「秘果」- 果樹園

 扁平な果実が、桃源郷に懸想する禁苑を放埒に飾る。

 果樹を覆う穹盧は、蟠桃にさえ含羞を禁じて馨香を露顕させていた。

 媚態する樹陰、葉叢の合間には、芳醇な色香を放つ濃紅が淫蕩に潜む。温室、もとい果樹園は、職員を除き禁足の秘境と定められる。天蓋を、遮熱ガラスと鉄骨にて覆う大型の穹盧。肉林を聯想し得る、蟠桃の灌木の林は鉢植えの仮初に過ぎぬ。

 開拓された山頂、蓊鬱たる樹海が掻き抱く農園。

 麓山の頂上、俗塵を拒む秘境に果樹園は黙認されていた。 

 現在、植物の栽培は、コンテナ型の水耕栽培集積場を主とする。

 施設の比翼たる、軽量鉄骨の箱庭と貴重な食用魚の養殖槽。水耕栽培に、水槽の濾過を委ねた資源の黄金的円環。この果樹園では、観賞用の錦鯉を生簀に飼養している。水源を担う生簀から、灌木の栽培ポットへと淡水を還流する仕組みだ。

 禁苑では、不逞なる侵入者を「猫」の比喩で忌避する。

 野生の害獣を嫌悪した仮託。愛玩、狩鼠の責務を負う家猫は存在しない。

 桃源郷、との符牒には、偏頗な栽培種の限定に対する揶揄が包含される。蟠桃の系譜こそ、遺伝子改良を経た庇護されるべき係累。極端な寵愛が、沃土による肥育、摘果と枝葉の剪定を看過する。緑葉の蔭に、蟠桃の豊満な果実は肉叢を覗かせていた。

 蟠桃なる秘果は、稀少なとして賛美を得る。

 畢竟、未だ弑殺されぬ、創造主たちの蕩尽に搾取されるだけだ。

 概ね甘味とは、人工甘味料で合成された食品の代議語だ。新鮮な青果物、水菓子としての果物は絶滅したに等しい。富裕の象徴であり、桃源郷から出荷された蟠桃は垂涎の落胤と落札される。古語では、果物もまた、菓子の範疇に置かれ食卓へと饗された。

 新品種の梢から、収穫期を迎えたと思しい果実を摘む。

 秘境が生む、最上級の果実は、無垢な生娘の肉叢のように柔い。柔毛の覆う、紅潮した膚を剥き、甘露を滴らせる果肉を摘出する。糖度計測器、味蕾と嗅覚を模擬するセンサと分析機能による翫味。噴霧する微粒子、凄艶たる蜜の発露を項目別に甘受した。

 蟠桃にしては、糖度が高く鮮烈な甘味を強訴する。

 桃の窃盗、秘果の簒奪に、栽培ポットの防犯装置群が警鐘を鳴らした。

 大気に触れ、急激に壊死していく果肉の断面。変色した裂創は、熱帯の密林で腐乱する負傷兵の骸の醜悪さだ。透徹な血漿が腐肉の塊から零れ落ちる。秘果とは、正しく典範を犯す禁忌の果実。窃盗犯を謗る、「泥棒猫」との輪唱が樹梢を蠕動させていた。



 三題噺 ≪丁≫  -「秘境」「甘味」「猫」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る