第32話 秘すべき誓い
あの日、フォルギ前侯爵の面会要請を受け入れたのは、ほんの気まぐれに過ぎなかった。
いや、たぶん、確認したかったのだ。かつての、愛する人とのささやかな暮らしのみを望んでいた自分はもはや存在しないのだと。無様に拉致され幽閉され、すべてを奪われて人知れず死にゆくはずだった男は、新たな力を得て、奪う側に生まれ変わったのだと。
失った恋人の肉親を上段から見下ろして、直に言葉を交わすことで。
ディアント・フォルギ侯爵、いや、前侯爵か。
彼に会ったのは、アディーラの生前に一度だけ。
凱旋直後、中庭で互いの無事を喜びあっていた彼とアディーラの間に立ちふさがった高慢さを隠しもしない高位貴族。神官風情が身のほど知らずに、とばかりの侮蔑の籠った視線。アディーラに父だと紹介され、おずおず差し出した手を冷たく振り払われのを忘れられるはずがない。
久方ぶりに目にしたディアント・フォルギはすっかり老いていた。緑がかった黒髪はすっかり色あせ、怜悧な切れ長の双眸は落ちくぼみ、かつての人を圧する力強さを失っていた。術師の家系とは思えないほど鍛え上げられていた肉体は見る影もなく衰え、老いさらばえて見えた。
あれだけの力を、権力を持ちながら、結局、大切な娘を助けられなかった情けない父親。
あんなに認められたいと願っていた男を前にして、彼の感情はそよぎもしなかった。
そう。前侯爵が連れてきた子供の姿を目にするまでは。
「爵位を譲った後、お恥ずかしいことに側女を娶りまして。神はこの老体に再び息子を授けてくださいました。アディーラの異母弟になります。名はウラウス。ウラウス、教皇猊下にご挨拶をなさい」
(ウラウス?名前がウラウスだって?)
忘れたはずの名前に、彼は自分の耳を疑った。
「お初にお目にかかります、教皇猊下。ウラウス・フォルギと申します」
男の影に隠れていた華奢な少年が進み出た。眼鏡の奥の瞳をパチクリさせながら、傍らの『父』の真似をしてたどたどしく礼を取った。
「まさか…」
期せずして声が漏れた。
その子はアディーラにあまりにもよく似ていた。
アディーラと情を交わしたのは、あの最後の夜、たった一度だけ。
ありえるだろうか?たった一度の契りで?彼とアディーラの…?
「ウラウスは、アディーラに、姉に、よく似ているでしょう?この子はアディーラ同様に強い聖力を持っています。必ずや、猊下のお役に立つことでしょう」
玉座の周囲に控える高位神官たちを一瞥すると、フォルギ前侯爵は、言葉を無くした彼の顔を探るように見つめた。
「この子は、目の色素に問題がありまして。人前ではこの眼鏡が外せません。失礼をお許しください」
彼は悟った。
前侯爵がなぜここにやって来たのかを。
皮肉なものだと思った。勇者の直系の印を持たぬ庶子の自分の子が『
そして、何よりも嬉しかった。アディーラと彼の愛の証が存在したことが。
ああ、アディ―ラ。これはあなたの導きなのだろうか?
この子がいる、いてくれた。それだけで、たとえどんなに理不尽さに溢れていても、この世界は救う価値があるかもしれない。
彼は喜びに震えながら、亡き恋人に心の中で誓ったのだった。
(この国を、王家を、教会を、粛正しよう。この子が自由に生きられるように。この世界に希望を残してみせよう。この子の未来のために)
破壊の魔女『
防げないならば、利用してみてはどうだろうか?
世界を滅ぼそうとする極悪人を裁いた者は、新たな英雄と呼ばれ尊ばれるに違いない。
教皇として、この子に世界を救う術を教えよう。
際どい賭けだとしても、やってみる価値はある。
そして今…
古文書に記された
その全てが、彼の手に在る。
彼は賭けに勝てるはずだ。
* * * * *
「父上、今からでも遅くはない。どうか、もう復讐などお止めください。教皇としてのお務めをお果たしください」
瞳の色を変える目薬の効果が切れたのだろう。
必死に訴えてくるその青い瞳は、皇家の宝玉と例えられるとおりに美しかった。その朗々とした声音は若き日の、未来を信じていた自分を思い出させた。
「おかしなことをおっしゃる。ウラウス大司教様ともあろう方が。私はあなたの父でも教皇フェリペ一世でもない。御立派な教皇は、あなたが遠征に出かけてすぐに消しましたよ。主たる司教たちもすでに私の手の中。思っていたより容易いことでした。混乱に乗じて、教会本山を、実質上、支配するのは」
「いいえ、あなたは教皇猊下本人だ。私の実の父、失踪したウラウス神官でもある」
「まだ言うのですか?そんなたわ言、誰が信じると?」
「アディーラは私の異母姉なんかじゃない。私の実母だ。彼女は密かに私を産み、
大切だからこそ、教皇本人だと、 自分が実の父だと認めてはならない。大罪人の息子にしてはならない。
自分が死した後に、
そのためになら、何だってやってみせる。
我が子の願いを無視し、裏切り者の逆賊としての死を選ぼうとも。
「たとえ稀有な属性だとしても、地属性の魔力保持者は他にも存在する。それに、もしあなたの妄想が事実だとしたら、その神官が生きているはずがない。私とは何の関係もありません。その証拠にいいものを見せてあげましょう」
なおも続く嘆願に耳を塞ぎ、背後に控える泥人形に声高に命じた。
術者の彼がわざわざ口に出す必要がない命令を。
「この男を封印の間に連れてくるように。そうそう、幽閉しておいた大司教たちも同席を許してやりましょう。消えゆく世界の歴史的一瞬。偉大なる『黒き聖母』の復活式に」
息を飲むウラウスに背を向け、『
* * * * *
『最初から胡散臭い奴だとは思ってたんだ。忘れもしない、その忌々しい
『貴方も
毛を逆立てて敵意を露にする二匹を前に、かつての
「魔王ダクデモスの使い魔たちよ、その忠義に敬意を表して助けてやろう。魔王の支配からも自由にしてやる。本来の
予想もしなかった好意的な申し出に、二匹は顔を見合わせた。それから、
『自由ねぇ。魔王様に造られた俺たちには縁がない言葉だな。別に欲しいとも思わないが』
『消えずに済むなら、このままでいいですよね?自由とかより、
『そうそう。多少の不都合に目を瞑れば、猫でいるのも悪くない。何て言っても、肉体のない魔人と違って、いろいろ味わって食える。日なたで惰眠を貪るってのも、魔人にゃできない幸せ体験だ』
『パファビッド、あなた、不都合なんて感じてたんですか?初耳です。いつだって好き勝手にやってると思ってましたが」
白猫が可愛らしく小首を傾げた。向き直ってかつての敵に対峙する。
『というわけで、せっかくのご厚意を無にするようで申し訳ありませんが。どうせなら、猫のまま、この世界で存在できるようにしてくださいませんか?」
「いいのか?その身体と完全に同化することになるぞ?いくらか魔力は残るだろうが。そうなれば、二度と、かつての
問いかけられて、
『私たちは
『手がかかる
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