掌編連作集『クオリア・エクス・マキナ』

【実験記録】「クオリア・エクス・マキナ」

「鯨骨」- 納骨堂

 深夜のおかに、鯨骨の巨躯は鬱蒼たる森を臥床ふしどとして眠る。

 荒廃した静謐は、魔境の夜空に鯨の形骸を神聖なれと貴ぶようだ。

 竜骨とは船舶を貫く建材、それになぞらえて鯨骨と名付けられたのか。魔境の涯、鯨の剝製となりそこねた形骸。前時代の遺物は、穹窿にかつての栄耀を誇り、純白の肋骨らしい梁で弧線を描きながら巨躯を陸地に横臥せしめる。微光を浴する骸が、潔癖にも白骨を晒し、透明なガラス壁に覆われた体内は凛冽な月光を充填する。

 臓腑には、無尽蔵の遺骨と再生品が納められている。

 純白の筐体、暗晦な空には金屎のごとき数多の星屑の点描。

 地上に墓地はなく、納骨堂としての体裁を得た鯨の形骸のみがある。建前においては療養所、又の名をサナトリウム、実相を開示すれば隔離施設であったという巨大な病棟。今や病人たちは去り、頽廃なる混沌が終息した寂寥が陸地を吹き荒ぶ。

 来訪者を、「鯨骨」と呼ばれる収納施設は拒絶しない。

 蒐集された遺骨には、あまねく供養と哀悼を享ける資格がある。

 尾骶が玄関、受付嬢に名乗り、尾から頭蓋のほうへと鯨の筐体を移動する。

 納骨堂の内部は、落剝した月光が照らす螺旋回廊の様相を呈していた。鯨の外皮、左右のガラス壁に沿い、腹部のあたりを滑らかに登攀するスロープ。終点が、隆起した頭蓋に直結し、渦巻く円形回廊から、吹き抜けとなった中央を俯瞰できる構造だった。

 外壁を、透過した無垢な月光が瀰漫する。

 凝視する尖端に、突如として鮮烈な群青の光が兆した。

 覗き込めば、地階までを穿つ陥穽が回廊の中心に消失している。透視図法に則り、月光を反照する金属製の軌線とともに邁進する青。ラジウムの片鱗か、夜光虫の秘めたルシフェリンか。やがて、間近に至り、楕円型の運搬装置であることを悟る。

 白銀の月光は、揺籃の軌道を示すための補助線だった。

 受付嬢の許可に従い、新参者ながら納骨者の職務を履行する。昇降機と置換された運搬装置は、嬰児を擁する揺籃を模した造型だった。上蓋を開け、遺骨を納めた耐衝撃性の甕を隙間なく仕舞い込む。この遺骨も、圧縮のためダイヤに加工されるだろう。

 無数の遺骨のため、納骨堂には遺骨の「再生機能」が従属している。

 旅路の間、蒐集した遺骨を、軌道を往復する揺籃へと託す。最早、墓碑と呼ぶべくものは不要だ。無人の魔境から排斥され、地下に送られた遺骨は原石として永久に保管される。職務に殉じ、再度の旅路に出る前に鈍色の揺籃を見送った。



 三題噺 ≪甲≫ - 「魔境」「月光」「鯨」

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