08.【少女と正義】


 「魔王も、元人間……!?」


 私がただひたすらに驚倒きょうとうしている中、ヴィクターは、横たわるカルロの巨体を眺めるように、ただ黙りこくっていた。


「二百年ほど前、吾輩がまだ人間であった頃の話だ………その頃もまた、国と国との間に戦争が耐えなかった……」

「ああ……実際、三年前にお前らが現れて、やっとこさ各国が休戦協定を結んだぐれぇだしな」


 ヴィクターが辟易するように溜め息をつく。


「その折だ……吾輩は、かつての友によって敵兵に身を売られ、深手を負ったまま逃げ延びた末に、魔王様の住まうここダフィーネ島に行き着いたのだ……」

「そんな以前から、魔王はここを根城に?」

「然り……魔王様は、訳あってこの島を動けん……」


 それほどの途方も無い年月、私のような若輩者にはさっぱり実感が湧かない。

 積年、魔王は独りここで何を感じ、何に思いを馳せていたのだろうか。


「魔王様によりその血を与えられ、臣下となった吾輩は、魔王様と共にこの醜い世を変えると誓った……そして魔王様はじっと耐え忍んで待っておられたのだ。配下を従え、魔人軍を興すこの時を……」


 カルロの喀血が更に酷くなる。ゴボゴボと血を吹き出しながら、視線はもはや視線は虚空を彷徨さまよっている。


「そろそろ、目が霞んできおったわ……ヴィクター殿、敗者に語れることは、もう無い。このままジワリと身を焼かれるくらいならば、どうかトドメを……」


 無言のまま歩み寄るヴィクターが、日輪の剣を振りかぶる。その挙動には、一切の迷いも感じられない。


「魔王様……最期まで実りのある、良き人生でした……」


 瞼をゆっくりと閉じるカルロ。

 そのさまに、私は何故か弾かれたようにヴィクターを引き止めていた。


「待ってください……ヴィクターさん!」


 振り下ろされんとしたヴィクターの剣が、ピタリとカルロの鼻先で止まる。


「……なんのつもりだ。オッサンに慈悲でも湧いたか? 言っとくが無駄だぞ。共存なんぞは――」

「いえ、そうではありません。ただ……」


 私はカルロに歩み寄り、ゆっくりと腰を落とす。


「あなたは、魔王に大義に殉じることで、絆の価値を信じたかったんですよね? 過去に己を裏切った、友の分も……その想いに、魔人も人間もありません。私は、そう信じます」


 カルロは、見えているのかいないのか、その虚ろな目をこちらに向け、最期、フッと笑って見せた。


「娘、恩に着る……」


 程なくして、無情にも振り下ろされたその刃の反響音は、吹き抜ける紅い空へと消え入った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おい……少し、休まねぇか?」


 闇に吸い込まれそうなほど長い廊下。

 うつむき加減で歩く私を覗き込むように、ヴィクターが声を掛ける。

 なんともはや、ヴィクターが私を気にかけているのだ。いやはや情けない。この無愛嬌なこの男が、私に対して、だ。


「どういう風の吹き回しですか? さっきなんか、粗相そそうは隅で済ましとけとか言っていたくせに」

「粗相とは、言ってねぇだろ」


 確かに、カルロの大広間から更に半刻近くは歩いている。

 しかし、今は、休息をとろうなんて気には到底なれない。ただひたすらに、無心で歩を進めていたいのだ。


「心配ありません、まだ歩けますよ!」


 わざとらしく威勢を張ってみせる私に、ヴィクターが溜め息をつきながらピタリと立ち止まる。


「俺が案じてるのは、そこじゃあねぇ。お前の心の問題だ。いいか、奴らの正義も道徳も関係ねぇ。それがお前や、お前の大事なモンをおびやかしたのなら、その時点で俺らの討つべき敵だ」

「分かってる……つもりです」

「もし、迷いがあるならそれこそ足手まといだ。今すぐにでも塔の外に放り出す」

「なっ……どうやってですか?」

「さっきオッサンが空けた大穴があるだろ。そこから、ポイッとな」


 この男、言っていることが本気なのか冗談なのかイマイチ測れないが、私を気にかけてくれているのは悪い気はしない。


「安心してください。確かに、これが勧善懲悪かんぜんちょうあくならどんなに気が楽だったかとも思います。敵を倒して、それで済むなら……でも、世界はもっと複雑です。私だって、そこまで子供じゃありません」

「まぁ……分かってんならいい」


 私の頭をポンポンと軽くはたくと、またヴィクターは歩き出した。

 その頼もしい背中に、ふいにフッと笑みが零れる。


「ヴィクターさん! やっぱりもう歩けません、ここで休みましょう! それと……さっきのお肉ください!」

「こいつ……本当に放り出すか」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「それはそうと、とんでもない盾でしたね! 蒼月の盾、でしたっけ? あんなのもう、無敵じゃないですか!」


 廊下の壁面に寄り掛かるように腰掛けた私は、干し肉を頬張る口で感嘆の声を上げた。

 私と並ぶように腰掛けたヴィクターが、背から下ろした蒼月の盾をしげしげと見つめる。


「ああ、俺も驚いた。大司教の言ってやがったことは本当だったんだな」

「えっ……と言うと?」

「だから俺には記憶がぇんだっつの。日輪の剣だきゃあ、記憶を失う前から俺のモンだが」

「まさか、その盾……ぶっつけ本番で使ったんですか!?」

「ああ、なんせ俺が大聖堂で意識が戻ったのは昨日の話だからな」

「はぁ!? 昨日の今日で、世界を救いに来たんですかぁ!?」


 大胆というべきか無謀というべきか……良くもまぁ確証も無い物にああも命を賭けられたものである。

 しかも、世界の命運をそんなヴィクターの双肩に担わせているかと思うと、ソルーナ教団も相当勇者遣ひとづかいが荒いと見える。


「だがな、なんつぅか、言い知れぬ自信があったんだよ。この盾なら……こいつならきっとやってくれる、ってな」

「それも失くした記憶の片鱗、なんですかね?」

「……かもしんねぇな」


 蒼月の盾を背から降ろすと、持ち手をぎゅっと握るヴィクター。

 いつか、彼の記憶が戻ったその際は、月神の防具収集の冒険譚をゆっくりと聞かせてほしいものである。

 しかし、ここは敵地――いつまでも閑談かんだんに興じてはいられない。


「そちらさんからお迎えとはな……休ませてもくれねぇと来たか」


 溜め息混じりのヴィクターがすくっと立ち上がり、闇の先に言葉を投げる。


「カルロは……敗けちゃったんだね」


 やがて返ってきたその声に、私は思わず狼狽うろたえた。

 そこには、血の気のない頬をした、年端もいかない少年が立っていたのだ。


「男の子……!?」

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