、何の感動も窺えない顔色を観察したことなども。

 そのため、せめて本くらいは……と思うも、書籍など一冊とて置かれていない。

 思えば彼は、本は借りて返すのが主で、買った場合も、読み終えたらすぐ読書家の道場生に譲るのが常だった。

 最後に何も残さないために。

「いいもん」

 過去の憧憬に引きずり込まれそうになるも、好葉は割り切り、一旦去ることにした。

 窓にはカーテンが掛かっていない。おかげで陽射しが強く入る。眩しさに付き合え切れないことから、ここを去るのに抵抗を覚えなかった。

 開けっ放しの扉。廊下へ出ようとすると……。


 ――これまでの十年が全てだ。


 電話越しの彼の言葉が蘇り、頬に熱いものが伝った。

 寂しいものは寂しい。泣きたい時は遠慮なく泣かせていただく。この先も、いつも通りに。

 こんなに騒がしい自分をも許してくれた彼がいたのなら、開き直って明日を見つめてみようと、そう思えるようになった。

 振り返り、今は何もない、しかして十年、彼がいたこの場所に頭を下げた。


 ――姿が目の前に現れた瞬間から、私は救われていたんだ。


 他の誰にも感じ得ない、自分と彼の記憶。それを思えば、この先に待つ未知なる苦難もどうにか乗り越えていける気がする。

 魔法のような、胸を温めてくれる吹雪の人だった。

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