この世界で/白い鳥 Ⅲ

 タクシーで病院に戻るよう促すスガタだが、その際、ついでのように告げたことがある。

「お前はもうすぐ死ぬが、その信仰はもうやめろ」

「はい⁉」と驚くも、スガタの冷然は一切崩せなかった。

「あの教会は腐敗している。祈りは自由だが、無自覚で悪魔を崇拝しているようでは見るに堪えん。俺が仁能姿と名乗る意味をよく考えろ」

 恩人とはいえ、さっき会ったばかりの青年に雪那の信仰は一蹴された。

 由埜道場を伺うのはこの女が死んでからでいい、先に神の調査と、この人間界を見て回ろう……と思案するスガタだが、傷心の女子小学生の前に美青年が現れ、自分が親代わりだ、と名乗るのは色々まずいと意見された。

 小撫ちゃんのご両親には連絡を入れるけど、それだけでは好葉の心が置いていかれてしまう……と案じた雪那は、掛けていた眼鏡を彼に託すことにした。フレームの内側に自分たちのイニシャルが彫ってあるから、それで多少は信用を得られるはずと。

 大切な物を託すに足る相手なら、娘も考えてくれると信じて。



 託された黒縁の眼鏡を娘の枕元に返した。「碌な親子じゃない」と愚痴を零して。

 ふと、今だけでは足りない、好葉と過ごした日々の記憶が蘇ってきて、つい吹き出しそうになった。スガタにとって十年は十日ほどの感覚だが、あまりに濃厚な時の流れだったからだ。

「忘れられんだろうな」

 目覚めまでまだ掛かる。らしくない吐露をするなら今のうちだった。

「いつも通りだ。お前は間違っていないし、間違っても良いのだから。俺もお前も、いつも通りで良い」

 ベッドに背を向け、好葉でさえ滅多に見なかった素顔に右手をかざした。

 ジジ……と、薄い木の板を焼くような音と共に、無から眼鏡が表出されて顔に掛かった。

 彼といえばこれに限る、白銀のフレームだった。


 思いのほか親代わりを長くやり、この人間界の風も浸透してきた頃だが、今はもう悪神を処す裁定者の相貌に戻っていた。

 好葉の戦いがまだ終わっていないように、スガタは本来の目的を遂行すべく、人知れず蝕まれる神の領域へ。

 この街に限らず、全人類にとってありふれた空の色が、スガタの目にはターコイズ色に映っていた。

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