第23話 大型事故物件
鎮守の森を出たのは午後四時過ぎなのに、重く垂れ込めた鉛色の雲のせいでもっと遅い時間に感じられた。湿気のせいでアスファルトの特有の匂いが濃い。雨が降るのかもしれない。
琴乃は動画配信の三人組に決して社には触れないように厳重注意していた。和奏が遠巻きに見た社の扉には文字の読めなくなった御札のようなものが何重にも貼られていた。さすがにお調子者の三人組も本気で怖くなったらしく、下手な真似はしないだろうというのが琴乃の見解だ。
緑地公園に隣接するカフェで琴乃はブラックコーヒー、和奏はカフェラテを注文する。和奏は水で良い、と断ったが経費で落とすからと琴乃に押し切られた。
「私の住んでいるマンション、まさに巨大な事故物件ですね」
和奏は深刻なため息をつく。琴乃は思わず吹き出した。
「それ、笑える」
「全然笑えませんよ。曰く付きの病院の跡地に建ってたなんて知らなかった」
森で監督の持っていた航空写真を見たとき、和奏は目眩を覚えた。まだ木が若々しい鎮守の森と深見駅の位置関係から坂無病院の建っていた場所はロイヤルステージ深見と重なっていた。
「病院跡地に建つマンションというのは意外にあるわ。それに病院の前の方が扱いが難しい土地だったってケースもあるから、ある意味良かったかもね」
琴乃は脚を組み替えながら、ブラックコーヒーを口にする。
「ロイヤルステージ深見の土地に以前病院が建っていたことは調べていたのよね。でも、彼らのおかげで詳しい情報が手に入ったわ。ゴシップネタは真に受けちゃ駄目だけどね」
「最初に鎮守の森に行ってみて良かったですね」
琴乃の無法者の動画配信者を叱りつけてちゃっかり情報を仕入れてしまうしたたかさと引きの強さには感心するしかない。
「最初は、彼らと同じで病院跡地の情報が無いか調べようと思ったのよね。でもあの社だけしかなかった。社は慰霊碑じゃないと思うのよ。もっと古くからある社だから二十五年前の病院の慰霊碑とは考えにくいわ」
ところで、と琴乃は話題を変える。
「あれから自宅で何か変わったことはあった? 」
「はい、いろいろ奇妙なことが続いていて、気が変になりそう」
和奏は壁の怪音以外に郵便受けが生臭い水で濡れていたこと、二階エレベーターホールで聞いた車輪の軋む音の話をした。琴乃は真剣な面持ちで口を挟むことなく聞き入っている。
「それと、これがドアノブに引っかけられていました」
和奏は鞄から首に紐が括られた着せ替え人形を取り出し、琴乃に差し出した。
「これは、たちの悪い愉快犯ね。やり口はずいぶん陰険だけど」
琴乃は人形を観察してあっさり結論を出した。
「心霊現象じゃないんですか」
悪意ある人間の仕業だとすればそれはそれで不気味だ。
「ついでに郵便受けの汚水も悪戯」
「えっ、なぜそう言い切れるんですか」
「私には視えるのよ」
琴乃は腕組をして唇の端を吊り上げて笑う。和奏は目を細めて渋い顔をしている。理論的に考えているかと思いきやオカルトじみた発言をしてみせる、その態度は支離滅裂に思えた。
「和奏ちゃん真面目だから、つい」
琴乃はスマートフォンを取り出し、メッセージを確認し始める。
「人形に霊的なものを感じないのは本当、郵便受けの件はこれが根拠よ」
和奏はスマートフォンの画面を見つめる。高い画角から撮影された白黒映像は防犯カメラ画像のようだ。ロイヤルステージ深見のエントランスに若い女性立っている。自宅である203号室の郵便受けの前だ。
「うそ、信じられない」
女が郵便受けの前でビンのような容器を傾けている。そして周囲を確認して足早に去って行った。和奏は絶句する。女が着ていたのは同じ深見第一高校の制服だった。
「ね、人間って怖いわね」
「これ、どうやって」
「情報源は秘密、ちょうどつてがあってね。まさかこんな影像が撮影できるとは思ってなかったわ」
「妃那が、どうして」
和奏は困惑する。彼女は同じマンションに越してきたことを喜んでくれて、怪現象を相談したときにも親身になってくれた。こんな事実を知りたくはなかった。
「私は商売柄、人の顔は覚えているのよね。うちの店にあなたと一緒に来た彼女、例のクレーム三人組の一人だわ。一番口汚く文句を言っていたのは彼女。私を詐欺師呼ばわりしたのにあなたを紹介するなんて、どう考えても親切ではないわね」
琴乃は顔をマジックで塗り潰された人形を目の前で振ってみせる。首吊り人形と郵便受けの汚水、そしてインチキ占い師への紹介、すべて妃那の悪意と繋がってくる。
「ロイヤルステージ深見の闇が関係しているとも思える。でも彼女の性格の悪さは生来のものよ」
琴乃の口ぶりには大いに厭味が含まれていた。妃那は新生活に不安だった和奏に声をかけてくれ、恩義を感じている。
「無課金クレーム恋愛占いの子の話には、後日談があるの」
二週間ほどして当事者の女生徒だけがこっそりミスティムーンにやってきた。片思いしていた大学生は、付き合っていた彼女を妊娠させて認知もせず平然と新しい彼女と付き合い始めた最低のクズだった、あの時の占いは当たっていたと。占い料金の支払いを申し出られたが、断ったという。
「私の言うことを信じなかった、だから料金はもらえないわ」
琴乃にはプロの矜持がある。つかみどころの無いキャラクターだが、誠実さは伝わってきた。それだけに妃那の陰険な行為が真実味を帯びてしまう。
「マンションの話に戻りましょうか」
琴乃はもう一杯ブラックコーヒーを注文した。二杯目にはミルクを入れている。和奏にも追加の飲み物を訊ねるが、遠慮していらないと首を振った。
「五階建てで一階は管理人室とレンタルオフィス。部屋数はワンフロア五世帯、二十世帯が入居できるけど現在は十世帯。半分は空き部屋で好立地の割に安く売りに出されている」
「そう、だから母もここを見つけたときには喜んでいました。もちろん私も」
封鎖されている郵便受けが多いと思っていたが入居率が半分とは、和奏は暗鬱な気分に陥り、まだ温もりの残る手元の空のマグカップを見つめる。
「外壁塗装をやり直したのは二年前ね」
「はい、すごく綺麗ですよね。私も築十八年とは思えなくて下見に来たときには驚きました」
「オーナーは人を入れて採算を取りたいはず。壁や廊下の奇妙な物音を始め、入居者が居着かない原因を解決できたら、これは大型案件だわ」
琴乃の瞳が怪しい光を放つ。和奏は真意に気が付き、琴乃を凝視する。
「金村さん、まさか、私からの依頼は単にきっかけで別のところからがっぽり代金をもらうつもりじゃ」
「そうよ、だからあなたのオカルト話に乗ったわけ。ロイヤルステージ深見が病院跡地に建つこと、因果関係は明確ではないけど入居者がなかなか定着しないことは前から耳にしていたの。それと、琴乃でいいわ、金村って名字はあまり好きじゃないのよね。お金は大好きだけどね」
和奏はそれを聞いて、法外な料金の請求は無いことに安堵すると同時に、金村が出せるお金を度外視で本気で心配してくれた訳ではないことに図らずもがっかりした。琴乃は嬉しそうに唇の端を吊り上げてほくそ笑む。
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