第15話 大聖女のお仕事

 ある日、男爵が与えてくれた俺の自室でぼんやりとしていると、不意に足音が近づいてきた。振り返ると、そこにはミリカが立っている。いつもより少し張り切ったドレスを身にまとい、銀髪を後ろでまとめた姿は、病弱だった頃の面影をほとんど感じさせないほど生き生きとしていた。


「アルフ、ちょうど探していたの。よかったら少し付き合ってくれない?」


「いいよ。どうかした?」


 ミリカは少しばつが悪そうに笑うと、俺の手を取って廊下の奥へと誘った。どうやら、外出の支度をしているらしい。男爵邸の大きな玄関へ続く回廊を抜けると、そこには一台の馬車が待機していた。御者が恭しく会釈して、ドアを開けてくれる。


「お父様から、『大聖女』になったばかりの私がどんな力を持っているか、神殿以外でも確かめたらどうだろうって言われたの。それで、体調の許す範囲で軽い『巡回』をしてみようと思うの」


「巡回……? まさか領内の村を回るってこと?」


「ええ。もともとトルカスさんの不正徴税で苦しんでいた村が複数あるから、そこへ行って『顔見せ』も兼ねて、回復魔法や聖属性の力で少しでも助けになればって。……実は私、すでに回復魔法の初歩を学んだの。これなら簡単な怪我や病気くらいは癒せるんじゃないかって……」


 少し照れながらも、ミリカの瞳には確かな決意が宿っている。自分の力をどう使えばいいのか、彼女はもう行動を始めているのだ。俺は思わず微笑み、彼女の手をそっと握った。


「立派だよ、ミリカ。そんなふうにすぐ行動を起こせるなんて。俺でよければ、ぜひ同行させてほしい」


「ありがとう、アルフ。あなたがいてくれたら、私も心強いもの」


 そうして俺たちは馬車に乗り込み、領都から遠くない場所にある被害の大きかった村へ向かうことになった。男爵の手配により、護衛の衛士が数名、馬車の横を走り、荷車には救援物資や生活用品が積まれている。かつてトルカスが搾取していった代償を、今まさに埋め合わせようとしているわけだ。


 道中、ミリカは車内で「大聖女への歩み」と題された分厚い本を膝に乗せ、回復魔法の章を改めて読み返していた。俺も隣に座り、時折AIに心の中で問い合わせつつ、「ここはこういう理屈だよ」とアドバイスする。


「なるほど……『傷口に聖の魔力を注ぐ際、患部の細胞組織を再生させるイメージが大事』って書いてあるのね。治癒に必要な栄養が不足しているときは、一時的に聖なる力を媒介にして組織を増殖させる……ええと、『細胞組織』って何かしら、アルフ?」


「細胞組織をレンガに置き換えてイメージしてみて。君の身体は小さなレンガでできた壁だと考えて、傷ができた部分が崩れたレンガの箇所。そこに新しいレンガを魔力で置いていく……そんな感じで」


「うん、わかったわ!」


 ミリカは嬉しそうに頷く。その横顔は、あの病床の日々が嘘のように輝いている。俺もそんな彼女の姿を見て、心が弾むような気持ちになった。以前のように「自分が邪神であること」への後ろめたさや憂鬱が、少しずつ薄れていくのを感じる。ミリカや男爵が示してくれた信頼と温かさが、俺の心を溶かしているのだろう。


 やがて馬車は村の入り口へと到着した。ここはかつてトルカスに痛めつけられ、食料や家畜を根こそぎ奪われた場所。馬車を見た村人たちは最初こそ警戒の色を浮かべたが、衛士が男爵家の紋章を示し、「救援物資をお届けに参上した」と伝えると、戸惑いながらも少しずつ表情を和らげていった。


 やがて、村長と思しき年配の男性が姿を見せる。大きな麦わら帽子を手にしながら、おずおずとこちらへ近寄ってきた。「どうかされましたか……?」という声からは、不安と緊張が滲み出ている。


 馬車の扉が開くと、まず衛士が降り、続いてミリカが姿を現す。その純白の衣装と銀髪は、初めて見る人にとってまるで聖人が降臨したかのような印象を与えるだろう。


「は、はあ……?」


 村長は目を丸くして言葉を失っている。今まで男爵家の「お偉いさん」といえば、トルカスのような強欲な連中ばかりだったのだから、戸惑うのも無理はない。俺も馬車を降り、ミリカの隣で村長に軽く会釈した。


「初めまして。こちらはフォン・グリーデル男爵様のご令嬢、ミリカ・フォン・グリーデル。実は――」


 簡潔に事情を説明すると、村長は何度も瞬きをして、「お、お嬢様ご自身が? わざわざこんな村まで?」と繰り返し驚いていた。だが、衛士たちが荷車から物資を下ろし始めると、村の人々も総出で作業を手伝い始める。


「これは……米や麦の穀物に、薬草、衣類……本当に支援してくださるなんて……!」


 久しぶりに見る豊かな食料の山に、村人たちは涙ながらに感謝の声を上げる。子どもたちは遠巻きに「銀色の髪のお姉ちゃんは誰だろう」とささやき合っていた。ミリカはその姿を見て満面の笑みを浮かべる。こうして少しでも領民の暮らしを取り戻す手助けができるなら、来た甲斐があったというものだ。


 と、そこへ、怯えた様子の若い女性が駆け寄ってきた。腕には赤ん坊を抱えている。赤ん坊の顔色は悪く、熱を持っているように見えた。


「お嬢様、すみません、お医者様は……いらっしゃいますか?」


 必死な形相に、ミリカはすぐさま女性のもとへ駆け寄り、赤ん坊を抱き上げる。どうやら高熱が続いていて、何日も泣き止まないのだという。村に医師はおらず、トルカスのせいで薬すらまともに買えない状況が続いていたらしい。


「私に診せていただけますか?」


 ミリカはそう言うと、まだ慣れない手つきながら赤ん坊を優しく揺らし、そっと額に手を当てた。すると、ミリカの手から金色の柔らかな光がじわりと立ち上り、赤ん坊の体に染み渡っていく。これは回復魔法の初歩で、高熱や軽い感染症なら抑えられるはずだ。


 俺はそっとAIに心の中で問いかける。


(AI、ミリカの魔法はちゃんと機能してるか?)


「うん、赤ん坊の体内の熱源がゆっくり沈静化して、免疫力を強化しているよ。病原体が退治されるよう誘導しているから、完治までもっていけそうだね」


 やがてミリカは深く息をつき、ゆっくりと赤ん坊を女性に返す。先ほどまでの苦しそうな表情が嘘のように穏やかになって、すやすやと寝息を立て始める赤ん坊。それを見た女性は、「あ、ありがとうございます……ありがとうございます……!」と何度も頭を下げ続けた。


「私にできることは、ほんの少しだけです。でも、これでお子さんが快方に向かうなら、何よりです」


 ミリカはそう言って微笑む。まだごく一端かもしれないが、大聖女としての力がこうして形になって現れ始めている。その姿は、周囲の村人たちにも聖なる輝きを放つかのように映っているだろう。


 俺は隣で見守りながら、「大聖女」という大きな宿命を背負った少女が初めて実践の場で自分の力を確かめているのを感じていた。彼女は自分なりに踏み出している。その姿は「邪神」としての力を秘める俺にとっても、心を奮い立たせるものがある。


「アルフ、どうかな? 自分では……上手くできたと思うんだけど」


 施術を終えたミリカが、少しだけ緊張の解けた顔で俺を振り向く。その瞳には安堵と達成感が浮かんでいた。俺は迷わず頷き、親指を立てる。


「大成功だよ。さすが『新米大聖女』ってとこだな」


「……ふふ、そうね。新米には違いないわ」


 微笑むミリカ。そんな俺たちを見ていた村長が、とことこ歩み寄り、深々と頭を下げた。


「お嬢様、そしてそちらの青年……まさか、本当にここまで助けてくださるとは。今までは『男爵家』と聞いただけで身構えていましたが、どうやら私の偏見でした。……ありがとうございます、本当に……」


 村長は粗末な衣服のまま涙ぐみながら何度も感謝を述べ、他の村人たちも同じように頭を下げ、感謝の言葉を口々にする。泣き崩れる者や微笑む者、その姿はささやかながらも大きな感動の輪を広げていた。


 こうして、この小さな村は「奇跡」を得た。ミリカの聖なる力と男爵家が届けた物資によって、村は確実に復興へ向かう一歩を踏み出したのだ。



 * * *



 その日の夕刻、俺とミリカは男爵邸に戻り、玄関ホールへ入るなりほっと息をついた。まだ身体が完全には回復しきっていないミリカにとっては、かなりの強行軍だったが、彼女は終始笑顔でやり遂げた。


「疲れたろう? 大丈夫か、ミリカ」


「うん……ちょっと足がだるいけど、心はすごく満たされてるの」


 さすがに表情には少し疲労の色が見えるが、それでも満足そうだ。二人でホールの奥へ進もうとすると、そこへ執事が急ぎ足で近づいてきた。


「お帰りなさいませ、ミリカ様。そしてアルフ殿。ちょうどよいところでした。男爵様が今、二階の書斎でお待ちです。『皆を集めて話し合いたいことがある』と申されまして……」


「話し合いたいこと……? 分かった、今行くわ」


 ミリカと顔を見合わせてから、俺たちは執事の後を追う。階段を上がると、重厚な扉が待っていた。執事が扉を開けると、部屋の中央で男爵がやや険しい表情でデスクに向かっている。後ろには家臣らしき者も数名立っていた。


「お帰り、二人とも。早速だが……少しややこしい話が入ってきてな」


 男爵はそう言いながら顔を上げる。マントや髪に外回りの名残はない。どうやら先に屋敷へ戻り、新たな問題に取りかかっていたらしい。


「詳しく聞かせてください、お父様」


 ミリカが気丈に尋ねると、男爵は手元の資料を拾い上げ、苦々しげに語り始めた。


「領地南部で、魔物による被害が相次いでいるとの報告があった。トルカスがいなくなってようやく領民の暮らしが上向きかけたところで、今度は魔物の襲撃だ……。家臣を派遣して調べさせたが、『大型種』の魔物が棲みついた可能性が高いそうだ」


 大型種の魔物。ゴブリンやウルフ系の下級ではなく、グリフォンやマンティコア、さらに凶悪な存在かもしれない。そんな魔物が領内に現れて家畜や農作物を襲い始めているのだとしたら、トルカス問題とは別の大きな危機になる。


「魔物退治なら、騎士団や冒険者ギルドの役目じゃないんですか?」


 俺が疑問を口にすると、男爵はうなずきながら渋い顔をする。


「もちろん依頼は出した。だが、近頃は王都でもほかの領地でも魔物の発生が増加傾向にあるらしく、腕の立つ冒険者をすぐに雇うのは難しい。騎士団も人手不足だということで、応援を頼んでもすぐには動けないらしい……」


「なるほど……だから、お父様は私に相談してきたのね」


 ミリカが納得したように頷く。「大聖女」としての力を持つなら、魔物との対峙で有利かもしれない。回復や浄化の力が強力であれば、魔物の影響を受けた環境を浄化して被害を最小限に抑えることも期待できる。


 とはいえ、大型種の魔物討伐には相当な危険が伴う。病み上がりのミリカを最前線に立たせるのは、いくら奇跡の力を持つとはいえリスクが大きすぎる。


「無茶はさせたくないが、ミリカの力は絶大だ。そしてアルフ、お前もこの領地を救うために協力してくれるだろう?」


 男爵が俺たちを見つめる。俺はためらいなく応じた。


「もちろん、できる限り助力します。だけど、ミリカを危険な場所にいきなり連れていくのは避けたい。まずは情報収集をして、状況を正確に把握するのが先ですよ」


「そうね。私だって、いきなり怪物の巣窟へ飛び込もうなんて考えてないわ。やるなら、ちゃんと準備して、安全面にも配慮しなきゃ」


 ミリカも真剣な表情で頷く。それを見て、男爵はわずかに安堵の色を浮かべた。


「ならば急いで情報を集めよう。……正直、トルカスの損失を埋めるための財源はまだ厳しいが、アルフ、お前の『邪神の力』やミリカの『大聖女の力』があれば、充分対抗できるかもしれない」


 室内にいる家臣たちは「それにしても、『大聖女』と『邪神』が手を組むとは……」と小声でささやくが、誰も反対はしない。むしろ今の状況では、これほど心強い組み合わせはないと感じているようだ。


「南部の被害は確実に広がっている。そこに住む領民は、トルカスや魔物の件など度重なる不運に苦しめられている。早急に対処しないと、再び多くの避難民や犠牲者が出るかもしれん。アルフ、ミリカ、改めて頼む」


「もちろん協力します、男爵様」


「私も放ってはおけない。できる限りのことをしたいわ」


 俺とミリカがそう答えると、男爵の表情にはわずかながら光が射したように見えた。

 こうしてトルカスの一件を解決したばかりの領地に、またしても新たな試練が訪れようとしている。南部の村を襲う大型種の魔物は一体どんな存在なのか。「邪神と大聖女」という異端の組み合わせを武器に、俺たちはこの難局をどう乗り越えていくのか、考えねばならない。

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