14.【少女と鼓動】


「――この馬鹿……少しも笑ぇねぇんだよ……」


 静かに呟くヴィクター。その声はどこか哀愁に満ちている。

 恐る恐る目を開き、ニコラを見ると、大きく裂けた腹部から黒煙が上がっていた。


「フフ、引っかかったわね……抵抗する魔力なんて、残っちゃいないわよ……ヴィクターくんまで顔真っ青にしちゃって、傑作ね……」


 項垂うなだれたまま、私に翳していた手をプラプラと振ってみせるニコラ。

 弱々しく笑う彼女の前にヴィクターがかがみ込む。


「最後まで、人を小馬鹿にしやがって……」

「騙されっぱなしじゃしゃくだからね……お返しよ……」

「そうかい……そっちの勝負は、てめぇの勝ちだな」

「ふふ、優しいのね……さっきは品性が無いだなんて言って、ごめんなさい……」


 今にも消え入りそうなニコラ。

 そんな彼女を見つめているうちに、ふと目が合う。


「アンナさん……アナタは自分の血筋を、大切にしてね」

「……はい」

「フフ……ワタシに言われなくても、アナタは平気よね。だって、こんなに強い子なんだもの……」


 かがみ込んだままのヴィクターが、穏やかに問う。


「魔王に……てめぇの夫に、何か伝えたいことがあるか?」

「ありがとう……でも、遺言なんて要らないわ。ワタシ達、もう充分に語り合ったもの……」

「そうかい……」

「それと、介錯かいしゃくも不要よ……この、お腹の痛み、なんだかとても懐かしいから、このまま逝きたいの……」

「……わかった」

「ああ、やっとあの子の元に行けるのね……それとも、こんな酷い母親じゃ、同じところには行けないかしら……それに、もし会えたとしても、何て呼べばいいか、分からないものね」


 昇り立つ黒煙を抑えるように、己の腹をゆっくりとさすりながら、ニコラが目を細める。

 そんな彼女に、ヴィクターが優しい眼差しで告げる。


「ローレルだ」


 ヴィクターの言葉に呆けた表情のニコラ。


「ローレル……?」

「ああ、てめぇの……てめぇらの、ひとり息子の名だ」


 しばらく、ヴィクターの顔をぼうっと見入っていたニコラは、突如ハッとした表情を浮かべたかと思うと、その目から大粒の涙を流した。


「ヴィクターくん! アナタまさか、気付いて……?」


 何も答えないヴィクター。しかし、その様子に何かを察したかのようにニコラが泣きながら微笑む。


「ローレル……ああ、ローレル……! 父さん、母さん……あの子に素敵な名前を、ありがとう……早く、あの人……にも……」


 しばしの静寂が当たりを包む。

 やがて、ニコラは静かに呼吸を止め、満たされた表情のまま動かなくなった。

 彼女を看取ると、ヴィクターがスッと立ち上がり呟く。


「ああ……伝えておく」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 空中庭園を抜けると、そこには長い続く階段が待ち構えいた。

 その階段の先、この広大な塔の最奥にそびえ立つ別棟――そこに魔王はいる。

 言葉では上手く言い表せないが、私ですら肌でひしひしと感じ取れる何かが、そこには確かにあった。

 だからこそ、今ハッキリとさせたいことがある。


「ヴィクターさん……」


 歩を進めるヴィクターの背を呼び止める。


「ああ……訊きてぇことがあんだろ? 言ってみな」

 

 振り返るヴィクター。

 いつになく真剣な眼差しだ。

 私も、その目をじっと見返しながら問いかける。


「あの時、ニコラに投降したフリをしたのは、本当に騙し討ちのためですか?」

「……あ? その話かよ。俺はてっきり――」

「ニコラとあなたの関係なんて、今はどうでもいいです! 答えて下さい!」


 流れる沈黙。

 やがて、観念したようにヴィクターが溜め息をついた。


「ああ、そうだよ。お前だけでも、塔から逃がそうとした」

「あなたが投降したところを見せれば、私も諦めるだろう、と?」

「……ああ、その通りだ」

「そうですか」


 私は大きく息を吸い込むと、腕を振りかぶった。

 そしてそのまま、勢いよくヴィクターの兜を殴りつける。


「なっ……何やってんだ、お前!?」


 拳を赤く腫らした私を見て、ヴィクターが目を丸くする。

 しかし、心配して伸ばしかけたその手を、私はすぐさま振り払った。


「私の決意は……あなたが思うほど弱くありません! 見くびらないでください!」


 呆気に取られるヴィクターを、私はキッと睨みつける。

 すると彼は、その視線を静かに受け止めながら、やがておもむろに兜を脱いだ。


「すまなかった……命懸けの芝居だったからな。お前まで守れる確証がなかったんだ……」


 金色の長髪に、透き通るような白い肌。

 その青い瞳が姿を現すと同時に、やはり憎らしいほど整った顔立ちが露わになる。


「私は、あなたに守られるために、ここまで着いてきた訳じゃありません」

「ああ……あの時、お前は“俺の未来を守る”って言ってくれた。もうお前は、復讐じゃあなく――俺のために、傍にいてくれてたんだな」


 ヴィクターがふっと笑う。

 改めて言葉にされると、なんとも気恥ずかしいものである。


「わ……分かればいいんです」


 不意に、ぷいと目を逸らす。

 胸の奥の言いようのない感情に、心なしか鼓動が速くなる。


「おい、アンナ!」

「は、はいっ!?」


 突然、ヴィクターが顔を近付ける。

 初めて間近と見る彼の顔に、思わず声が裏返った。


「お前、鼻血が……!?」

「え?」


 鼻孔から、何かじわりと温かいものが顎先へと伝っていく。

 慌てて拭ってみると、指先が赤く染まっている。


「ヴィクターさん、私、一体……?」


 何故か、足に力が入らない。

 やがて、視界が段々と暗くなっていくのを感じた。

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