第36話 プロポーズ
リアムの母、クリスティーナはおっとりした性格ながら包容力があり、レッドモンド領では兵たちからも母親のように慕われていた。そんな母親に育てられたリアムなので、イヴリンが突如兄に嫁いで来た時は驚いたし母親と上手くやっていけるのか子供ながらに心配になったが、全くの杞憂だった。一見何を考えているのか分からないイヴリンにも母親として接し、そしてイヴリンも彼女の前では優しく落ちついた雰囲気になる。イヴリン曰く、雰囲気が彼女の本当に母親に似ているらしい。
一方、セシルの横に座っている彼女の母親はとてもしっかりした雰囲気で、ハキハキ喋るし人前でも平気で男爵に注意したりもする。注意されて拗ねているような素振りはするものの直ぐに顔が綻んで笑顔になるセシルは、本当に母親、シンシアのことが好きなのだろう。
「あなたとこうしてお喋りするのも久しぶりね、クリスティーナ」
「そうね、シンシア。以前は良く騎士の婦人会で会っていたけれど、私が遠方に嫁いでしまったから」
「それは私も同じよ。マクニース領はここからだとちょっと遠いから、王都へはすっかり足が遠のいてしまって」
「少し来ない内に王都も随分変わってしまってビックリしたわ。でも、この屋敷は昔と一緒でホッとしています」
「そうね。主人も私もエガートン伯爵には随分お世話になったから」
シンシアの話によればエガートン伯爵は以前城で騎士団長をしており、その部下だった辺境伯と男爵はとても世話になったそうだ。面倒見のいい人で、実際二人が結婚したのもエガートン伯爵の仲介があったからなんだとか。
「フフフ、ご自分はなかなか結婚されなかったのに、部下のお相手ばかりお探しになって」
「後から聞いた話では、結婚相手を探してくれと兵士の両親からも頼まれていたそうよ」
当然二人はエガートン伯爵が亡くなったことも知らされていて、一人娘のイヴリンのことを心配していたそうだ。
「城で働いている息子からイヴリンのことは聞いていたけれど、あなたの所に嫁ぐなら安心だと思ったわ」
「そうね。何か陰謀に巻き込まれて無理矢理息子に嫁がされたのかとも思ったけれど、とても仲睦まじい夫婦になってくれて。あの子はちょっと普通の女性とは違うけれど、娘としてしっかりサポートしなきゃって思ったわ」
「母上は、姉上の計画を知っていたのですか?」
「ええ、嫁いできて直ぐに話してくれたから。あまり感情を面に出さないけれど、あの子にとって領地や領民を守ることは重要だし、家族をとても愛しているのよ」
「そんな伯爵に楯突いて、顔面蒼白で帰ってきたあの人はホントお粗末だわ! あなたもよ、セシル!」
「もう! さっきも謝ったでしょう!」
先日のことをまた蒸し返されて膨れっ面のセシル。セシルと茶会に出掛けたはずの男爵が、疲れ切った様子で一人で領地に帰った際、シンシアからこっぴどく叱られたらしい。
「あの人は本当にセシルのこととなると甘いんだから」
「フフフ、父親とはそんなものですよ。主人もイヴリンに対しては随分甘いですからね。いつもあの子に言いくるめられて困った顔をしていましたよ」
確かに、領地ではイヴリンに甘々だった辺境伯。兄の代わりに赤い鎧を着けて戦場に出ると聞いた時の慌てようをリアムは今でも覚えている。結果として『赤い死神』の名が敵軍にまで広がる結果となったが、父親としては複雑な気分だったろう。
「でも、あの子はやり遂げて伯爵にまでなって。王からの覚えもめでたいようですし、あの人は随分鼻が高いようだわ」
「それはうちも同じね。皇太子妃様のベアラーなんて大役も仰せつかって、あれだけ王都に行くことを渋っていたのに逆に急かすぐらいになって」
どんどん明かされる父親たちの秘密。ここに二人がいたら早々に逃げ出していただろうと思うと、リアムは面白くて仕方がなかった。
「セシル、ドレスはどうするつもり? 急な話でこちらでは準備できなかったけれど……」
「お姉様が準備してくださったから大丈夫よ。舞踏会のドレスまで準備してくださって……どれもこれも上等で、着てると変な汗掻いちゃうんだけど」
「伯爵様には何てお礼を言えばいいのか。こんな不出来な娘にそこまで良くして頂いて」
「ちょっと、不出来は余計でしょ!」
シンシアはちょっと毒舌で面白い。セシルは末っ子でワガママに育ったと言っていたが、礼儀や教養などは一通りしっかり身につけているのはきっと母親のお陰なのだろう。
「それで、あなたはどうなの? リアム」
「僕? 殿下の下でちゃんと仕事してるよ。最初は全くダメだったけど、ようやく補佐として役に立てるように……」
「もう、相変わらずあなたは鈍感ね。しっかり仕事しているのはイヴリンからも聞きましたよ。そうじゃなくて彼女のこと」
クリスティーナの目線を追うと、セシルの姿。二人ともしばらく意味が分からずに互いの顔を見つめていたが、母親が何を言いたいのかを理解して顔を真っ赤にする。
「えっ、いや、僕はまだそんなつもりは……」
「わ、私もお姉様の助手の仕事があるし!」
「若者が遠慮なんてしてどうするの! 城で働いていても出会いなんて限られているんですからね。リアム、こんな娘だけれど、貰ってくれると嬉しいわ」
「ちょ、ちょっとお母様! そんな急に!」
「あら、あなたは彼のこと、嫌いなの?」
「そんなことないけど……」
「リアム、あなたはどうなのかしら? セシルはとても良い娘さんだと思うけど?」
「……」
こんな時ではあるが、リアムはイヴリンとの剣の稽古を思い出していた。彼女が良く言っていることがある……
「迷ってはダメ。ここと決めたら打って出なさい。もし攻撃が通らなければ一旦引いて、次のタイミングを見定めるのよ」
と。剣の稽古ではないが、今が攻め時だと腹をくくるリアム。スクっと立ち上がると対面に座っていたセシルの横へ歩み寄り、そして片膝を突いて彼女の手を取った。
「セシル! 僕はまだ未熟だけど、こんな僕で良ければ結婚を前提に付き合ってほしい!」
「えっ!? は、はぃ、よろしくお願いします……」
突然のことで真っ赤な顔のままもう泣き出しそうなセシルだが、絞り出すような声で返事をしてくれる。こんな時、どうするんだったか……ああ、そうか、手のひらにキスだ!
「チュッ」
と、彼女の白く華奢な手のひらにリアムの唇が触れると、彼女の手はへにゃへにゃと力が抜け、スルリとリアムの手から離れていってしまった。
「セシル!?」
「あらあら、セシルには少々刺激が強すぎたのかしら?」
「まったく、この子はだらしないわね!」
セシルはどうやら気絶してしまったらしく、シンシアに寄りかかるように倒れていた。そんな娘の額をペシっと叩くシンシア。
「リアム、婚約者の最初の仕事がこんなことで申し訳ないけど、この子をベッドに運んでくれる?」
「はい!」
セシルの体を軽々と抱き上げると部屋を出る。気絶したセシルを見て慌てた様子のメイドに濡れた手ぬぐいと水を要望してから彼女の部屋へ。
「これからもよろしく、セシル」
薄っすら微笑んでいるようにも見える彼女の顔につぶやいて、言い知れぬ達成感を噛みしめるリアムだった。
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