軍師様の手のひら
月岡夜宵
第1話いつかの夜戦
明日死ぬのは仲間のだれかかもしれない。逆に今刺した相手が自分であっても不思議はない。戦場とはそういう場所だ。
俺は、走る。
――ひゅん、ぱぱぱぱぱ。
派手な魔法の乱れ打ちだった。そこかしこで詠唱が悲鳴にかわり、爆撃された亡骸が沈黙している。胸を真紅に染めた敵兵を足元に、眼前で繰り広げられる射撃戦を、塹壕内でやり過ごす。
「いたぞ、あいつだ!」
(しまったッ!!)
敵陣からの逃亡に苦心するおれを見逃すはずもなく、相手国の軍人が仲間を呼び集めながらこちらに向かってくる。
呼吸が乱れるほど走ったかいあって、体を横穴に滑り込ませることに成功した。
そのまま死角に潜り込んで隠れる。
敵を探す軍人たちは3、4人といったところか。姿が見えていないのを確認すると足元から映した鏡を回収して、道をそれるべくルートを変える。
とにかく息を切らせて走った。重い足どりと味方とはぐれた心細さを縫うように、一心不乱に。
特異性を買われて入隊したベスビアス軍、偵察部隊に所属されたおれはこれまで二度の戦場を経験している。おれが知人の熱心な口説き文句を後悔するのは本当の意味では初めてかもしれない。
命がけの戦い、しかし、頼れる味方はゼロ。
孤軍奮闘を身にしみて感じている。
幸い近隣諸国では珍しく魔力がないことで気配や魔力探知ではバレないのだが、みつかれば圧倒的に不利になる特性だ。おかげでさっきまではなんとかしのいでこれたのだが。
敵陣深部まで潜り込めたのは上場、しかし合流地点には援護する仲間がどこにもいなかったのは手痛い。
引っかからない利点を活かして敵地をやり過ごしているが、一度でも発見されれば戦闘は避けられない。
なによりこわいのが至近距離の剣より、中・遠距離からの魔法攻撃。
違和感を覚え、立ち止まる。
耳を澄ます。
漏れ聞こえる話し声がする。
(――、ちっ、またかよ!!)
警ら担当か、はたまた追加の追手か。タイミングもクソもなく、脇道すらない一本道。悩む暇もなく、おれは地上に出る決断をくだした。
蹴るようにして壁を強引によじ登る。
上は案の定おぞましい花火が打ち上がっていた。敵にみつかるリスクもぐんと高まったまま、平地をひた走る。激しい戦いのあとがうかがえる地面の上を。どんなに闇に紛れてもこれだけ交戦している戦場だ。みつからないまでも的になる未来はそう遠くないかもしれない。
(〝ポイント〟は伝えたはずだ、あとは……)
笑えない未来を回避すべく疾走し続ける俺の耳に飛び込んできたのは、激しい耳鳴り、直後、いくつもの光る線が重なる。いびつなシルエットの絵は幾重にも形を変える。
鳴り響く轟音に割って入ったのは人影だった。フラッシュのあと、一人の魔法使いがそこにいた。突如出現した彼は目視した地点、およそ300メートル先にいた。
戦場にあって静かに立ち尽くしている、不気味な軍人。
(なんだこの気配!?)
思わずつばを飲み込む。相手は相当な手練れらしい。威圧するような重たい空気はフードを被った魔法使いが発している気のせいだろう。思わず膝をつきそうになるほどだ。
そいつは丈の長い紅蓮のローブを身につけていた。
頭部を隠しているフードに手がかかる。はらりと、めくれる布。きっちり分けられた墨絵のような濃淡をした髪があらわになった。こちらを射抜くのは燃え盛る炎のようなまなざし。肌は色素が薄いのかやけに青白くみえた。体躯は高身長だが案外細身だ。それでも魔法使い特有の
上等な生地で誂えたのか、瞳よりも濃い深紅のローブは異質そのもの。漆黒の丈の長いブーツとあいまって、その姿は。
まるで死神のようだ――、おれは頭の片隅で思う。
男の印象的なパーツの数々をどこか魔法をかけられたようにみつめる。
釘付けになったおれは一歩も動けそうにない。こんなことは初めてだった。
遠方では謎の魔法使いに向けておれが戦っていた国の軍人たちが杖や剣をかまえた。男に包囲網をしいて近づいていく。
にじりよる敵にものともせず男はつぶやく。
「なんだ、私と殺る気か? めんどくさい」
相手次第では挑発的ともとれる発言だった。
剣がふりかざされる。繰り広げられようとする戦闘、おれは思わず逃げ出す。しかし、魔法使いの首へと長剣の刃がくいこんで、顔面に向けて発射された魔法の火の手が彼を焼き殺したのだけは見届けて、
――、いなかった。
小綺麗な顔のわりに低いがよく通る声だった。ところどころ空気をふくんだようにかすれ気味な音が断続的に聴こえてくる。
男は重い腰を上げるように手をかざしていたのだ。
まるで歌でも口ずさむように楽しげに呪文を唱えている。
総毛立ったのは彼に向きなおる敵ではない、おれ自身だった。
手のひら揺らめく紫の炎は熱くないのか、そんなことに思考を奪われていると――ギュン。
猛スピードで追従する赤の魔法使い。相手取った魔法使いがかわいくみえるほどの威力で防御しようとした腹を上向きに殴打する。肉にめり込む音がし、攻撃を受けた相手はちいさく嘔吐する。直後、布地に燃え移る紫炎。爆ぜながら燃え続けて魔法による消化が間に合わぬ間に絶命していた。
仲間の壮絶な悲鳴を聞いていた敵軍人たちは危機感をつのらせて、及び腰になる。上官と思しき者とアイコンタクトをする下官もいたが、その隙を赤の魔法使いは許さなかった。
さらなる炎を左手にも生み出し、手と手を合わせた。
手のひらを逆さにすれば、合体したどす黒い炎が蛇のように動き出し、意思をもって敵兵ごと魔法使いをサークルに囲う。火の輪に招待された軍人が上官の注意を無視してくぐりでようとするが、胸よりもある炎は並大抵の威力ではなかった。服の端だけをのこして、逃げようとした男は一瞬のうちに燃え尽きていた。
出ることが叶わないとみると額に汗をかいてやみくもに突撃命令を下す上官。残っていた4人は一斉に魔法使いに直接攻撃を仕掛ける。
だが、遅かった。
(本気かよ……)
おれをがくぜんとさせたのは赤き魔法使いの肩に止まっているのは小鳥だ。そいつはぴよぴよと口笛をふく度に、地上に、雷を落としている。断続的に響き渡る衝撃音は歯向かってきた連中を一掃するかのように排除した。物理的に、感電死させて。
雨のない夜空、雷が暴れ狂っている。
おれはいままで魔法が生き物みたいな形や動きをしてるなんて見たことも聞いたこともなかった。軍隊の連中にだって魔法がうまいやつは何人か知っている。それでもあの男の魔法は異次元だ。あれではおとぎ話のなかの魔法使いだ。
男は出現させた小鳥を手で挟むようにしてどこかへしまいこんだ。もう一度手を開けたときにはその愛らしい黄色い羽根すらみえなかった。
どこかアンニュイな仕草がそう感じさせるのだろうか。
のどにたまったつばを飲み込こむ。握った手はおかしいほど震えてしまう。おれはどこか興奮しながら異質な男が手を下す現場をみつめていた。
雷に打たれた部下たちをみて腰が抜けてしまったのか。この場を指揮していた者はうめき声をあげながら、よせだの待てだのと制止を求めている。
地面からは肉の焼けた匂いが立ち上る。自分の生死を握っている男に命乞いする軍人に何を思ったのか、近寄る魔法使い。
かがみ込んだ魔法使いと敵対していた軍人が向き合う。ちょうど黒と白、チェスのポーンのように。
その油断を解いた姿に千載一遇の好機をみたのか、男が立ち上がる。
上がる、鮮血。
ひるがえるローブのすそ。
落ちる、首。
そうして、魔法使いはもう一方の手を手刀のようにし、あっさりと敵対者の首をはねていた。
『《終世の星空》』
手を掲げて唱えられたのはごく短い魔法名だった。
敵陣上空、呪文が花開くやひときわ大きな惑星が浮遊する。
瞬く間に誕生した物体の出現にどよめく周囲の声。夜空に驚嘆する軍人や兵士たち。まさに息をのむ光景が広がっている。
超重量級の物質は出現とともに周囲のエネルギーを吸って環境を氷河期のように変えていく。あらゆる熱を奪い、肥大化していく星。
天は割れ、星が落ちる。
その光景を間近で見上げていたおれはただただ絶句していた。
「なんだよこれ……」
やや遅れて、音がする。
大きくなった星は運命の瞬間を待っていたように、圧倒的な質量を持って陣ごとすべてを押しつぶした。爆風と衝撃波、それらが破壊音をともなって。
目鼻を隠すように覆っていた腕をどける。
あちこちから注いだ槍のような
上空から落ちてきたバカでかいブツは恐らく一人の魔法使いが呼び出した代物だ。
白煙を切り裂くようにして現れた
はてに、あの圧倒的な存在感を放つ凶星を呼び出した。惑星は人々の命を喰らうように大地と接吻し、飲み込んだクレーターだけがいまなお残っている。
轢き潰したであろう死体すら土砂の山にまみれてよくみえない。静かなる惨劇を作り出した本人はといえばひょうひょうとその光景を眺めていた。
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