第二夜 猫娘

第二夜 猫娘(その一)

●第二夜 猫娘(その一)

「ご主人さまー? そろそろ帰るといいにゃ」

「あ、あぁ……もうそんな時間か? えっと、お会計……」

 秋葉原の裏通り。とある雑居ビルにある猫耳メイドカフェの一角で、新田周平あらた・しゅうへいはキャストに露骨に帰れと言われていた。

 それもそうだろう。何せ彼は開店してから閉店時間を過ぎるまで、ずっと居座っているのだ。

 流石にご主人様といえども追い出したくもなる。

「なんでこんなにご帰宅してたんにゃ?」

「実はね、会社……ブラックのクソ会社だったんだけど、そこを首になって、嬉しくてね、つい」

 財布をゴソゴソと漁ると魔法のカードを取り出す新田。

 猫耳キャストはそれを受け取ると、リーダーにタッチするのだが……ピーっと言うエラー音が鳴り響く。

「……ご主人様?」

「あれ、おかしいな……今は現金なんて持ち合わせて……ない……ぞ」

 焦りながら財布を探す新田に見せるかのように、猫耳キャストは無言でカードをリーダーにタッチを繰り返すが、カードリーダーは無慈悲にエラー音を繰り返す。

 そのエラー音のたびに、ゴゴゴっと言う無言の圧が猫耳キャストから発せられる。

「お客様―、お支払いは大丈夫ですかー?」

 ついにご主人様と呼んでくれなくなったし、猫耳メイドなのににゃも付けてくれなくなった。これはヤバい。新田の背中から流れる汗が止まらない。

 そんな時だ、背後から声を掛けられたのは。

「お嬢さん。その人の支払い、私が変わろう」

「平さん!? ……何時もすみませんにゃ!」

 平と名乗った腰まである銀髪を流し、紫の着物を着流した男性は慣れた手付きで財布から一万円札を数枚取り出すと猫耳キャストに手渡し、新田に着いてくるよう促す。

「またのお帰りをお待ちしておりますにゃ~!」

 猫耳キャストが手を振り見送るなか、新田と平の二人はエレベーターへと乗り込む。

 緊張している新田を余所に、平は無言で五階のボタンを押すとドアを閉じる。

「あ。あの。お金はお返しします! 今からコンビニで降ろしてきますので……」

 無言に耐えられなくなり、そう言いだした新田を平は手で制し、その間にエレベーターは五階へと到着する。

 彼はそのまま開いたドアを潜り抜けると、廊下の突き当りに面した一室、その扉を開ける。

「(融資・保証、千紙屋……?)」

 新田が扉の横に掲げられた看板に目をやっていると、中から入り給えと声がする。

 その声に、恐る恐る新田は室内に入ると、平は手慣れた手付きでコーヒーを淹れていた。

「キミ、先程話しを聞かせて貰ったが、仕事を首になったそうだね」

「あっ、はい……まあブラック会社のシステムエンジニアだったんで、壊れる前に離職出来て逆にラッキーだったかも知れません」

 平に応接セットのソファーに座るよう勧められ、新田は座ってしまう。

 そして先程の話しを聞かれていたのか、会社を首になったことを話す。

 だが余程鬱憤が溜まっていたのか、彼はつい熱弁してしまった。

「なるほど、君の人となりは分かったよ……それで、もしよければ、ウチで働かないか?」

「えっと、こちらの会社で、ですか? 履歴書とかも見ていないのに?」

 困惑する新田に対し、平は眼鏡をスッと外して彼の顔をじっと見る。

 いや、彼と言うよりも、彼を通してその後ろを見ている感じがした。

「君自身は隠しているようだが……とても濃い血を持っているね。その魂も、素晴らしい」

「……どこまで気付いているんですか?」

「何、視える物だけだよ、そう警戒しなくてもよい」

 平への警戒心からか、鞄の中の『御守り』に手を伸ばそうとする新田。だが何故か椅子から腰を上げることが出来ない。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、平と言う眼前の男に威圧されているのだ。

 心臓が早鐘を打ち、息が出来なくなる。顔が青ざめかけた時、ようやく平は眼鏡を掛けた。

 同時に威圧が解除され、新田は何度も荒く大きく息を吸い込む。

 そんな彼の姿にニコニコと笑みを浮かべた平は、コーヒーを差し出しながら改めて自己紹介を始めた。

「私の名前は平将門たいらのまさかど……ここでは社長で構わないよ。秋葉原と神田を治める氏神であり、電脳神でもある。神田明神に祀られている存在だと言えば分かるかな?」

「か、神様?」

 サラっと平、いや平将門が発した神宣言に困惑する新田。そんな彼に将門公は、そう、神様ですと気軽に告げると話しを続ける。

 それは東京を護る四神の結界の話し。そしてその一柱……朱雀の力が弱まり、結界が乱れていること。

それにより魑魅魍魎の類が東京の街に侵入していること。

 妖怪たちは人間と共存の道を選びたい者が多いこと……そう告げる。

「私はね、人間社会で暮らしたいと願うあやかしたちの手助けをしているんだ。身分だったり、お金だったり、保証だったり……そう言った物を貸してね。そのための会社がここ、千紙屋の表の顔」

「お、表の顔、ですか?」

 将門公の言葉に、新田の直観は危険信号を発する。これ以上聞くと戻れない……だが、彼は席を立つことが出来ない。

「強くなりたいあやかしたちは妖力を求める。その宝庫であるこの店はあやかしに狙われることもある……とても危険で、だがやりがいのある仕事だ」

 新田にそう告げる将門公の顔は、とても面白い物を得た子どものような無邪気さと、神の威厳を表す真剣さとを両立した不思議な顔。

 そんな顔を見せられて、新田の胸の奥では社畜生活で忘れていたドキドキが、非日常へのあこがれが、音を立てて高鳴っているのだ。

「……どうやら素質通りらしい。君には千神屋に所属する陰陽師の見習いになって貰う。そして、人間とあやかし、それらの間で起こる事件を解決して欲しいのだ」

 そう告げると将門公はテーブルの上に手を走らせる。

 すると燈籠のストラップ、折りたたみ傘、プラスチックのお皿と言う三つのアイテムが並べられた。

「古籠火、唐傘、河童……今の君の霊力だと使役出来るのは一体と言うところか」

 目の前に置かれたのはただの道具ではない、あやかしが宿った物……新田はそう告げられ、三つのうちから一つを選ぶように促される。

「……これにします」

 そして新田が選んだのは燈籠……古籠火。石燈籠に宿り火を吐くあやかし。

 何故かそれが一番しっくり来たのだ。

「ふむ、良い見立てだ。相性も良さそうだな。それでは最初の仕事をお願いしたい……間も無く客人が参る。彼女をこのアパートへ案内してくれ」

 そう言って渡されたのは浅草橋にある物件の地図と部屋の鍵。

「……悪霊退治、とかじゃないんですか?」

「いきなり実戦には出さんよ。まずはあやかしに慣れて貰おう」

 緊張しながら聞く新田に、将門公……いや、将門社長は大事な従業員だから無茶はさせんよと笑い答える。

 ふう、と彼が安堵のため息を漏らしていたところ、千紙屋へ来客が来た。

「おじゃましまーすにゃ! ……って、さっきのご主人様かにゃ!?」

 にゃ、と言う語尾が特徴な彼女……それは先ほどの猫耳メイドカフェのキャストであった。

 

「まさか。本物の猫娘が猫耳メイドをやっているとは思わなかったよ」

「ふふふ、耳も尻尾も自前にゃ! まあ、アパートの保証金代わりに尻尾を一本持ってかれたけどにゃ~」

 総武線に沿い、新田は尻尾と耳を隠した猫娘……猫野目そらねこのめ・そらと浅草橋駅方面へ歩く。

 途中で神田川沿いに出て、暫く進むと目的地へと辿り着く……筈であった。

「あんた、あやかしね! しかも人を誑し込んで……許さないわ!」

 新田とそらの前に現れたのは、赤い色のセーラー服を着て黄色いレンズの丸眼鏡を掛けた白髪の少女。

 歳は高校生ぐらいだろうか? 瞳がそう……社長と同じように真っ赤に染まっている。

「ちょ、ちょっと待て! この人は……」

「問答無用! 儺やろう! 儺やろう!!」

 少女が謎のステップを踏む……新田には陰陽師の『反閇』と言う呪術であることが分かるが、それが何か分からないそらはステップを踏まれるたび心臓が締め付けられ苦しくなる。

そらが苦しみ始めているのを見て、少女の反閇を止めさせなければと新田は必死に考える。

「(なにか手はないか!? このままだとそらさんが……これは、今は使えない。そうだ! 社長から預かった燈籠がある!)」

 新田は一瞬バッグの中に手を差し入れようとするが、思い直したのか改めてスマートフォンのストラップにした石燈籠を掲げると、その名を叫ぶ。

「古籠火よ、力を!」

 その途端、ストラップサイズだった石灯籠は手のひらサイズに大きくなり、灯りの部分から炎を吹き出す。

「式神!? なんであやかしと……きゃぁぁッ!?」

 予想外の攻撃に、えっ!? と驚いた少女は、正面から古籠火の炎を浴びて倒れるのであった。

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