第3話 綺子
目の前に、二通の手紙がある。受取り人と差出し人は、其々同じ名前が記してあった。
封筒の表書きの消印は、同じ日付が押されており、同日に投函されたことが窺い知れた。
= 一通目の手紙 =
拝啓
親愛なる貴方へ、屹度この手紙が手元に届く頃には、どの様なことが私の身の上に堕ちてきたのか。
貴方にも、知らされている事でしょうね。
遺書、などと言ったところで血に塗れてしまっては、意味を為さない物ですからね。
貴方には、格段御世話になったので本当に心苦しいのですが、然るべき所に、然るべき様にお渡し願います。
大切な友人同士として、私達は在り続けました。
お互いに、一度たりとも信頼を裏切る事は無かったと信じています。
そんな、貴方が御配慮下さるのであれば、私には何の心残りも憂いも御座いません。
思えば、二年と数ヶ月の短い間の関わり合いでした。
高校の入学式で貴方と出会い。
そして、私の大切なあの人とも出会えたのです。
私の、たった十八年の人生のその全てが、大切なあの人と、そして、その出会いも、此処まで至る道筋にも、貴方の見守りと導きがあった事を感謝致しております。
私共は、決して不幸せでは御座いません。
この様に、共に生きることの叶わぬ身では御座いますが。
それでも、共に死ぬる事の出来得るは一生の歓びと言わせて頂きます。
あの人とは、出会った時から叶うことの無い恋であると分かっておりました。
それでも、惹きつけられる心と、私の求める気持ちは抑えきれなかったのです。
貴方にも、色々とご相談させて頂きました。その度に、的確な助言のお言葉、ある時には、慰めの言葉も頂けました。
今日、この様な結果と成って仕舞います事は、私の我儘、弱い心の招いたこととお笑い下さい。
思い出せば、貴方は私共の為に色々のご助力を下さいました。
あの人との逢瀬のために、私共のアリバイ作りのために貴方のお名前をお借りいたしました。
私の家族は、今に至るまで、貴方が私のボーイフレンドで有ると信じております。
また、あの人の誕生日や、クリスマス等、あの人がご家族と過ごす時や、その前に、私があの人へのプレゼントを選びますのにも同行してくれたことに感謝しております。
私、実は知っていたのです。貴方が私に愛情を示していらしたのを。知っていながらに、貴方を利用させていただきました。
御免なさいね、許して欲しいとは、思いませんの。だって、貴方には友情以上の感情が持てなかったのですから。
何れにせよ、あの人と共に死ねるのは貴方のご協力が有ってのものなのですから。
私共の死に、深く関わられた事を後悔などしないで下さい。
決して、ご自身を責めることの無い様にお願い致します。これ迄のご厚情に何一つとして報いること無く、この世を離れてしまう不甲斐無い私の最後のお願いです。
私の我儘で、あの人の大切な御家族にも酷い仕打ちをしてしまう事は、決して許されることで無いことは分かっています。
あの人とも、幾度と無く話し合いました。
その度に、罪深い私共は、泣き交わし慰めを求め合うのでした。
もう、如何しようもない位に離れ難く。
先の見えない二人の道に絶望しながら、耽美的な愛に溺れきってしまったのです。
冷静になれ等、言わないで下さい。
いえ、本当の事を、親愛なる貴方にだけは、本当の事を告白いたします。
私は、大切なあの人と、何時の日にか身も心も一つになれる事を信じて疑いませんでした。
その、信念が有れば、形などは如何でも良いと。
例えこの先の一生を、日陰の身で暮らす事も厭いませんでした。
その気持ちに、影が射したのは、ついこの間のことです。
貴方に会うと、互いの家族に嘘を吐いて、あの人と愛し合った時のことです。
互いに、分かれ難かった私共は帰宅前に喫茶店で、暫しの時間別れを惜しみ合いました。
その時、私共は同じく紅茶を飲みました。
私は、あの人が甘い物好きである事も、紅茶にお砂糖を入れて飲むことも知っていたのですが。
目の前で、スプーンに二杯、三杯とカップにお砂糖を入れる様子を見ながら、背筋の凍る思いが致したのです。
あぁ、この人とは決して一つにはなれない。
私は、全てを理解しました。
それでも、やはり、あの人と離れられない自分をより強く意識してしまったのです。
このままでは、何れ別れはやって来ると。
私は、決心しました、今こそこの人と永遠になろうと。
そう言ったわけで、私は準備を整えて、今日の日に至りました。
親愛なる貴方へ、今までのご厚情に感謝申し上げます。
また、これからお掛けする御迷惑に心からの謝罪を致します。
有り難う御座いました。
敬具 綺子
= 二通目の手紙 =
拝啓
真愛なる貴方へ、とうとうこの日がやって来ました。私の、完全なる敗北です。
認めるしかありませんね。私は、私たちのゲームに巻き込まれた、あのクズ教師を道連れに死にます。
貴方が、少しでも痛痒を感じて頂けるのなら心から嬉しく思います。
況してや、後悔の涙などを私の為に流して頂けるのなら、其れこそ死に甲斐の御座います。
あの男については、軽蔑の感情以外は、遂に持つことが出来ませんでした。
あのクズは、家庭を持ちながら毎年の様に自分の教え子に手を付けていたのです。
何も、私が初めてでは無いのです。
ですから、道連れにするのに、心暗らさは微塵も有りませんわ。返って、世の為、後輩の為、あの男の家族の為と迄思っております。
あのクズの死を確実にする為、睡眠薬を用意しました。浴室で寝入ったところを殺害するつもりです。
上手くいくかは、正直言って解りません。もしや、すれば私だけが死ぬ事になるかもしれません。
でも、私自身が死ぬので有れば、それで目的は達成するのです。
あの男には、何の価値も無いのです。
それよりも、そんな男に弄ばれ、汚れきってしまった自分が許せない。
何時でも、貴方にアリバイ工作を頼む時、止めて欲しかったのです。
初めての時から。ずっと願っていたのですよ。貴方が、やめろと言ってくれるのを。
思えば、馬鹿な意地の張り合いをしたものです。全て、貴方に構ってほしい為だったのです。
あの男にプレゼントを買う為にと、貴方に付き合っていただいたあの日。
二人っきりで出掛けた休日こそ、私の最高に幸せな日々だったのです。
序でにと言いながら、貴方へのプレゼントを買うことが至上の喜びであったのです。
それ故に、あの男の誕生日やクリスマス、ヴァレンタイン等が楽しみだったのです。
でも、全ては間違いでした。
万万一貴方が私を、この様に汚れ切った私を憐れみ愛してくれたとして、私にはあの男にいい様に抱かれた事を赦せないのです。
それをする事を、喜ばない迄も受け入れられる自分を赦せないのです。
こうまで、汚れてしまった私を、今更貴方に抱いて貰おうなど思うことすら恐ろしい。
願わくば、貴方が私を忘れずに、そして、ほんの少しでも私たちのゲームを、意地の張り合いを、後悔して欲しいのです。
私は、今から死に行くのです。
貴方の為に、この穢れた身体で貴方だけを想いながら、貴方への愛に殉じるのです。
屹度、歓喜の中で血に塗れて死に行くでしょう。
どうか、どうか、私の為に後悔の涙をこぼして下さい。
貴方への愛故に、死に行く馬鹿なこの娘を憐れんで下さい。そして、私が貴方を待ち続けている事を、どうぞ忘れないで下さい。
灰になろうと、土塊に成ろうと、唯一途に貴方を思い続ける事を、お許しください。
敬具 綺子
二通目の手紙には、誰が落としたものか涙の跡が見られた。
<了>
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