第5話 今はまだ、思いは汲めぬっ
ただ、それはそれとして……。
小蝶のことだ。
差し出せと言われなくなったからといって、その身の振り方を考えなくてよいということにはならぬ。
小蝶も
嫁に出してしまえば、一番後腐れがない。
再び三好殿、松永殿が力を取り戻したとしても、嫁に出した女を寄越せとは言わぬであろう。
小蝶の俺に対する思いは察しているが、そのまま俺の嫁になどというわけにはいかぬ。
……いかぬであろうよ、たぶん。
このあたり、とつおいつ考えた末に、いつも先延ばしという結論になってしまうのだ。あまり考えたくないというのが本音だというのは自覚している。
つまり、俺は逃げている。情と現実の間に横たわる、深く広い溝からだ。
この二年で、小蝶はぐっと女らしくなった。
髪はしっとりと黒く長く、切れ長の眼は青みがかったように美しい。
相変わらず、信春や直治どのも頭が上がらぬほどの
年頃の女の凄みというものを、俺は今生初めて思い知っている。
天下一の絵師とも言われるこの俺が、絵筆を持ってその姿を描きたいと思うほどに、だ。
だが、俺の筆の跡は、よほどに気をつけないと誰かに見られるし、残されてもしまう。
その結果として、狩野の棟梁が女絵ならまだしも、
なかなかこれで、好きなものを好きなように描くというのは難しい。
……横道にそれた。
ともかく、一度は妹という建前で家に入れた者を、棟梁である兄が手を付けたというのはあまりに外聞が悪い。小蝶が美しいということが、さらに悪評に尾ひれを付けよう。
表向きは同父異母の妹なのだから、「犬猫にも劣る鬼畜の所業」と噂されかねないのだ。
小蝶がさらにもう一年歳を重ねる間には、俺も結論を出さねばならぬ。
嫁に出すのなら、年増になる前に嫁がせてやらねば、嫁ぎ先で小蝶の肩身が狭かろう。
逆に、狩野の家に留めおくのであれば、俺には覚悟が、そして周りには納得させるだけの言い訳が必要となる。
つまり、小蝶自身の思いについては……。
気がつかぬ振りを、まだしばらくは続けねばなるまい。
俺に父を説得できるだけの話の筋と覚悟がなければ、上手くはいかぬのはわかっている。
父が、父なりに考えを持っているのは知っている。だがそれに任せたら、棟梁の名が泣く。自ら、なにかしらの手は考え出さねばならぬのだ。
情など、父には通用せぬ。
その話の筋が組み立てられるまでは、俺にも小蝶の思いは汲めぬのだ。
そう、小蝶本人のためにも、だ。
そして、さらにその三ヶ月後。
夏にもなろうかという頃、ついに関白様がご帰京なされた。
ついに、上杉殿への失望が期待を上回ったのだろう。名も前嗣から前久に変えられ、花押をも公家のものから武家に代えられたというのに、すべてが巧くいかなかったのだ。
信春と直治どのが
越後から冬のさなか、関東に出るのは至難の
それは逆も言える。
冬の越後に関東から攻め込むのは難しい。
上杉殿は、関東管領の名だけ取ればよかったのだ。そうしておられれば、今頃京の都には上杉殿の家紋、「竹に二羽飛び雀」の入った旗印が翻っていたであろう。
直治どのの知恵を借りなくても、そのくらいは俺でもわかる。
関白様にはまことにお気の毒ながら……。
これで京の都は、俺が十歳の頃の旧に復したと言ってよい。
ただ、大きく違うのは三好殿の権勢が同じでも、あのときは昇り坂、今は下り坂ということだ。
俺たちは、松永殿にさえ気をつけていれば、さらに絵筆を持つことに集中していくことができるだろう。
まことに喜ばしいことだ。
だが、三好殿の次が誰になるのか。
それだけは考え、見極めておかねばならぬ。京の町衆たちも、皆同じ思いであろう。
良き武将に肩入れし、京の静謐を守ってもらわねばならぬのだ。
※偃息図 ・・・ 危な絵、江戸時代ころからは春画とも。
あとがき
第6話 これが京、そして洛中洛外図ぞ
に続きます。
挿絵は花月夜れん@kagetuya_ren 様からFAをいただいてます。感謝!
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