この世界で/スガタ Ⅱ
赫々と、電波塔を焼き尽くすような光を放ち、神たるゴーレムはその場で膝を地に着けた。
両膝を、両手を地に着けるも、それが降伏の姿勢ではないのは明らかで、スガタは動じずに見下ろす。
神は激しい憤怒に駆られていた。
自らの人間界を自らの手で壊し、好き放題に創り返す。それは他でもなく自らの権利であり、誰彼に阻まれていいものではない。
人知れず終焉をやり切る狙いも、現存の人類に痛みを与えないため、という温情のつもりでいる。
それを阻もうとする、そも、この世界の住人ですらない異物などに、神というだけで別に何もしていない、と言われればこうもなる。段階を踏んで慈悲や懺悔の時間を際に設けてやるつもりでいたが、それはナシとなった。
『殺す』
冷酷無比な側面を露わにし、一体の地面に神の魔力を布く。
スガタの足元がひび割れ、中からターコイズ色の光が浮かび上がった。
それが神と同じ赤に化けた直後、爆発が起きた。
電波塔が揺さぶられるほどの大地震だった。
広場で神と天使が衝突しているなど知るはずもない人類でさえ、揺れには敏感にならざるを得なかった。
地震はこの街の全域に伝い、誰もが身の危険を感じて戸惑った。
都市部に至っては皆して電波塔を眺め、胸に祈りを込めるほどまで終わりを恐れていた。
単純な爆発だったが、神は手応えを得ず、爆風の中にある天敵の影に容赦なく次を繰り出した。
瓦礫の山からミサイルの形をした光が二十発分出で、神の合図により一斉に発射された。
自身にも危害が及ぶ爆発となるが、神は構わず立ち上がった。
堅牢な体となったからではなく、それら光体も、光体が及ぼす爆発も自らが支配しているもののため、傷を負うことはなく、焼けるような突風も涼しく思うほど。
何せ天使が死ぬのだ。こいつさえ始末すれば、この先に恐れるものは何もない。
もっとも、天使とは武力を以て神を裁く存在だ。仕留めるにはまだ足りないと、神は弁えている。
爆風が薄れてもなお平然と佇んでいることより、一向に反撃してこないことの方が妙なのだ。
『情けない』
スガタは無傷どころか衣も一切汚れていなかった。風を受け、少しだけ滑った眼鏡を人差し指で正している。
『貴方は私の域に達しなかった』
神は攻撃が通用していない現実を幻とした。
『ゴーレスになる条件も、存在も、貴方の考察は全て外れていた。好葉さんが我が傀儡と邂逅したのであれば正しい情報を得たはずです。貴方の知らない真実を。分かりますか? 貴方は人間の娘にすら遅れを取っている。神殺しの裁定者になど能わない、無能な俗物へと落ちぶれたのだ!』
煙が薄く立ち込める中、スガタの周囲に赤い粉塵が生じた。
これは、人の営みに存在していい代物ではない。この正体を人の身で知れば、即座に狼狽え、未来に希望を持てなくなって然るもの。
赤い粉塵の正体は、核そのものであり、核爆発後に起こる熱と放射性物質を既に発している、皆殺しの猛毒に他ならない。
『更に!』
神が掌をかざすと、新たに紫色の粉塵が追加され、スガタはいよいよ粉塵に身を隠された。
これも毒だ。触れた箇所から肉が泡立ち、水溜まりになるまで溶かされる溶解物質。
これら二つを同時に爆裂させる。
神は勝利を確信し、裁定者というだけで別に何もできなかった天使に涎を垂らした。
『天使、貴方の負けだ! 十年もこの街にいたというのに、私の蓑を探し出せず、柳戸粋を事前に排除せず、俗事などに現を抜かしていた貴方の甘さが招いた結果だ! この世界が滅ぶのは貴方の怠慢のせいなのだ!』
神が力強く掌を閉じると、正しく創世を告げるように視界が光に覆われた。
轟音と紅蓮を前に、神殺しを克服した事実と希望溢れる未来に神は大笑した。
「誤解を解いておくが」
大笑は長く続かなかった。
もうここに用はない。電波塔の頂上へ移り、ゆるり、洗脳と殺戮を開始しようと……そのつもりでいた。
神は十分に理解していた。奴を片付けなくては始まらないことも、しくじれば己に未来がないことも。
故に動揺を留め切れない。
そこに、何人も生息することのできなくなった汚染と破滅の地点に、あれほどの災いを浴びてもなお不退転でいられる者が在る以上、神はここで釘付けとなり、何故と、止まない疑念にかき乱される始末となった。
「ゴーレスに関しては貴様の言う通りだ。俺はゴーレスが何たるかを把握し切れなかった。貴様が俺を上回った唯一の点と言えよう」
神は岩みたく指一つ動かせなかった。
「だが、探し出せず、というのは誤りだ」
スガタは虚勢を張っているわけでもなく万全だった。
「俺は貴様のことなど初めから探していない。現を抜かしていた、というのは正解で、他にやることがあったからな。貴様などは表に出てきてから叩けば良いと判断し、捨て置いただけのこと。一昨日の夜に言ったはずだ。この街には率先して闇の脅威に立ち向かえる者が大勢いる、楽をさせてもらっている、と」
冷酷を冷然まで戻してやったスガタだが、神には悪魔に変わりない。
『……あり得ない』
神にはスガタの声こそくぐもって聞こえた。生まれる前から虚弱になると決まっていた下位の人種のようで腸が煮えくり返る。
『どうなっている?』
他者に関心を持たない神は、スガタの経緯より、未だに万全でいられることへの疑念で頭がいっぱいになっていた。
「『上には上がいる』とは、どの世界にもある言葉だろう? それと――」
スガタが言い切る前に神は次の手段を下した。
何よりも天使の見下すような態度を崩したく、またも足元と、それから四方を囲って巨大な岩の蛇を出現させた。
岩蛇の口や体内にも同じ猛毒が含まれており、それが無効でも、呑み込んでしまえば紙を丸めるのと同じ作業。
破られた場合は四方の岩蛇で畳み掛ける。岩蛇は毒ガスを吐くことも可能なため、必勝法となる。
四方の岩蛇は崩れた地面から頭を出し、人類であれば脳が狂うほどの奇声を発した。
しかし、スガタの足元から出てくるはずの一体目はいつまで経っても出てこず、産声を上げることすらなかった。
「これは昨夜の答えだが」
『クソ!』
天使はもう何度も何かを繰り出している。
それが何なのか、神には見当がつかない。天使がどのような存在かまでは知っていても、戦術に関する知見は欠片も持ち合わせていないからだ。
理由は単純。他所の悪神と連絡を取る手段があり、天使に関する情報を得る機会があったとはいえ、悪神であるからには例外なく裁定を下され、処されているからである。人間界の征服を決断した悪神が、その後どのように裁かれたかまでは知りようがないのだ。
スガタが目を見開いた直後、ボッと物が燃える音が鳴り、四方の岩蛇が一瞬で消滅した。
神は我が目を疑い、自分もそのように処されるのかと悟り、総毛立った。
「我々のやり方はそれぞれ異なる。俺の場合はこれだ」
正面にかざしたスガタの右手に魔力が灯る。蠟燭のように細やかなものだが、それを前に神は、これを相手に決戦など……と、打ちひしがれるほどの差を感じた。
量ではない。質が比べ物にならないのだ。
「
唱え、得物が現れる。ゴゴゴ……と炎の音を立てる、雪のように真っ白な長刀だった。
天使にはそれぞれ、悪神の探知などとは異なる独自の特性や武器があり、スガタの場合がこれらなのだ。
「客間にて俺を包囲したゴーレス共が消え去ったのも、貴様の攻撃が通用していないのも、全ては俺が手を下したからに過ぎん。我が白火は触れたもの全てを木っ端微塵以下まで焼き尽くす。単純に言えば存在の完全抹消だ。目に映るもの、映らないもの問わず。先程の死に至る物質なども同様にな」
『……ずるい』
「哀れ、悪神に相応しい無運か。自分で言うが、俺は天界使士が全て揃っていた時代においても最強の天使として王より評されていたうえ、同業からも、秤そのもの、と言われるほど情けをかけてこなかった。今は……多少は甘くなったかもしれんが、刃を晒した以上は必ず殺す、その信条は揺るがん」
長刀を軽く振るうと、周囲に残っていた有毒物質が諸共に無となった。
その瞬間を目で確かめた神は、今度こそ降伏の意味で膝を突いた。
『ごめんなさい、ごめんなさい! 調子に乗りました! ですが、私だって辛かったのです! 人類や貴方と違い、ただ世界の行く末を見守るなんて暇――』
「笑止」
スガタが白火を掲げると、神は死の恐怖に呑まれた。
『ああ……ああああっ!』
「裁定は既に決している。悪神に堕ちたこと。元は何もなく、虚空を彷徨っていたところを我が王に拾われ、自らの希望によりこの世界の管理を承ったにも関わらず、時を言い訳に恩寵を忘却するなど、王への侮蔑に他ならん。よって死ね」
長刀から白い炎が立ち上る。
一振りによりこの身が滅ぶと知る神も、抗う術は何もない。
目に見えないままにしてほしかったのに、それなら恐怖も感じに済んだのに……と駄々をこねたいところ、もう声が出なかった。
「天界使士Ⅲ、いつも通りだ。私情など一切挟んでいない」
聖なる業火が振り下ろされた。
白い風に呑まれた神は、顕現が叶ったことすら夢幻だったかのように、存在より先に心を見失った。
スガタの戦いは終わった。彼らしい、粛々とした作業の裁定だった。
ゴーレスを生む悪神は滅び、これ以上その子供が増えることもない。であれば、もうここに用はないと判じ、決別と旅立ちの白い扉を開いた。
ふと、意識なく鼻が鳴った。
最後にこの街の風を感じてから去ろうと思い、異界のセーフハウスではなく、いつも通り、電波塔の頂上に白い扉を繋げた。
街を一望できる場所だ。教会の様子も見えて一石二鳥というのもある。
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