第三話 みんなみんな、夕焼けよりも赤く染まって その13/読まれることを拒む本


「ひ!?」


 中年男の胸ぐらを掴んで、そのまま家の庭へと引きずり出す。こいつ、おびえて逃げようとしていたから。逃がすかよ。ゴミだらけの家のなかに逃がすか。四輪駆動車のとなりに、ぶん投げてやる。


「おい、お前。繭のことを、知っているな!」


「だ、誰だよ、繭なんて知らねえ……っ」


「姉よ、落ちつけ。麻生繭はヤツの偽名だ。本名は『吉田さやか』ちゃん」


「よ、吉田さやか……」


「知っているな。その子が、私の恋人なんだ。知っていること、ぜんぶ言え。じゃないと、ぶっ殺して、すぐそこの杉林に埋めるぞ!」


「勅使河原くん。聞き流せ……っ」


「お、おう。その、田代さん。児童養護施設勤務時代のことを、ちょっと聞きたいんだ」


「あ、あれは……燃えちまったじゃないか」


「それは知っているよ。その、職員による放火だったと」


「岡本さんの、せいじゃない。彼女も、被害者なんだよお」


 岡本という女が、繭のいた孤児院を焼いた。繭が孤児院を出てからすぐに。そして、自殺した。それは、道すがら聞いている。でも、その理由は知らない。かわいそうな子供たちの居場所を、どうして。そんな施設のスタッフになろうとしたやさしいはずの女が、焼かないといけなかったのか……。


「言え。教えろ。逃げるな。どんなことでも話せ!」


「は、はい……っ。言うよ。だ、だから。お願いだから。ち、近づかないで。そ、その絵を見せねえでくれよお。ダメなんだあ。それは、それは、呪われているんだあ!」


「無礼な男め」


「姉よ。お前のタトゥーは、語り過ぎるようだぞ。見せてやるな」


「……わかった。勅使河原、こいつが逃げないように私の代わりに見張れ」


「りょ、了解です!」


 敬礼して誠意を示したつもりだろうか。こいつは見掛け倒しだから、しっかりと私も見張っておこう。田代から離れてやる。だけど、にらみつけているぞ。私は、いつでも、貴様を追いかけてやれる。「やっちゃえ、やっちゃえ」。了解、繭。


「……お、岡本さんが、火をつけたのも、お、オレがダメになっちまったのも、け、けっきょくは、そ、それなんだ。『へる・へる・へぶん』が、悪いんだよ」


「う、うむ。何を、言っているんだ……っ」


「意味がわかんねえが。麻生繭……こと、吉田さやかの『作品』のせいか」


「『絵』って、言ったわね。タトゥーのこと、『絵』って。しかも、呪われているとも」


「あ、あれは……そうだよ。あ、あれは……『絵』だよ。だ、だって、え、え、え、『絵本』なんだから。『へる・へる・へぶん』は……っ」


「絵本……?」


「おい、姉。ヤツは、絵本も書いていたのか?」


「そんなの、書いていない」


「本当なのか? こいつは、とても大事なことだから、全力で考えてから答えろ」


 クズ弟は本心から聞いている。私に話していない考えのなかで、そんなに絵本が大事なのだろうか。『革製品の輸出』なんてことを平気で口にするような男が、本気で怖がらないでほしい。


 考えてやるか……………。


「繭は書いてない。絵は、ぜんぶ大好きだし、かなりの読書家だよ。鏡の国のアリスも好きだけど。あれは児童文学で、絵本じゃないし、そもそも自分で書いてはいない……」


 ああ。そうか。


「でも、『子供のころ』は違ったんだ。田代、あんたは繭が孤児院にいたときに、繭の書いた絵本を見たのね」


 嫉妬する。この小汚い中年男は、繭の絵本を読んだ。うらやましい。私の知らない繭を、こいつは、このクソ中年男が……。


「こ、孤児院じゃねえよお。児童養護施設って言うんだあ。こ、孤児じゃない子もいる。ただ、親に捨てられたり、いっしょにいられなくなったりした子たちが、あ、預けられてる……」


「プロらしく、職業的な倫理を語るってのかよ。とっくの昔に、辞めちまったくせに」


 時代が呼び名をあらためさせることは多い。孤児じゃなくても、捨てられる。問題のある家庭から、救助されたりする。新しい呼び名は、それはそれで、毒を持っている気がするから苦しいよ。「どうせ、悲しい場所だからね」。本当に。どうして、発明されていないんだよ。タイムマシンとか、完璧な親子愛。科学だけじゃ、まだ足りないのか。


「ひ、ひい……にらまないでくれえ。悪かったあ、悪かったよお」


「……説明しろ。『へる・へる・へぶん』とやらについて、教えなさい―――」




「―――懐かしい言葉だなあ。はあ、まだ生きていたか。殺されたはずなのに……」


「『昔話』で、教えてくれたものね。あんたは、聞いたことがある。忘れられない言葉だとも」


「ああ。でも、そんな五十年も前のことは、どうでもいい。今は、君の物語を聞きたい。魔女を見つけなくちゃならないだろう? それに、君も心のなかにうごめく感情を、吐き出したいはずだよ。君は、触れてはならないものに近づいている」


「本にね」


「そう! この世の中にはね、『読まれることを拒む本』というものが、実在しているんだよ。そんなもののひとつに、君は近づいた。それどころか、その本の一部となりつつあるんだね。ああ、苦しいだろう。さてさて、告解のときだよ。賢いおじいちゃんが聞いてあげよう。この『聖女』の使徒である、聖なる『ドクター・バタフライ』がね!」



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