第26話 畑を荒らす魔獣

 翌朝。宿場町の宿屋を出ると、しっとりとした朝靄あさもやの中、俺とミリカは馬車へ荷物を積み込み始めた。衛士の隊長と部下たちも手際よく支度を済ませ、今日向かう先――北東の村へと旅立つ準備を進めている。


「さぁ、行こう。あの村では、もうすぐ収穫祭の準備が始まるらしいからね」


 俺がそう言うと、ミリカは小さく伸びをしてから頷いた。銀色の髪に朝の光が降り注ぎ、淡い輝きをまとう。まだ薄く眠気の残る瞳がそれでもはっきりした意志を帯びているのを見て、自然とこちらも気が引き締まる思いだ。


「ええ。お父様からも『村人たちの様子をよく見てきなさい』って言われたし、私も直接お話を聞いて手助けできることがあればしたいわ」


 大聖女として、その力をどう使うのか――ミリカはいつだって迷いながら、でも一歩ずつ前に進んでいる。その姿勢が俺にはまぶしく見えた。


 馬車に乗り込むと、衛士たちが合図をかけてゆっくりと出発する。昨日退治した盗賊のせいで閑散としていた街道も、今は通行人がちらほらと戻り始めているのが窓から見えた。何人かは俺たちを見つけると、安堵の笑みを浮かべる。盗賊が捕縛され、危険が取り除かれたと知れ渡ったのだろう。


「アルフ、盗賊も魔物も、やっぱり同じように『飢え』や『行き場のなさ』から暴力に走ってしまうのよね。昨日はそれを改めて感じたわ……」


 揺れる馬車の中で、ミリカがそんな感慨を漏らす。大聖女としての力を持つ彼女は、敵味方を分け隔てなく「何とか救えないか」と考えるタイプだ。


「盗賊連中は、きっと王都や領地での暮らしに行き詰まっていたんだろうね。もっと公的な救済制度があれば……とも思うけど、そこまで一足飛びには行かないんだろうな」


 俺は前世の法学部で得た知識を思い返しながら、領地の社会問題に想いを巡らせる。

 トルカスが追い払われた後も、魔物との共存が始まった後も、治安や生活の困窮こんきゅうといった問題は尽きない。だからこそ、ミリカや俺がこうして「人々の声を直接聞きに行く」ことが重要なのだと思う。


 馬車の窓から見える風景が、徐々に森から広い畑へと変わっていく。豊かな土地ではあるけれど、あちこちに点在する農地のなかには、まだ荒れ果てたまま手つかずの場所も見られた。


「ここもダスクウォーグの襲撃や、トルカスの略奪で厳しい状況だったんだろうな……」


 少し切ない気持ちで眺めていると、やがて目印となる風車の姿が遠くに見えてきた。どうやら目的の村は近いらしい。衛士隊長が「あと少しです!」と馬車を軽く叩いて合図を送ると、勢いよく車輪が地面を踏みしめる。



 * * *



 「……おお、よくいらしてくれましたな」


 村の入口で俺たちを出迎えたのは、丸い眼鏡をかけた老村長だった。背中はやや曲がっているが、目には鋭い知性が宿っている。周囲には数人の村人たちが集まり、物珍しげな視線を向けてくる。


「大聖女様……それに、アルフ様とお呼びするのでしょうか? お二人のことは噂で聞いておりました。魔物との共存……、信じ難い話ですが、本当だったのですね」


「ええ、私たちにできる範囲で皆さんの力になりたいと思っています。この村で困っていることがあれば、遠慮なく教えてください」


 ミリカが優しく応じると、村長は深々と頭を下げた。周囲の村人たちも少し緊張が解けたようで、柔らかな雰囲気が広がる。小さな子供たちは珍しそうに俺たちを覗き込み、年配の者たちは「お茶を出さねば」とあたふた動き始めた。


 俺とミリカは馬車を降り、村長宅へ案内される。そこは見晴らしのいい小高い場所に建てられた家で、窓からは村全体が見渡せる。黄金色の穀物畑が広がり、風にそよいでいる様子は、まさに収穫祭を間近に控えた平和な景観だった。


「とはいえ、まだ安心はできませんでな。実は今年の作物、生育は良好なのですが……例年に比べて害獣の被害が大きいのですよ。ここへ来ていきなり増え始めたのか、あるいは魔物が森の奥へ引っ込んだ結果なのか……」


「害獣、ですか。イノシシやウサギの類でしょうか?」


 俺が尋ねると、村長は頷きつつ、さらに難しい顔をする。


「そういった小動物も増えているのですが……どうも『ピクシーベア』という、イタズラ好きの小型魔獣が出るという噂もありましてな。夜中に畑を荒らし、作物を根こそぎ持ち去るらしいのです」


「ピクシーベア、か……」


 (AI、ピクシーベアについて教えてくれ)


「了解。ピクシーベアは体長1メートル程度の小型種で、知能が高く、集団生活をする場合もある。夜間に農作物を盗んだり、畑を荒らしたりするイタズラ好き。攻撃力は低いが、捕まえるのに苦労する相手だよ」


 なるほど。人間に直接大きな危害を加えるわけではないが、農作物を狙われるとなれば、農家にとっては深刻な問題だ。しかも相手は素早くて捕らえにくい。これは放置しておくと収穫祭の開催にも影響が出るかもしれない。


 村長はため息をつきながら続ける。


「まもなく収穫祭ですが、もし畑が荒らされれば台無しです。村人たちはすでに夜通し見張ったり罠を仕掛けたりしていますが、なかなか効果がなくて……」


「私たちに何か手立てがあれば、協力しますよ」


 俺が申し出ると、ミリカも「回復魔法だけでなく、何か別のアプローチを考えてみましょう」と意欲を示す。村長は安堵したように頷いた。


「それは心強い……。ただ、この村には害獣退治が得意な狩人も少なく、どうにかならないかと頭を抱えておりました。お二人がお力を貸してくださるなら、ぜひお願いします!」



 * * *



 さっそく夕刻、俺とミリカは村の畑を一通り見回った。まだ麦穂が色づき始めたところだが、よく見ると、すでに地面が掘り返された跡や、食い荒らされたような痕跡が点々と残っている。昼間は人々が見張っているため被害は少ないが、夜になると魔物や害獣がこっそりやってくるらしい。


「ピクシーベア……大きな被害を出すほどのサイズじゃないけど、集団で来られたら厄介そうね」


 ミリカが指先で畑の土をすくいあげ、考え込む。


「どうせ夜にならないと姿を現さないだろうし、今のうちに何か手を打つべきかな」


 ここで俺は思いつき、AIに頭の中で指示を送る。


(AI、『インスタンス分析』で畑の土や周辺環境を詳しく調べたい。何か痕跡から夜間に現れるルートや巣の場所、あるいはピクシーベアが好む物が分からないか?)


「了解。インスタンス分析開始……完了。付近に小型の足跡が複数残っており、複数の通り道があるね。村の北西の林縁部にある灌木かんぼくの茂み付近に足跡が集中している。そこを通って畑へ侵入しているらしい」


(北西の林縁か……。ならば、あっちに巣かねぐらがある可能性が高いな)


「うん。それから、ピクシーベアは甘味の強い作物や果物を特に好む習性があるよ」


「そうか、ありがとう」


 俺はミリカに向き直り、林縁部に通じるルートを指さした。


「どうやらあそこから侵入しているらしい。罠や柵を増やすだけでも一定の効果はあるけど、イタチごっこになりかねないな……。むしろ、奴らと『話し合い』ができるなら、それが理想だけど……」


 ダスクウォーグやアルヴィスのように、人語理解を付与して共存路線に持っていく手も考えられる。けれど、ピクシーベアは体格が小さいし、どこまで高い知能があるかどうか分からない。


 すると、ミリカがはっとした表情でこちらを見る。


「アルフ、私、試しに『聖声導』を使ってみるわ」


「聖声導……前に少し教本で見たやつか。神聖魔法の一種で、言葉を直接意志として伝える方法……だったっけ?」


「ええ。対象が動物や低級魔物の場合、完全な言語にはならないけれど、感情を伝えるくらいはできるらしいの。もし近くにピクシーベアがいるなら、『襲わないで』『この作物は大事なんです』って気持ちを伝えられないかしら」


 以前の森での魔物交渉では、俺が「インスタンス修正」で人語理解を付与したが、小型で集団生活をするピクシーベア相手全員にいちいち施術をするのは現実的ではない。一方、ミリカの「聖声導」であれば、多頭数相手でも一括して意志を伝達できる可能性があるかもしれない。


「なるほど。やってみよう。夜になれば、きっと奴らが畑を狙ってくるだろうから、そのタイミングでやってみるか」


「うん……ただ、私もまだうまく使えるか分からないから、アルフも見守っててね。もしもの時は……」


「もちろん、すぐフォローするさ」


 こうして俺たちは夜の見回りに備え、村の人々にも「大聖女様が魔物と交渉を試みるので、畑周辺で騒ぎ立てないように」と伝えておいた。皆、驚きながらも「大聖女様なら何とかしてくださるだろう」と期待半分、不安半分といった様子だ。



 * * *



 夜のとばりが降り、村の家々から漏れる灯りがぽつぽつと瞬く中、俺とミリカは畑の一角に隠れるように身を潜めていた。周囲はかなり暗くなってきているが、インスタンス生成で作ったランタンを使い、状況を把握している。


 ほのかな虫の声と、遠くの林から吹く夜風の音。それ以外に物音はない。が、しばらく静かな時が流れた後……かすかな葉擦はずれの音が聞こえた。


 (AI、反応は?)


「15メートル先、少なくとも三体の小さな影が接近中。ピクシーベアの可能性は高いね」


 俺はミリカにアイコンタクトで伝えると、彼女はそっと両手を胸の前で組み、目を閉じた。体の周囲に金色の淡い光が灯り、夜闇に微かな輪郭を浮かび上がらせる。


「聖声導――……」


 ミリカが囁いた瞬間、空気がわずかに震えたような錯覚がした。声を押し殺しているはずなのに、その「想い」だけが周囲へ伝搬していく感じだ。具体的な言葉ではなく、「襲わないで」「話をしたい」というイメージが波紋のように広がっていく。


 ザク、ザク、と畑の端を踏む音。そして現れたのは、目測で体長1メートルほどの小さなクマ……というよりは、クマと妖精を足して二で割ったような、不思議な魔獣たち。ふわふわの耳と短い尻尾が愛嬌あいきょうたっぷりだが、前足でかじり取った作物を抱えたままこちらを警戒する仕草を見せている。


「……ぐるる? きゅっ……?」


 低くもなく高くもない、不思議なうなり声。何やら落ち着きなく視線を向けてきて、今にも逃げ出しそうに後ずさる。けれどミリカが「大丈夫、怖がらないで」と心の中で念じ続けると、その場を離れはしない。どうやら「敵意はない」と察しているようだ。


「アルフ、私の言葉、少しは伝わってるみたい……。聖声導に対して拒否感はないけど、同時に警戒は解けていないわ」


「ここは俺が『インスタンス生成』で餌を作って誘う……っていうのはどうかな? 『暴食衝動抑制』まで付与してしまうのはやりすぎかもしれないけど、せめて『森の果物』を提供してやれれば、畑の作物を荒らさなくても済むかもしれない」


 ミリカは目を輝かせ、うなずいた。ピクシーベアたちはどうやら甘い果物が大好きらしいから、それを代替食として与えるのは悪くない手だ。


 そこで、俺は静かに呪文を唱える。


「インスタンス生成:甘い果物バスケット。追加プロパティ:腐敗しにくい」


 スッと夜闇に霧が集まり、大きなかごいっぱいに果物が溢れた。桃のような淡い色合いの実や、小ぶりなリンゴ似の果物、ジュースがあふれ出るように熟したブドウ――どれも新鮮な香りを放っている。


「……ほら、こっちにおいで。これなら畑を荒らさなくても、美味しい食べ物が手に入るよ」


 俺はなるべく穏やかな声で呼びかける。ピクシーベアたちは、ふわふわの耳を揺らしながら、一歩ずつ近づいてきた。けれどまだ疑いの目を向けているのか、すぐには飛びついてこない。


「ミリカ、もう少し聖声導で彼らの不安を解いてくれ」


「うん――『怖がらなくて大丈夫。あなたたちが畑を荒らさないなら、人間も攻撃しないわ。もっと良い果物をあげるから』……」


 ミリカの想いが金色の波紋となって畑を包み込む。すると、ピクシーベアの一匹が、そっと果物に鼻先を触れ、ちょんちょんと前足で確かめる。次の瞬間、我慢できなくなったのか、ぱくりとかぶりついた。


「きゅっ、きゅるる……!」


 小さな嬉しそうな声を立て、もぐもぐと味わい始める。すると、もう一匹、もう一匹が興味を示して果物をかじり、みるみるうちにバスケットから果実が消えていく。


「……どうやら気に入ったみたいだね」


 俺がほっと息をつくと、ミリカは微笑みながら「これで、畑を荒らさなくなるといいけど……」と呟いた。ピクシーベアたちにとっても「畑をコソコソ荒らすリスク」よりも「安全に甘い果物が手に入るメリット」のほうが大きければ、今後はこちらの誘導に従ってくれるかもしれない。


「ただし、毎晩これをやるのは難しい。村長にも協力してもらって、森の果樹かじゅエリアを整備するとか、何らかの持続可能な仕組みを作りたいところだね」


 思わず前世の知識が出てくる。適切な餌やり場を設置しておき、人里を荒らさなくてもピクシーベアが食料を確保できるようにする、いわゆる「誘導作戦」だ。もし村長や村人たちの理解を得られれば、畑を守りながら、ピクシーベアも飢えずに済む。


 しかし、そのためには「ピクシーベアが襲ってこない」と村人側に認識してもらう必要がある。ひとまず今夜、この畑で暴れることなく果物だけを食べて帰る姿が目撃されれば、「あいつらはやればわかる魔獣だ」と信じてもらえるかもしれない。


「アルフ、ほら。ちょっと慣れてきたみたい」


 ミリカの声に目を向けると、一匹のピクシーベアが、果物の汁でべたべたになった前足をぺろぺろめながら、こちらを見上げていた。まん丸な瞳に敵意や恐怖はなく、ただ「もっと食べてもいいの?」という好奇心が漂っている。


「ああ、いいよ。代わりに畑は荒らさないでくれよ」


 俺がそう言うと、ミリカは再び聖声導を使って「人間の作物を盗むのはやめて。ここにある果物で満足してね」と告げる。言語として理解しているわけではないだろうが、金色の光がピクシーベアたちの警戒心を溶かしていくのが伝わってくる。


 彼らは仲間同士でくぐもった声を交わし合い、果物を口いっぱいに頬張りながら、やがて小走りに林のほうへ去っていった。振り返るようにこちらを見ながら「きゅっ、きゅる」という鳴き声を残して。


 夜の静寂が戻る。辺りには、まだ甘い果物の香りが漂っていた。俺はバスケットの中身を少し補充してから、畑の一角へそっと置いておく。


「これで今夜は大丈夫そうかな。村長にも説明して、明日以降どうするか相談しよう。食べ物を無制限に与えるのは秩序を乱す恐れがあるけど、一時的な対策としては有効かもしれない」


「ええ。私の聖声導はまだ慣れないけど、今日みたいに優しい使い方ができるなら、きっと魔物だけでなく小型の魔獣とも共存の道を探せるかも……」


 ミリカは安堵の笑みを浮かべながら、金色の光を収める。回復魔法や浄化術だけでなく、こうした「人と魔物を繋ぐ」技もまた、大聖女としての大切な力なのだろう。


 俺は彼女の横顔を見つめながら、改めて思う。人間が恐怖し、排斥してきた相手とも、本当に「話」ができるなら、多くの争いは防げる。邪神の力に加えて大聖女の力があるからこそ、俺たちはこんな小さな奇跡を生み出せているのだ。


「さて、明日の朝にでも村人たちに報告してみよう。この場所をうまく活用すれば、収穫祭の作物を守れるし、ピクシーベアを無理に追い払わなくても済むかもしれない」


 そう言いながら、俺たちは夜空を見上げる。満天の星がきらめく中、秋の涼やかな風が畑を撫でていく。まるで、また一つ大聖女と邪神による「新たな共存への一歩」が祝福されているように感じられた。


「アルフ、私、すごく嬉しいの。争わずに問題を解決できるって、本当に素敵なことね」


「そうだな。まだこれで完璧ってわけじゃないけど……何もしないまま畑が荒らされるより、ずっといい。魔物や魔獣、盗賊だって、実は生きるために必死だったのが根本原因なんだよな」


「うん。私たちができるのは、その『苦しみの原因』を取り除く手伝いをすることかもしれない……。大聖女として、邪神として、ね」


 互いに視線を交わし、すとんとに落ちるような感覚を覚える。大聖女と邪神という正反対の力が出会ったからこそ、きっとこの世界には新しい風が吹き始めている。


 夜の畑に優しい沈黙が広がった。霧のような月光が麦穂を照らし、その先に待つ豊かな実りを祝福しているかのようだ。

 そして、俺はミリカと並んで静かに夜道を戻りながら、心の中でそっと決意する。どんな問題が訪れようとも、俺たちは「共存」や「対話」をあきらめない。邪神と大聖女という奇妙な組み合わせが、生きる者たちの「救い」と「希望」の象徴になれるのなら……俺はこの力を、正しい方向へと使い続ける。


 ――そんな誓いを胸に、俺はミリカとともに、村の長い夜を歩いていったのだった。

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