46.【勇者と昔日】
「大司教が……魔人!?」
俺の声がひび割れた石壁に反響する。
ノーブルは深く目を閉じ、苦渋を噛み締めるように唇を引き結んだ。
「あやつめ……四百年を経た今もなお、あの憎らしい面影が脳裏にちらつくわ……」
「どういうことだ? かつては仲間だったんじゃあねぇのかよ?」
怒りとも、憐れみともつかぬ表情のノーブル。
その眼差しはどこか遠い過去を見ていた。
「魔王の血を得た
腹部からさらに立ち昇る黒煙。
語る声は静かだが、その言葉の端々には拭いきれない自嘲が滲んでいる。
「しかし、その呪いとも言える変貌を"恩恵"と捉え、羨望の眼差しを向けた者がおった……そしてそやつは、己が魔王に成り代わり、世界を掌握することを望んだのだ」
「それが、パウルだってのか……あの野郎、とんだ小悪党じゃあねぇか……!」
「あの日、あやつは魔王の亡骸よりその血を取り込み、自ら進んで魔人の道を選んだ。そして私の不意を突き、日輪の剣を奪い去るや、人の里へと姿をくらましたのだ……」
あまりに強大な力は、人を狂わせる。
パウルもまた、その力に屈した、ちっぽけな人間の一人だったのだろう。
「だが、確かに胡散臭ぇ野郎ではあったがよ……奴からは、魔人特有の気配は感じなかったぜ?」
「腐っても、あやつは聖魔導師……その瘴気を隠すことなどお手のものだ。比べて私は、生粋の剣士。そのような
「あんた、それを案じて……ずっと、この島に?」
「ああ……だが皮肉なことに、四百年の時を経た挙句、私の魔力は、害悪どころか厄災そのものと化してしまったのだ」
「不可侵の呪いは……あんた自身にとっても、呪いそのものだったのか……」
――魔王様の本懐はこの世の平穏であり、無意味な虐殺ではない。
カルロのその言葉が、胸の中で静かに
「ノーブル……答えてくれ。賢者ロレンツォが、なぜ巨像兵を、そして月神の防具を創り出したのか――その、本当の理由を」
俺の脳裏に、ロレンツォの名を叫ぶ巨像兵の、あの悲痛な咆哮が蘇る。
そう――彼らは、何百年もの時を超えて、
「そして、教えてくれ……ルビーの、シシィの、ダリアの……本当の宿命を……」
「ああ……全ては……」
ノーブルはわずかに躊躇いながらも、やがて俺の目を見据えて静かに答えた。
「――パウル討伐。それが、ロレンツォの遺志であり、月神の乙女たちに課せられた、本当の定めだ……」
信じていた誇りが、音を立てて崩れていく。
同時に、込み上げてきたのは、悔しさと、どうしようもないほどの無力感だった。
「だが……救いはあった。ロレンツォがパウルに
「救い……? 今まさに、その月神の防具のおかげで、俺とあんたは、まんまとパウルの思う壺じゃねぇか!」
「しかし、防具そのものが存在しなければどのみちパウルは討てぬ……それに、私もまた、貴様ら人の敵……遅かれ早かれ、この結末は避けられなかったろうよ……」
「確かに、あんたら魔人は俺の村を……妹を殺した……それは、何があっても許せねぇ。だがよ、だとしても……」
俺は溢れる怒りと無念に、心の奥が灼けつくような息苦しさを感じた。
だが、屈辱に顔を歪める俺を見て、ノーブルが腑に落ちない表情を見せる。
「時に……貴様、故郷はどこだ?」
「あ? ここから南東の大陸だ。七、八里も離れた隣町に行くにも、山を越えるしかないような片田舎だったよ……全部、焼けちまったけどな」
「三年前と言えば……手始めに、戦の火種となっていた王国に攻め入ったのは記憶に新しいが」
「ああ……よく知っているさ、俺も傭兵としてその戦に加わっていたからな」
「しかし私は、そんな辺境の襲撃など命じてはおらぬ」
嘘偽りのない、曇りない眼差し。
どういうことだ。ノーブルは――ディアナの仇では、ない?
「魔人の……独断専行だとでも言うのか?」
「有り得ぬ……魔人は本能で、より強き魔人に従うものなのだ」
「より強い……魔人だと?」
全身を、戦慄が走る。
何故、あの時――ああも都合良く、奴は俺の村に居やがった?
何故、あの時――家の中に、争った形跡が見られなかった?
「おい……ノーブル」
「……なんだ?」
両腕を失っても、魂はまだ叫べる。
足がある限り、まだ立てる。
俺の戦は、まだ終わってはいない。
「悪ぃが俺は、まだ死ねなくなった」
「……どうするつもりだ?」
俺は、地を這う身体を、もう一度奮い立たせた。
「俺たちの、焔の一族の仇だ……最後に、力を貸せ……!」
英雄の残火編[完]
鎮魂の審判編に続く
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