第38話 人生ってやつは

さて、亜人であるパルトと安心して過ごすため、家族との別れを惜しみつつも、アイビオリスの森近くの別荘に旅立ったダビド。パルトとともに乗った馬車は、まもなく目的地へと到着する。






「大旦那さま、お待ちしておりました。」



馬車から降りて早々、俺は言葉を失った。これから住む屋敷には誰もいないと思っていたのに、屋敷の前には執事とメイドたちがずらりと勢揃いしていたからだ。パルトも困惑どころか、戦々恐々としている様子で俺の後ろに隠れてしまっている。


だが、そんな俺たちの反応になど構うことなく、執事長代理の男が表情ひとつ変えぬまま丁寧に頭を下げると、後ろに続くメイドたちもそれに倣って一斉に頭を下げた。



「お……お前たち……なんでいるんじゃ?」


「それはもちろん、アルベルト様からのご指示でございます。」



頭を上げながら、飄々とした態度でそう告げる執事長代理。彼はクロフォード家に仕える執事の1人で、執事長の弟でもある。おおかた、本家を離れられない兄に代わって、ここに派遣されたのだろう。



(アルベルトの奴め……余計なことを……。)



俺は内心で息子に悪態をついた。そもそも、俺が驚いた理由には、この男が関係しているからだ。


クロフォード家の執事兄弟は、性格が正反対であることで有名だ。兄シュデルツはとても大らかで鷹揚。まるで仏のような男であり、加えて、俺の信仰にも理解のある男でもある。なにせ、クロフォード家を立つ前に、バイブルをこっそりと手渡してくれるくらいだ。これがなければ、これからの生活で俺は発狂してしていたかもしれない。それくらい、兄シュデルツはダビドという人間を理解してくれている。

だが、弟の……この目の前にいるシュバルツという男は、まさに厳格が人の皮を被って歩いているような人物。と言っても過言ではない。それは、この釣り上がった冷淡な眼を見てもわかるほどに。



「……しかし、シュバルツよ。わしとこの子だけで住むのに、この人数はやり過ぎではないかのぉ?」



向けられた冷徹な視線をかわしつつ、俺が皮肉っぽくそう言うと、シュバルツは片眉をピクリと上げた。



「大旦那さま。我々執事とメイドの本分は、主人に仕えること。こんな深淵に近いところでお二人がお住みになるというのに……これだけでは足りないとさえ思っております。」



そう告げて改めて丁寧に頭を下げるが、そこには威圧感が混じっている。執事のくせに、主人を威圧するってどういうことだよと思うも、これがシュバルツという男なのだ。もはや、考えても仕方がないのである。

まぁ、彼なりにクロフォード家のことを大切に考えてくれていることは、俺もアルベルトも理解している。だから、特に何も言わない。何も言わないが、周りから見ればそれはそれで異質に見えるようだ。最近知ったが、クロフォード家の執事兄弟は近所からは仏のシュデルツ、鬼のシュバルツと呼ばれているらしい……。


それはそれとて。

そんな彼の登場は、俺にとって非常に由々しき問題である。俺が最初に驚いた理由もそれだ。俺はこのシュバルツという男が苦手なのである。


言うまでもないが、この男は"厳格"の権化たるゆえ、俺の信仰にはあまり理解がない。家族にばれないように兄シュデルツのようにうまく立ち回ってくれるどころか、命と同じくらい大切な俺のバイブルたちを、何度も捨てられそうになっている。

確かに俺の愛しきバイブルたちは、全て国家機密の秘匿文書級(もちろん、普通とは違う意味で。)であり、絶対に公にはできない代物ばかりである。これはこのダビドという男が、これまでの生涯をかけて集めてきた努力の結晶であるわけだが、どうやらシュバルツ的には、大将校まで登り詰めた男が引退後にそんな代物たちに囲まれて過ごしていることが世にバレれば、クロフォード家の地位と名声が失墜する、と考えているらしい。


だから、その存在に気づくや否や、彼らの抹殺を試みるのである。


巧妙に隠したとしても、必ず見つけ出すその嗅覚は驚嘆に値するが、そのおかげで戦友たちを何人か泣く泣く諦めることになったことも、また事実。


俺は脇に挟んでいた封筒を、自然な装いでパルトへと手渡し、彼の目に触れないようにする。この行動は無意識……というよりは本能が危険を察知したことで起きた。が、それに目聡く気づいたシュバルツが「それは?」と聞いてきたので、これからパルトに教える剣術の指南書だと誤魔化しておく。ここには援護射撃をしてくれる兄シュデルツもいないため、内心ではバレないだろうかとヒヤヒヤしていたが、パルトがそれを大切に抱きしめたため、シュバルツも妙な勘ぐりをやめたようだ。


俺は内心でホッとしたが、しかし……。



(やっぱりこいつは苦手……いや、危険だ。)



俺の危険信号がバチバチに反応している。現在進行形で、シュバルツの魔の手に晒されているこの一冊の愛しきバイブルをどうにかして守り抜がなければならない。本来なら、この辺境の地に引っ越すことになった時にそれら全てを持ってくるつもりだった。だが、エマたちの目を盗んでバイブルたちを連れ出すのは至難の業であることに加え、たとえこの地に持って来れたとしても、まだ子供であるパルトに情報が漏れ出た時の影響を考えてみると、教育的に……いや、倫理的によろしくない。最終的にはそう判断し、持ち出すのはやめることにしたのである。


唯一、兄執事シュデルツの計らいで連れて来られたこの一冊。これは、これからの生活において俺のオアシスとなる存在なのだから。



「……で、お主らはいつまでここにおるんじゃ?」



ここぞとばかりに、俺はシュバルツに問いかける。

どうにかして、彼らを……いや、メイドたちはどっちでもいいが、彼シュバルツだけでも本家に帰ってもらわねばならない。でなければ、安心して夜も眠れない。


その言葉に対する弟執事のシュバルツの反応は、予想どおりだ。彼は眉をピクリと動かすと、静かに口を開く。



「……それは……どういった意味で?」



再び放たれる威圧感。もはやわかりやす過ぎて笑いすら込み上げてくるが、俺はそれを飄々とかわして答えを口にする。



「シュバルツよ。この子を見てみぃ。怯えてしまってずっとこの調子じゃ。こんなんで、平穏な暮らしができるか?」



パルトに視線を向ける。本家を出発する時もそうだったが、彼はまだまだ人に慣れてない。こんなに大勢に囲まれたら、おちおち寝ることすら難しいだろう。それが今の彼の態度に現れている。

視線をシュバルツに戻すと、彼もパルトのことを見据えている。その表情が変わることはないが、どうやら何かを思案しているようだ。


彼はゆっくりと口を開く。



「ですから、我々がこうしてお二人の身の回りの……」


「甘い!」



その言葉を俺はすぐさま遮った。シュバルツもこれには驚いたのか、口を開けたまま少し目を見開いている。


よし。ここが好機である。



「そもそも、人が多過ぎなんじゃ。パルトはまだ人に慣れとらん。なのにこんなにも騒がしかったら、そりゃあ、怯えてしまうじゃろうに。お前も知ってはいるはずじゃが、この子はすでにクロフォードの一員じゃぞ?執事の本分が主人に仕えることならば、この子にも配慮すべきではないのか?のう、シュバルツ!もう少し思慮を深めんか。」


「……!」



俺の叱咤に対し、シュバルツはさらに目を見開いた。おそらく、自身の配慮不足を指摘されて動揺しているのだ。シュバルツは厳格でプライドも高い。その分、自分のミスを指摘されることが何よりの屈辱なのだ。


そんな彼の様子を見て、俺は諭すように話を続ける。



「まだまだ何も知らないこの子に、下手な先入観はよろしくないじゃろう?まずはわしの方からパルトに人間のことをしっかりと教えようと思う。その方がこの子の負担も少なかろう。だから……」



「だから、ここは任せてお前たちは帰れ。」と言いかけた瞬間だった。



「わかりました。」



シュバルツが先にその口を開く。言葉を遮られて少し焦った俺だったが、目を閉じてそう告げるシュバルツを見て、内心で「勝った。」と思った。これで天敵を追い出すことができる、と。


しかし、ことはそう上手くは運ばない。話を早くまとめたい俺が早速荷造りなどの準備を促そうとした矢先、シュバルツから恐ろしい提案がなされたのだ。



「では、私以外全ての人間を本家に帰しましょう。」


「ほぇ……?」



まったく……人生ってやつは。

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