マグネット・マン
@SBTmoya
第1話 月曜日
「それで、何の話やったっけ」
月曜日。17時の荒川。首都高七号線と、小松川大橋に挟まれた川沿いの階段に、二人の男子校生が座っている。
赤いマフラーをした少年が、斜め後でスマートフォンをいじっている少年に話しかけている。
話しかけられた少年は反応しない。
赤いマフラーは、返事が返ってくることを諦めて、勝手に話を続けた。
「せや。人妻や。わし思うねんけど、昼下がりに自宅の外で洗車しとる人妻って、エロない?」
赤いマフラーは振り返ったが、斜め後ろの少年は見向きもしない。
「聞いとんの? おいサトテル」
「んー?」
「ワシだけ下世話な話して。馬鹿みたいやないけ」
「……んー」
サトテルと呼ばれた少年は、赤いマフラーの少年、那須の関西弁が嫌いだった。
那須が東京の下町生まれの下町育ちで、下町から出たことが無いのを知っているからである。
「なあ! 一人にせんといてよ!」
「……何がエロいって?」
「だから、洗車してる人妻がよ。なんちゅーか、清楚感ちゅーか、忠義心ちゅーか。
そこから滲み出る仕草がさ、エロない?」
ついでにサトテルが嫌いなのは、那須が分かりきった嘘をつき通そうとするところである。
『親が転勤族で、地方を周ってたらコトバがおかしくなった』
と、初対面に対して必ず言う嘘が嫌いだ。
元々は陰キャのくせに、無理して陽気に振る舞おうとした結果、那須は『エセ関西弁』と『下ネタ』を覚えた。
サトテルはそのどちらも嫌いだ。
「羨ましいのう。ワシも洗車されたいねん」
那須は遠い目で荒川を眺めた。と、赤いマフラの内側を掻き出した。
「痒」
サトテルはそこでようやく那須の方を見た。
「……汗疹か?」
「ちゃうねんて。……痒いとこに手ぇ届かんわ」
サトテルは大きくため息をついて、那須の後に回り込んだ。
「どこだよ」
「背中んとこ。ごめん掻いてーな」
サトテルは那須のマフラーを解いた。那須の首の後には、大きくかさぶたになってる傷跡がある。
切り傷ではない。刺し傷である。
首の後ろだけではない。那須の背中には大きな火傷の跡。脇腹にも、蹴られた痕のような痛々しい痣がある。
サトテルは、那須のこう言うところが一番嫌いだった。
言いたい事があるなら言え。痛いならそう言え。苦しくて辛いなら俺に面と向かって言え。
サトテルは那須に対してずっと念じていた。
那須の家庭事情は複雑である。
母親が、聞いたこともない名前の宗教団体に入り、愛想をつかせた父親はさっさと愛人を作って消えてしまった。
今は父親から送られてくる手切金が主な収入源だが、それも宗教に吸われてしまう。だがアルバイトは、母親から禁止されているらしい。
それを自分では言おうとしないで、無言でアピールしてくる那須のそういう態度が、サトテルは大嫌いだ。
疼く自分の傷を、友人に掻かせて見せびらかせてくる態度が。
「あんがと。サトテル」
「……んー」
「なあ。ワシら来年、高3やんか」
「んだよ突然」
「卒業しても、ワシらこうやってつるむんか?」
「知らねえよ」
「多分、大人になってもつるむんやろな。お互い結婚して、娘を小学校とかに通わせて、
爺さんになってもお前と一緒におるんやろうな」
「……それが何だよ」
「思うんよ。大人になったら逆に縁を切る方がしんどいねんて」
「そうなの?」
「大人って色々しんどいわー。だってさ、」
那須は、サトテルの顔を正面から見る。顔が夕日で赤く染まっている。
「わし、お前の事嫌いやんか」
そう言って那須は、欠けている前歯を大きく見せて笑った。
「……お互い様だ」
サトテルは那須に中指を立てた。
風を運ぶ荒川の音が、河川敷に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます