第一夜 雪女(その三)
●第一夜 雪女(その三)
「ユキちゃん! 今日も来てくれたんだね! おっ、今夜は団体さんだね、ご兄妹?」
「ええ、そんなところです……あの、先に掛け金をお支払い……」
「その前に……君、まだ高校生だよね? ここはお酒を飲む大人のお店。ハタチを越えてから出直して来てね」
新宿、歌舞伎町……雪女の
「お酒を飲まないなら平気でしょ、入れてよ!」
「ダーメ。お兄さん? ユキちゃんはウチでしっかり面倒を見るから、妹さんを連れて帰ってあげて……夜の歌舞伎町は危険がいっぱいよー!?」
ホストの男はそう言って少し怖がらせるかのように結衣を脅かす。
殴れない怪異と赤点以外に怖い物はない結衣だが、これ以上問題を起こしてユキに迷惑をかける訳にもいかない。
「行こう、結衣。ユキさん、きちんとするんだよ?」
「そうそう、ユキちゃんは任せて、お兄さんにちゃんと送って貰ってね」
新田に腕を掴まれ、手をヒラヒラと振るホストに見送られつつ店を後にする結衣であったが……このままではおさまりが付かなかった。
「さてと、一旦会社に戻って……って結衣、何処に行くんだ?」
「裏口! こっそり忍び込んで、ユキさんに何かしないか確認するの!!」
新田の腕を振り切り、結衣は店の裏へと駆け出していく。
仕方ない、と新田もため息を漏らしつつ彼女の後を追うのであった。
一方店内では、ユキがソファーに座らせられていた。
「さぁ、ユキちゃん。まずは何時ものシャンパンを入れていいよね?」
「あ、あの、今日は先に掛けのお支払いを……」
「ダメダメ。そんなこと今は忘れる! もう少しで今月トップになれるんだ、ユキちゃんも俺がトップだと嬉しいよね?」
ホストの男はぐいぐいとシャンパンを勧めて来る。
何時もそう。この男の口車に乗せられて、優しくされて……ついつい掛けを重ねていった。
公務員と言うことでお給料は貰っている方だと思う。ただお店……蜃気楼に通うようになってから、お給料だけじゃ足りなくなり、借金に借金を重ねてしまった。
「雪芽さんって雪女ってだけで高給取りの癖に残業もして私仕事出来ますアピール、ウザいよねー」
同僚からの陰口。残業なんてしたい訳がない。だけど残業代で稼がないと、借金で首が回らないのだ。
「雪芽さん、佐藤さんって方からまた電話だけど?」
「すみません、変わります……職場には電話しないで下さいってお願いしているじゃないですか」
『こっちも払うもん払って貰えれば、電話なんてしなくていいんだけどね。で、今月は大丈夫なんだろうね?』
借金取りから嫌がらせも兼ねた職場への電話。
消費者金融を梯子して、借りれる場所は全て借り、ブラックな場所にも手を出してしまった結果がこれだ。
だけど、それでも、このお店には何故か足を運んでしまうのだ。
まるで、本当に欲しい物の幻を魅せられているかのように。
「ユキちゃん、グラスがもう空だよ? 二本目、入れようね」
結局、ホストの男に押し切られ、ユキはシャンパンを入れてしまった。
シャンパングラスに注がれた黄金色の泡立つ液体を胃に流し込み、彼の肩にもたれる。
また、流されてしまった……そう後悔するが、彼の隣で見る幻はとても心地よい。
そんな時だ。黒服が彼の耳元で何かを囁く。
「ユキちゃん、ごめんね。オーナーに呼ばれちゃったから、少し席を外すね!」
「良いですよ、いってらっしゃい」
ユキが寂しそうに手を振る中、彼は店の奥へと消えていく。
彼女も丁度いいとお手洗いに行くことにした。
「あの雪女、霊力が弱っているようだが……何故か分かったか?」
「妖力感知器で体内を視ましたが、どうも力の源を誰かに譲渡したみたいですね」
ここはホストクラブ『蜃気楼』のオーナー室。
カメラのような機器を構えた黒服の返答に、舌打ちをするオーナー。その声からは大変苛立ちを感じる。
「ちっ、まさか同業者か……? 先に奪われたんじゃ借金漬けにした意味がない。今日だってシャンパンを入れさせるように仕向けて掛けを増やしたのに、どうするか。……予定とは違うが風俗に沈めて回収するか?」
そんな物騒な会話がされていた時、ホストの男が室内に入る。
「あの、オーナー。お呼びですか?」
「ああ、お呼びだ……お前に付けてる客、ユキな。もう世話しなくていいわ。風呂にでも沈める」
「おっ、やっと解放されるんすね! 美人だけど冷たくって、やり難かったんだー! ああ、これで楽になる」
「代わりの客を付けるから、しっかり稼ぐんだぞ?」
オーナーはそう言うと、ホストに戻れと命じる。
はーい、と軽く返事を返し、男がドアを開けたところ……そこにはただでさえ白い顔面を蒼白にしたユキの姿が。
「あー……ユキちゃん、聞いてた?」
「嘘……よね?」
よろよろと後ろずさるユキに、ごめんねーと軽く告げるホスト。
「本当のことなんだ。ユキちゃんはもうお終い。これからたーっぷり、借金漬けの身体で稼いで貰うからね。ね、オーナー?」
「おう、連れてけ!」
ホストの男がそう宣言すると、楽しそうに見ていたオーナーが黒服に命じ、ユキの腕を掴むと店の裏口から外へと連れて行こうとする。
「(結衣さん、新田さん、ごめんなさい……)」
ユキが零した涙が氷となり、床へと転がる。
そんな時だ。店の裏手の扉が蹴破られたのは。
「話は全部聞かせて貰ったよ!」
扉を蹴破り室内に突入してきたのは、外から中の様子を立ち聞きしていた結衣であった。
「(この人たち、ユキさんのこと妖怪だって知っていて借金を背負わせていた!)」
優しいユキに付け込んで、借金を増やし妖怪の力の源である雪女の雫を奪おうとしていた。
そしてそれが無理だと分かると、風俗に売ろうとしている。
妖力を制限された妖怪がどう暮らすのか……彼らは分かってこうしたのか。
「冷静に……なれやしないよな」
結衣を止めることを諦めた新田は、ユキを捕まえていた黒服の腕を引き剥がす。
「ユキさん、大丈夫か?」
「え、ええ……」
怒りに震える結衣に、オーナーたちの視線が集まる。
「誰だっ!」
「あ、あれですよ、ユキちゃんのお連れさんですね。妹さんかな?」
驚きの顔を見せたオーナーであったが、ホストの男の言葉にほう、っと興味深い視線を向ける。
「なかなかの上玉だな、姉妹セットで売るのもありだな」
改めて結衣の姿を見ると冷静になったのか、オーナーが椅子から立ちあがりこちらへと来る。
「さてお嬢ちゃん、何処まで聞いていた? いや、もう意味がないな」
近寄るたびにオーナーの全身がミシミシと姿を変える。
驚く結衣の前で変態を終えた彼の姿、それは鱗を持つ龍であった。
「あんたは蛟竜か……蜃気楼を見せると言う中国の龍」
『よく知っているな。人間にしては博識だ』
気が付けば黒服も小柄な龍人と言った姿に変わっており、ホストの男はオーナーたちの変貌に驚き腰を落とす。
「店の名前で気付くべきだったわ。蜃気楼、つまりお客さんに幻覚を見せて、逆らえなくしていたのね」
『客は望む幻に浸れる。俺たちは金と……相手が妖怪なら妖力の源を頂く。Win-winって奴だ』
お前はどんな幻覚を見せられたいか? そう迫る蛟竜に、結衣は大きく笑う。
「お生憎様、私は私の望む道を行くの……幻覚じゃなく、リアルでね!」
彼女はそう宣言するかのように強く言うと、ショルダーバックの中から折り畳み傘を取り出す。
『そんな棒切れで何をしようと言うのだ?』
「こうするのよ……唐傘ぁっ!」
ジャキーンと振り伸ばした傘が、妖怪に変化する。
『待ってました、ご主人!』
それは一本足に和傘の身体、そして眼玉が一つ……唐傘お化けと知られる妖怪。
「唐傘、いくよっ!」
眼鏡の奥で赤い瞳を輝かせ、霊力を充満させた結衣は唐傘と共に蛟竜へと立ち向かう。
芦屋結衣、彼女の正体は、あやかし専門の金融業者『千紙屋』、いやあやかしによる事件を解決する『千神屋』に所属する陰陽師。
「まあ、まだ見習いだけどね」
『千神屋……聞いたことがある。だが陰陽師とは言え小娘一人。貴様を喰うて妖力の足しにしてやろう!』
「残念、JKは高いのよ! あんたの命じゃ足りないわ!」
そう言いながら結衣は独特のステップを踏む。
『禹歩』……陰陽師の邪気を払うマジカルステップ。現代で言えば簡易魔法陣と言ったところか。
最後の一踏みと同時に、彼女を中心とした店全体に霊的結界が張られ、あやかしの力を弱める。
同時に唐傘が結衣を護る様にその傘を広げ、黒服の行く手を阻む。
「これでお得意の幻覚は効果がなくなったわ。さてどうするのかしら?」
結衣の言葉に、それがどうしたと言うかのように蛟竜は大きく笑う。
「何がおかしいのよ!?」
『なに、幻覚が効かなければ直接殴るだけ……大人しく夢の中で死んでいけば楽だったと後悔しても、もう遅い』
そう言うと同時に蛟竜はその身体を伸ばし結衣に組みかかる。
『ご、ご主人!?』
黒服を相手にしていた唐傘が思わず声を上げるが、結衣は大丈夫と腕に力を入れ蛟竜の顎を掴む。
「とぉぉまぁぁれぇぇっ!!」
ぐい、っと顎を掴んだ腕を捻り、結衣は蛟竜の頭を壁に叩きつける。
そのまま壁で擦り下ろすかのように蛟竜の頭を擦る。
『この馬鹿力が!』
蛟竜が思わずそう叫ぶが、笑顔の結衣は笑いながら壁の突き当りへと向け投げ飛ばす。
「おい結衣、ユキさんが急に弱りだして……って蛟竜だと!?」
そこに現れたのは新田だ。彼はスマートフォンを……正確にはスマートフォンに付けられたストラップを取り出す。
「古籠火!」
『はーい、よんだー?』
燈籠型のストラップ、それは本物の燈籠であり、妖怪が姿を変えた物。
彼の使役する妖怪は古籠火と言うあやかしが宿った石灯籠。
「焼き払え、古籠火!」
「ちょ、私も居るのに!!」
慌てて逃げる結衣の後ろで、新田に握られた古籠火が蛟竜に向かい火炎放射を放つ。
その炎は蛟竜だけでなく店をも包み、一気に燃え上がらせるのであった。
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