その頭、螺髪とまでは言はまくも、足らはでありつるものをなん、見すぐして、その向う、如来のいましどころにかさねて、左右相称の閑雅な丘のまぼろしを見た。坊主の頭のように青々と刈られた丘からは、じかにあお御影みかげの澄んだ石塔が生えている。三基居並んだいただきにはそれぞれ聖らかな月光がっこうがやどっている。例の、只管しかん一乗に究竟くぎょうして、作仏さぶつにいたらぬさきにあらわれる、還相廻向ぐゑんさうゑかうの身体的表現にいたったものであろうか。しかし、真宗において墓はもはや何物をも意味しない。あとを濁さぬついの飛行ひぎょうの地をなかなかに記念しようとするものにすぎぬ。それでも、私にとって墓石の形は胸にせまりくるのであった。

 海というは、東方の如恒河沙にょごうがしゃとうの諸仏、南西北方及び上下一一方の如恒河沙等の諸仏を斥してのことだろうか。なんぴとも、とりなし給はずば発願はちがん廻向えこうも不廻向の行にすぎざること、凡聖自力にては陸路ろくろをはたしてゆくをえざることを、わが願力に乗じて、という言葉によっていましめ給うている。悲願は一切世間の法にぜんせられざるがゆえに、なおし妙蓮華のごとしとすならくのみ。いかんが有漏うろの願、一切世間の法のはざまよりほちすることなけん。善根をうえてもって往相の廻向を進ずるは、自利にあたはずして、発願廻向とはこれ、如来すでに発願して衆生の行を廻向したまうの心なり、とあるとおりである。

 息子は亡骸をのこさないような死に方をした。私は永く生きたことによる利得をえた。いいかげん、何もかも諦めることで心の動揺を遠ざけ、自身の可変性を失うことで、他者の可変性への目がひらかれた。精神はいわゆる利子的生活に入る。くりかえすことだけが、すすまない精神の外がわに利子を磯の貝のように付着させることを知ったので、他者にこれをおごる誇りかな感情をもおぼえ、次第々々に、他者のよろこびというものが形をとって見えてくるまでになった。否、他者のよろこびばかりが物質のように秤量でき、ひいてはそれが私のよろこびとなった。

 なおそれだけに、息子の生は謎でありつづけた。彼はまるで予言する者のように、私をこれから訪れる晩節という名の――そのくせ自然にそうなるしかないところの――心的変化をもみごとに言い当ててしまった。彼の言はことごとく実現した。今だに私は彼の予測した未来にいるにすぎないのかもしれない。彼が生きた三十二年は、私が生涯をとしても及ばない遠くにまでいたり、それでしかるべき死を死んだのかもしれない。

 先代も、先々代も、このことを理解していたか? 仏前にこうたびたび修せられてきた讃仏偈の読誦が、実は故人を供養するどころか、我々をしてこれをすべからく正定しょうじょうの因とせしむべきを、はたして知っていただろうか。

 僧侶はふりかえると、法話に関係ないことを言った。私にはそれが少し業腹だった。横一文字の額ぎわに汗をにじませ、どこかまばゆげにひそめられた眉の陰に、細い目をした、地味な、いかにも謹直そうにくちを結んだひとがらだった。ただしその、謹直なばかりで実のなさそうな彼の唇は、奇妙な迂路をたどって、私の心の深いところにふれてきた。

 人はみな、かけがえのない役目を負って生まれてくるのだ、と彼は言った。どうにもその考えは私より二十は若い壮年の男の口ぶりとは思えぬほどに、私を魅した。三界の火宅に生まれしからは、私たちに共通の火急の事業のために、必要な人数だけつかわされてきたのだと言わんとしていることは、言わずもがなである。すると億劫おくこう無礙光むげこうのあまねからんも、ついに尽きなんとするときまで、我ら末法の申し子たちは、その事業のために一つになることができた。だからよろしく先祖の功徳を讃えなくてはならない。彼らの業績が、かえりみれば柱に対するぬきのようにあらたかにかみ合ってこそ、今というみごとな建築があるということを、記憶せねばならない。それが一家が、共同体が、あるいは国家が、最初にして最後の一味の流れにあるいはさかのぼり、あるいはしたがうことを得させてくれるのだから―――

 展墓はめいめいで済ませることにして、僧侶が立つのに、みなその場で足の痺れをいやしていた。それがなんとなく、先の見えない読経のながながしさへの非難とも釈れ、私は一度玄関まで送り出した彼を、そこで待たせ、二階にあがって心附こころづけを多少手厚くさしてから、彼の手に握らせた。白麻のハンカチを額にあて、彼は如才なく微笑した。

 奥まった玄関から見送るに、五月の空は豊饒な海のようにさかさに懸り、またその横溢するかがやく青が、玻璃ガラス細工の凹面においてみだれ咲くように、壁となく、床となく、仮漆ニスの上から、あざやかな青をしたたらした。なおその下に平らかな田は、まことに構図的な勾配の妙をむこう向きにきかせ、裏山を借景しゃっけいに、苔庭のようになだらかである。

 娘たちが思い思いにとめた三台の車のかげになって、黒い車の鼻尖だけがここから瞥見された。そのやんちゃそうな顔附に、いまさら私は僧侶のかくれた若さの一渧いっていをみとめて、彼をよけい好もしく思った。さらにその奥から、割烹屋の車が邸内にはいりなずんでいるけはいを察すると、僧侶は少し駈け、切袴きりばかまのはずれから、脛の肉の締まりをちらとのぞかせた。


 斎食さいじきはあまたの女手によってさばかれた。娘たちは夫の不在をしおに、昔にかわらぬ賑わいを見せた。その女らしい団欒まどいの再構築を久しくまねびてか、長男の娘姉妹は彼女たちなりの流儀にならって、むしろ叔母たちの賑わしさに負けじとしていた。

 彼女たちが再現しようとしているものに、私の臨席が不可欠であることを知って、相槌をうつばかりだった私が、さきほどの僧侶の法話を追ってなかば上の空だったとしても、誰も咎めまい。にしても……、役目を負うて生まれ出づることと、天職という幻想とは、どこかしら相似ていて、されど異なっていることを私は思った。彼は専従をすすめたが、如来の発遣はちけんにまうあうことありきであり、その意味で職は貶められ、息子のほうに通じてしまう。その要諦は、前後あとさきもなく流れる一味の河に、前後をつけようとしているところにある気がした。これを思えば、息子の考えは、きわめて小乗的であった。

 しかし、私の衿首をつかむものは、宗教とはいつも小乗的なものであり、憶念彌陀佛本願自然即時入必定と言いうるのは、ひとりはくどう四五寸しごすんにながらくあくがれ歩行いた親鸞だけではないのか、という疑惑だった。これもまた、常套的なまやかしにすぎないのではないか、というその疑惑だった。

 孫が立ったあとの机の上に、くだものの小鉢は手つかずのままである。私は、こんなところまで似たかと思った。桜桃おうとう、渋皮煮、オレンジの一房ひとふさがある。白い毛深い繊維が果肉をおさめた房室ぼうしつにからみついて、ガムテープのようにはがしづらいが、楔型くさびがたの鋭利な断面は、長球ちょうきゅうのいくつかからしたたるつゆにあまやかにぬれて、私の舌をふたたびうるおすのだった。長男の嫁の手がこれにのびて、小鉢はたちまちあけられた。孫は先ほどから、この母に預けてあった英訳書のうちの初巻を縁側に持ちだして、足を庭前へほうり出し、私たちに背を向けて読みふけっていた。

 私はそちらに寄っていき、

「眩しかないかい?」

 と声をかけた。実際、五月の陽光は、あの青い玻璃玉のくだ反響こだましたように、落ちかかるともなくみなぎり、庭を雪原のような明るさにしていた。

「大丈夫だよ」

 と孫は迅速にふりかえり、

「どうせ辞書がなきゃ、ちっとも読めないんだもん」

 と言った。私は端近に腰をおろして、胡坐をかいた。

「あんまり人の見ている前で、読みふけってちゃいけないよ」

 つとめて友だちに対するようなくだけた調子だった。またあの教訓ときかれるのがこわさに、そなたを見もせず、口迅くちどに言いのがれようとしたものだ。

「教科書だとか、参考書だとか、そういう、お前の選択にかからないものなら可いんだよ別に。それに、仕方がないしね」

 孫は本を閉じて、カバーの織目のきめこまかさをたのしむように一わたり撫ぜた。そして素直に首肯うなずいた。そんなものを譲った私との秘密を見られまいために、カバーがつけてあるとでも釈ったのだろうか。私はつづけた。

「でも、お前が読みたいと思ったものを読んでいるとき、お前の魂は赤裸々はだかになりすぎる。わかるかい? 他人様ひとさまにお前のほんとうの気持を悟られてはいけない。それは魂の無防禦な恍惚でもあるが、魂の痴態でもあるんだ」

「わかってるよお祖父ちゃん」

 と孫は、私がそういうことで、教訓の俗っぽさをしりぞけようとしていることは知っているかのごときであった。私がかえって慰められているかのごときであった。

「本はかくれて読むものでしょ? まるで祈祷書のように」

「そうだ。それは魂の善行であって、この世とはかかわりのないものだ」

 偈が讃美歌の一種であることを孫はつとに知っていた。私は話頭を転じた。

 この話題転換というやつがくせもので、老人には、自分の生活をねこそぎにした純粋な想像というものが今更不可能になっていて、二言目には、懐旧の嘆息まじりに、自分というごうに引寄せられてしまうものだ。まるで磁気を帯びて北をしか指さないしんのように。しかしそんな私を薩陀さったは嘉納されはすまいと思われた。

 純粋の想像は、自分の過去にそれに近いものを見つけて、それで身につまされるのではない。それだと回想である。経験に限界をかくされた回想は、自分という業を踏みこえられないし、自分という業を踏みこえたところにあらたかな何かがあることを、予感だにしない。想像を欠いたものは、物質に近いとすら感ぜられる。あまりに業に長いあいだ自足しすぎたものの醜さ。しかし……

「そういえば公志ただし君は、将来の希望についてはもう決まったのかい?」

 希望。私はこの言葉におそれをなした。今の私であれば何というだろうか――かわいた庭の一角にとりのこされた潴といえど、是学無学、貧富を問わずして一味とこれを救いとりたまえ、とでも私は言うのであろうか。おのずとあの学生の言い草に似通ってきてしまう。

 孫はその上製本を、膝の上にのせた猫のように――つまり彼自身が猫ではなかった――撫ぜながら、

「そうだねえ」

 と言った。俯きがちに遠い目をした。私の目がまちがっていなければ、それは女のことを思っている目つきだった。仕事のことを訊ねられて、まっさきに女のことを思い浮かべた孫の目は、いたずらに空を仰がず、すでにそれを手にしているものにだけふさわしいあの遊惰ゆうだな貫禄を以て、自分の手のひらをまもるだけでよかった。

「『先生』って呼ばれるものは、お医者さんでも、いま時分尊敬されないからな。皆保険で、架空の治療費を掛捨てさせられているのもあるんだろうけれど。それでお父さんも死んじゃったし……。そういうことでは、お祖父ちゃんだってそうじゃない」

 孫の言葉は、あらゆる可能なものを、尻目に嘲笑の色をにじませながら追い負かそうとしていた。

「だから僕は、法学かな」

「ほお。お前は法律家になりたいのかね」

「少し違うかな。僕は法体系の成立の沿革を見ていくのが、今は面白いんだ。とくに自然法論。古代ローマ法や、ユダヤ法、それに十七条憲法とか。感情的にどの時点から法は法として人の心に落とし込まれるのか、それは、一個人のなかに信条が培われるのと同様の過程をたどるだろうからね……法は人間理性の可謬性をたすける」

 私には何だかよくわからなかった。が、彼は自然本性としての理性が、人間各個のもつ理性の参差たるにもかかわらず、ただ一つに想定されていて、各個の理性を超えたところにあるただ一つの理性というものに、莫大な夢を見ているのかも知れないことが察せられたばかりだ。

「しかし学者になったら、やはり『先生』と呼ばれてしまう」

「今は、だよ。いろいろ読んでるけど、それでも自分につけ入る隙があるとわかったら、そっちへ進むかもしれない」

 私はいまや教育現場の叛逆者である。危機はむしろ、養うためにという点が脱け落ちた時にやってくる。人は大体においてそうだ。子供が一人立ちしはじめるころからこういうことを考えはじめる。

「働くということはだ。時間をのように捨てさせられることなんだ。今時こんじ給料というやつは、出来高給でなくて、時間的拘束から算出されてくるから。でも、お前は一方的に捨てさせられる側になってはいけない。専従しても、あくまでお前の規律に従って働くんだ」

 孫ははじめて眩しそうな顔をした。私がいまあえて背に負うている世界の不必要の眩さに、はじめて目を留めたかのようだった。

「でもそれだと、その人は何かをすることが仕事なのじゃなくて、拘束されることが仕事みたいだね」

「ああ、その通りだよ。時間をどぶに捨てることがその人の尊きお仕事であり、そういう風にしか生きられない者のことを、愚か者と呼ぶんだ」

 姉たちによって彼の名が呼ばれた。彼はおもむろに立上った。私の言葉が与えた影響はついに知り難かった。

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