第12話 聖なる君と邪悪なる俺

「ミリカ・フォン・グリーデル様……あなたの職業クラスは――『大聖女』……!」


「だ、大聖女……!?」


 神官たちがどよめき、神殿の空気が一段と張り詰める。大聖女が誕生したなど、国全体を揺るがすほどの衝撃であり、歓迎すべき奇跡とされているのだ。


(大聖女……? AI。大聖女はどんな職業クラスだ?)


「大聖女。それはこの世界で最も高潔こうけつで尊き聖職の一つとされ、民衆を救済し、邪悪をはらう強大な聖なる力を授かる存在。中でも「大聖女」はその頂点に位置づけられ、めったに現れない稀有けう職業クラスだと言われているよ」


 男爵は何とか声を振り絞りながら、黄金にも似た光をたたえる水晶玉と、そこに触れている愛娘の姿を交互に見やった。


「ミリカ……。お前が……大聖女……だと……?」


 その声は驚きと戸惑いに満ちていた。だが次の瞬間、男爵の瞳には確かな喜びと誇りがにじむ。自らの娘が神々の祝福を受けた「大聖女」となるなど、領主としても父親としても、思いも寄らなかったのだろう。


 当のミリカはというと、一瞬だけ目を見張ったものの、その光を受け止めるように静かに瞳を閉じ、深く息を吐いた。彼女の銀の髪がゆるやかに揺れ、純白の衣装に光が乱反射している。その横顔は――神々しいほどの美しさをまとっていた。


「わ、私が……大聖女……?」


 唇からこぼれ落ちた声はかすかに震えていたが、次いでミリカの頬には熱いものが伝い落ちる。歓び、安堵、それらが入り混じった感情に包まれた涙だと、俺には分かった。


 そして、祭壇の上にいた高位神官がミリカに深々と頭を垂れた。


「ミリカ・フォン・グリーデル様……いまこの時より、あなたは大聖女として神々の加護を得られました。その力をどのように行使し、いかなる道を歩むかは、あなたご自身の意思に委ねられます。私ども神殿は、あなたの歩む道に全面的な支援を惜しみません」


 すると、控えていた他の神官たちも次々とひざまずく。大聖女という存在がどれほど特別な意味を持つのか、改めて思い知らされる光景だった。


「ミリカ! まさか、お前が……」


 男爵が壇上へと駆け寄る。その足取りは、かつての威厳ある領主ではなく、一人の父親としての動揺と歓喜に満ちていた。ミリカは、水晶玉から手を離し、ふっとこちらを振り向く。

 その頬には驚きと、ほんの少しの戸惑いが混ざりながらも、やがて静かな感動が広がっていく。


「アルフ……私、どうしたらいいのかしら……」


 祭壇の上、ミリカの視線が真っ先に捉えたのは俺だった。

 彼女は「友人」として名乗りを上げた俺を見つめ、心情を打ち明けようとする。だけど、その言葉は震え、うまく出てこないようだ。これはあまりに大きな運命の変転……彼女の心にもさまざまな思いが渦巻いているのだろう。


 俺は一度頷いてから、穏やかに微笑んだ。


「きっと、君なら大丈夫。ミリカ――いや、『大聖女』になったからといって、すぐに何か特別な義務が生まれるわけじゃない。今はまだ体調だって万全じゃないんだから、焦らず受け止めればいいさ」


 まるで背中を押すように伝える。確かに「大聖女」は特別な存在だが、それが人生のすべてを根本から変えてしまうわけではない。まして彼女はつい先日まで病床に伏していたのだ。ゆっくり理解し、選択していく余地はある。


「そ、そう……よね。ありがとう、アルフ」


 小さく微笑むミリカ。彼女の瞳には、先ほどまでの驚きや不安に加え、安堵が微かに混じっていた。


 すると、その瞬間、不意に高位神官が壇上に進み出た。初老の落ち着いた風貌ながら、その表情は興奮を抑えきれない様子だ。

 彼はミリカに深々と頭を下げると、かしこまった声で口を開く。


「ミリカ様……大変僭越ながら、改めてお祝い申し上げます。大聖女の出現は何百年もなかった奇跡。そして同時に、神々があなたに課した『使命』とも言えましょう。どうか、神殿へお越しいただき、その力を正しき道へと運用する方策を――」


「少し待ってくれ」


 高位神官の言葉を遮るように、男爵が低く響く声を発した。

 神官は驚きに目を見開き、男爵を見返す。周囲の神官も戸惑ったように顔を見合わせた。男爵は毅然きぜんとした態度を崩さぬまま、ミリカの肩にそっと手を置いて言う。


「これは私の娘だ。確かに職業クラスは聖なる定めかもしれんが、長い間、病に苦しみ、ようやく回復したばかりの子を、すぐに神殿へ引き渡すわけにはいかん。ミリカの意志を最優先にしろ」


 その言葉には、今まで娘を守れなかった自責もにじんでいるのかもしれない。無理強いはさせたくないという、父としての強い想いが伝わってきた。

 高位神官は顔を曇らせたが、男爵という領主がここまで強く出れば、簡単に押し切ることはできない。


「もちろん……それは承知しております。ただ、これほどの奇跡に触れ、私ども神殿も黙って見過ごすわけには……」


「もちろん、然るべき相談はしよう。だが、慌てるな。ミリカにはミリカの人生がある。私も領主として、その力を正しい方向に導く責務は感じている。だが、本人の健康と意思を第一に考えねばなるまい」


 男爵がそう告げると、高位神官は観念したように小さく息を吐いた。そして、少し硬い声ながらも、なんとか納得を示す。


「……分かりました、男爵様。ミリカ様のご意志を尊重いたします。ただ、神殿としても彼女の力は見守りたい。その時が来ましたら、私共の許へご足労いただき、教義や聖術の指導を受ける機会だけは作っていただけるよう、お願い申し上げます」


「分かった。それならば私も協力しよう。なあ、ミリカ?」


「……はい」


 そう応じるミリカの横顔には、まだ戸惑いが残る。けれど、一方で少しずつ責任感も生まれているように見えた。

 今までの彼女にはなかった「使命」という言葉が、恐らく本人の中でも響いているのだろう。


 儀式の終了を告げる鐘が控えめに鳴らされ、神官たちは水晶玉を神殿の奥へ運び出していく。俺は列席者がざわめきながら退場するのを見送りつつ、ふとミリカの足元へ目をやった。まだ長時間立っているのは辛そうだ。


「ミリカ、大丈夫か? 座る場所を探そう」


「うん……ありがとう、アルフ」


 そう言って俺を見上げる彼女の顔には、ほんのりと汗が滲んでいる。やはり少し疲れてしまったのだろう。

 男爵がすかさず侍女を呼び、一行は神殿内の別室へ移動しようとする。その時、ミリカが不意に眉をひそめた。


「……そういえば、私が病に伏せっていた理由……」


「うん?」


「魔素体の寄生が元凶だったのは間違いない。でも、あの治療の後に神官様から少しだけ聞いたの。『強い聖性』を持つ者は、かえって魔素体に狙われやすい、あるいは症状が重くなることがあると……」


 その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。


 (大聖女のポテンシャルがあったからこそ、あの魔素体があそこまで彼女をむしばんだ……?)


 頭の中で自然と合点がいく。強大な「聖の資質」は、同時「闇」にとって魅惑の標的になり得るということだろう。だからこそ、彼女は長らく酷い症状に苦しめられていたのかもしれない。彼女がまだ弱く幼い頃から大きな力を秘めていたがゆえに、魔素体の寄生が余計に深刻化していた……。


「でもね、アルフ。いまはもう平気。病に倒れたからこそ、こうしてあなたに出会って、回復することができたのだから」


 ミリカはそう言って穏やかに微笑む。

 その眼差しからは、一切の曇りが消えている。むしろ、大きな試練を乗り越えた者だけが持ちうる強さが感じられた。


「さあ、お父様も心配しているわ。早く行きましょう」


「そうだな」


 俺は彼女を気遣いながら、神殿の回廊へと足を進めた。

 その後ろ姿を見送る男爵の瞳には、かつて見えなかった深い安堵と誇りが宿っている。病に縛られていた愛娘が、今、自らの足で歩みを進めている。しかも「奇跡」を授かった存在として――。


 俺の中にも静かな確信があった。

 ミリカは必ず「大聖女」としての道を、彼女自身のやり方で切り拓いていくだろう。そして、もしその道に苦しみがあれば、俺は彼女の友人として支えたい。たとえ俺が「邪神」のクラスを抱えていようとも……いや、待てよ。


 ――俺の事を信頼してくれている男爵やミリカには、邪神の力を見せても問題ないのではないか?


(どう思う、AI)


「確かに、彼らなら受け入れてくれるかもしれない。二人に打ち明けて、何かやりたい事がある感じかな? だったら良いんじゃないの」


(ありがとう、AI)


「アルフ、どうかした?」


 ふと、こちらを振り向いたミリカが小首を傾げて聞く。俺が歩みを止めていたのを不思議に思ったらしい。

 俺は首を振って微笑み返す。彼女の銀髪がさらりと揺れ、眩しいほどの光を帯びていた。もうあの病弱な姿はどこにもない。


「いや、なんでもない。さあ、行こう。今日はきっと祝福される日だ。君のために」


 そう言って手を差し出すと、ミリカは一瞬だけはにかむような表情を見せて、それからしっかりとその手を握った。

 彼女はこれから「大聖女」として新たな一歩を踏み出す。

 その道の先に待つ未来を、俺は彼女と共に見届けたいと思ったのだった。

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