すべてを失った日(シャーロット視点・回想)
シャーロット・ガティネは、穀物を取り扱う商人の娘として生まれた。
家族には父親と母親、そして二つばかり歳の離れた兄のアドルフがいた。
決して、裕福ではなかった。だが、家庭には確かに温かな愛情が溢れていた。シャーロットはそこに幸福を感じていた。
いまでも鮮明に覚えている記憶がある。
「おかあさん! おとうさん!」
幼いシャーロットが、アドルフと一緒に両親へ駆け寄っていった。
「あら、どうしたの?」
「これ、あげる!」
背中に隠していたものを差し出す。シロツメクサの花冠だ。
アドルフが説明を始める。
「きょうさ、おとうさんとおかあさんの……えっと、なんだっけ」
「もう、兄さん。けっこんきねんびでしょ?」
「あ、そう! けっこんきねんび! すっごくおめでたい日って聞いたからさ、これつくったの! はい、だからあげる!」
「……」
差し出された花冠を凝視しながら、両親は唖然とした表情を浮かべていた。
しばらくして、涙を浮かべた二人からシャーロットとアドルフは抱き締められる。
シャーロットは首を傾げた。
「どうしたの? おとうさん、おかあさん……」
「ううん、なんでもないの。ただ……幸せだなぁって」
両親がどこにどう幸せを感じていたかは分からない。ただ、その言葉は嬉しく思った。大好きな両親に抱き締められるたび、胸に喜びが広がった。
シャーロットは、こんな時間がずっと続けばいいと思った。
だが、それは叶わなかった。
終わらせたのは、白花病だ。穀物が収穫できなくなり、身体の弱かった母親は栄養失調で床に伏した。
「お母さん、眠いのー?」
「そうね……ちょっと眠たくなっちゃったかもしれないわ……」
「朝になったら起こしてあげるよ! 任せて!」
「そうね……じゃあ、お願いしようかしら……」
母親は消えてしまいそうな笑顔を浮かべる。
その翌朝、母親は何度起こしても目覚めなかった。子どもゆえ、時間がかかる。シャーロットは遅れて、母親の死を理解した。
涙が溢れる。胸が痛む。シャーロットは悲しみに打ち震えた。
だが、シャーロット以上に母親の死を悲しんでいた者がいた──父親だ。
妻への愛情が深すぎた父親は、毎晩と言っていいほど泣いていた。
そしてある日、ついに壊れる。父親は、アポトーシスへの入信を決めた。
「アドルフ! シャーロット! お母さんに会えるぞ!」
信者となって数ヶ月、父親は嬉々として告げてきた。
「え? いや、でもお母さんは……」
「お母さんは遠い場所にいただけなんだ。お父さんの知り合いで、そこに連れて行ってくれる人がいるんだよ。さぁ、会いに行こう!」
言われるまま、シャーロットとアドルフは父親についていく。
連れて行かれたのは、深い森に囲まれるようにして建つ神殿だった。
三人は神父のような装いをした、柔和な笑みを浮かべる男性に迎えられる。
「あぁ、久々に妻と会えるのが楽しみですよ!」
はしゃぐように言う父親の目は、焦点が合っていなかった。シャーロットは寒気を覚えてしまう。
通された神殿内には、暗く鬱屈とした空間が広がっていた。その地面には、巨大な魔法陣が描かれている。
「じゃあ、まずは私からお願いします!」
待ちきれないといった表情で、父親が魔法陣の中心に立つ。
男性は無言で両手を合わせ、小声で詠唱を始めた。シャーロットは形容できない緊迫感を味わいながら、そのさまを見守る。
しばらくして、事は起こった。
突如として、父親の右腕が水疱瘡を患ったかのように腫れ上がる。そののち、鮮血を散らして弾け飛んだ。
シャーロットは衝撃で口を押さえる。アドルフは口を開けっぱなしにしていた。
「神は許しを与えなかったか……」
男性はぽつりと呟いた。その表情にはまったく感情がこもっていない。柔和な笑みを浮かべていた、さきほどの男性とはまるで別人のようだった。
右腕を失いながらも、父親は笑顔を崩さない。
「さ、さぁ続けてください! 私を早く妻の下へ‼ どれだけこの瞬間を待ち望んでいたか……あぁ、また会える! 悦びで頭がおかしくなってしまいそうです! さぁ早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早くっ‼」
続けて、左腕、右脚、左脚が赤く腫れ上がり、右腕と同じように弾け飛ぶ。そして、最後は胴体も四散した。
「昇華完了。彼は上位のセフィラーへと旅立ちました」
男性は、事務的な口調で言う。
「では……」
シャーロットとアドルフが、神父の視線に捉えられた。
恐怖と混乱でシャーロットの足は動かない。目の前で起きた出来事は、頭の許容量をとうに超えていた。
そんなとき、アドルフがシャーロットの手を取ってくる。
「逃げよう、シャル!」
アドルフのおかげで硬直が解けた。
「で、でもっ……兄さん、逃げるってどこへ……」
「どこでもいいから! あの神父がいない場所に!」
アドルフに手を引かれ、シャーロットは走り出した。
懸命に足を動かすなか、途中で背後に目を遣る。それは、さきほど見たものが幻か何かであったことを期待する気持ちがあったからだろう。
だがやはり、それは現実だった。背後にあったのは、父親の無惨な亡骸と、無感情に見つめてくる男性の姿。
シャーロットは、顔を絶望一色にする。
そのとき、ふと違和感を覚えた。
赤く、やや左側に傾いた、円錐形の臓器──父親の心臓が、いまだ脈動していたのだ。
男性が低い声で言う。
「目覚めなさい」
瞬間、心臓を中から突き破るようにして、異形の怪物が姿を現した。
その怪物は、シャーロットを天から見下ろすほどの巨躯を持ち、百を超える頭を備え、砂鉄で固めたように全身が黒く塗り潰されている。
ヘカトンケイルを象ったその怪物は周囲を見渡し、シャーロットとアドルフを視界に捉えるなり、咆哮を放ちながら追走を始めた。
「こっち!」
アドルフはふいに立ち止まり、壁に見つけた小さな穴へシャーロットを押し込む。アドルフも遅れて、その穴に入った。
怪物は穴に手を伸ばしてくる。狭かったがゆえ、その手はアドルフに触れるかどうかといったところで止まった。
アドルフは胸を撫で下ろしつつ、穴の奥を見る。
「ここを進めば、外に出られるかも。よし、このまま……」
アドルフがわずかに顔を綻ばせた、そのときだった。
耳を塞ぎたくなるような音が響く。怪物が穴の縁を砕き、強引に入り口を広げてきたのだ。怪物はさらに腕を伸ばし、アドルフの脚を掴む。
「あっ、やだ、いやだっ……」
アドルフは穴から引きずり出されてしまった。
「兄さん!」
「……逃げて! 逃げてってば! シャル!」
恐怖に顔を歪めながら、アドルフは叫ぶ。
「振り向かないで! 真っすぐ逃げて! 生きて、シャル!」
「で、でも、兄さん……」
「早く!」
「……っ」
しばし躊躇ってから、シャーロットは踵を返す。涙を堪えながら、穴を進んでいった。
ふいにアドルフの悲鳴が響く。凄惨な姿を想像してしまい、足に力が入らなくなった。だが、無理やりにでも力を入れる。
「う……うぅ……」
どんな感情が襲ってこようとも、アドルフの言いつけを守り、シャーロットは前に進み続けた。
やがて、光を捉える。身体を這わせながら、その光が差すほうへと向かっていった。そうして、シャーロットは外へ出ることに成功する。
背後を振り返るが、怪物が追ってくるような気配はなかった。
そこで緊張の糸が切れ、双眸からは涙が溢れる。
「……ああぁ……あああああっ」
泣きながら、理解した。母親のみならず、父親と兄まで失ってしまった。
その現実は、幼いシャーロットにとって残酷すぎるものだった。
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