スキルの調律師さん

沖唄

前編

 エイブラハム・クロートーはスキル調律師である。


「おじさん、まだー?」

「こら、動くんじゃない。メーターが揺れるだろう」


 この世界の人間の殆どはスキルと言われる魂に根差した力を持っている。初めは一人に一つだったが、技術が発達して人の行き来が盛んになることで血が混ざり、スキルも混ざることで、本人さえも全てのスキルを把握する事が難しくなった。

 そのため、こうして不調をきたしたスキルを整える、調律師という仕事の需要が高まった。


 エイブラハムが少女の首輪チョーカーに接続した器械の上部を睨みながらダイヤルを合わせると、キリキリと高い音が器械から鳴りだす。


「ね、ねぇ、怖いよ。この音なに?」

「……お嬢ちゃん、名前は?」


 エイブラハムは片眼鏡モノクルを外すと、少女に正面から向き直る。その前に、白髪が視界にかかったのでかきあげた。


「ハンナ」

「よし、ハンナだな。不安なようだから、スキル調律について説明してやろう」


 エイブラハムは不器用に唇の端を少しだけ持ち上げる。笑顔を作るのに慣れていないのか、頬の筋肉がピクリと痙攣する。


「……クロートー先生、あまり時間を掛けるのは」

「今、待合室には何人いるんだ?」


「……ゼロです」

「少しなら良いだろう」


 器具の点検や交換を行う、調律助手の女性がエイブラハムに口を挟むが、彼が返した質問によって助手は納得させられた。

 この近くに調律院の近くに大きなものができて殆どのスキル保持者はそちらに流れてしまい、わざわざ彼のところに訪れるのは馴染みの町民だけになってしまったのだ。


「ハンナ、これをかけて箱の中を見てみるんだ」


 そう言って、彼女の頭に複数のレンズがついた器具を装着すると、額の上にある複数のレンズのうち一つを眼前に下ろす。

 そうして、先ほどまで彼が弄り回していた器械、調律器の上部にある、長方形に整えられたガラスの中を覗く。


「……虫みたい」

「せめて灯虫ホタルと言ってくれ……」


 彼の背後で助手が噴き出す音が聞こえた。

 エイブラハムは思わず指摘したが、食い入るように箱の中を覗くハンナには届かなかった。

 ハンナの目の前にはガラスの中を泳ぐように動く光の粒が見えていた。


「光の粒が見えるか?」

「うん……」


「その粒一つ一つが、ハンナの中にあるスキルだ」

「これ、全部?」


 数十の粒が箱の中を動いていた。エイブラハムがハンナの頭にあるレンズをもう一枚下ろすと、全てが黄緑色だった光の粒の一部が赤く染まる。


「うわぁ、きれい」

「中心に一番強く光っている赤いスキルがあるだろう?」


 ハンナはコクリと頷く。


「なんか、揺れてる……」

「スキルは自由に動いているように見えて、スキル同士は干渉し合う……ハンナはスキルが暴走したと聞いているが、手から炎が出たとかだろう?」


「なんで分かったの!?」

「その振動してる赤いスキルが、暴走の原因になった〈火炎放出〉スキルだからだ。調律師の仕事は、スキルの配置と流れを調整して暴走が起こらないようにすることだ」


 スキル調律師の仕事は基本的にそれのみだが、それだけでも膨大な知識と計算能力の要る仕事だった。

 それぞれの光の粒は属性によって干渉の仕方や強さが異なる。その膨大な関係性を頭に入れながら安定的な配置を考える必要がある。


「これから調律を行う。そのまま見ていても良いが暴れたりはするなよ。接続が切れたら命に関わる」


 そうしてエイブラハムは助手に目配せをして、ハンナの体を優しく抑えさせる。

 患者の安全を確認したエイブラハムは調律器に向き直り、ダイヤルの操作を始める。


 エイブラハムが慣れた手付きでダイヤルを動かすと、スキルの流れが変化して、その配置がたちまち変わっていく。

 それに応じて、ハンナの体にも変化があるのが分かった。


「なんか、かるくなったかも……」

「これまでは中途半端に発動した状態になっていたスキルが、きちんと止まった証拠ね、大丈夫よ」


 助手の優しい声がハンナの頭の上から降ってくる。そして、安心させるように頭を撫でる。


「安心してね、先生は凄腕だからね」


 本来、暴走するまで乱れたスキルの配置を直すのは、その場でできるような作業ではない。紙に書き出してから、数日をかけて最良の配置を試算する必要があった。

 しかし彼は数百程度のスキルまでなら、頭の中でその動きを完璧に思い描く事ができた。これは彼が持つ〈思考加速〉のスキルと彼が調律師として重ねた経験が為せる業だった。


「……平面組成だ。これで、十年くらいは保つだろう」


 ダイヤルから手を離すと、エイブラハムは大きく息を吐いた。

 ガラスの箱の中を見ると、これまではそれぞれが自由に動いていた光の粒が、星座のように形を変えないままでゆっくりと回転している。ハンナの目にも、それが安定しているのが理解できた。



◆◆◆◆



「暇だ」


 あまりにも患者がやってこないため、暇を持て余したエイブラハムは待合室に顔を出した。


「あ、先生!あの人たち、ちょっと注意してくださいよ。診察でもないのに待合室を集会所みたいに使っているんですよ」


 受付を任された年若い女性が、盤上遊戯を嗜む老人たちを指差す。


「あんなものまで持ち込んで!」


 エイブラハムに覚えはないので、駒も盤も外から持ち込んだものだろう。


「……君はここに受付はどれくらいやっているんだ?」

「ええと、三ヶ月です」


 なるほど、とエイブラハムは頷いた。


「そもそもここは集会所だ。場所を借りる代わりに、診察料は安くしている」

「え!? ……だからでも潰れないんですね」


 どこがか小一時間は問い詰めたいところだったが、受付をやめられると困るのでエイブラハムは視線を逸らした。

 すると、器具を並べている一角に冷気を放つ物体があるのを見つけた。


 そこにはオレンジの果実と果汁が〈冷却〉スキルによって固められたコップが二つあった。取り出しやすいようにその中央には棒が刺さっている。


「ふむ、アイスか。一本貰おう」

「ちょっと、先生!それアズリーンさんのですよ」


 アイスを齧ったところで、受付の女性から叱られる。

 アズリーンとはエイブラハムの助手の名前だ。

 その言葉に、エイブラハムは宙をみて少し考えてから、もう一つのコップを受付に差し出す。


「……君も共犯だ」


 女性には甘味による口止めが有効なのだと彼は知っていた。


「あ、えーと、へへ。それじゃあいただきま……っ」


 受付の女性が指を伸ばそうとした時、腹の底を揺らすような爆音が響いた。窓ガラスの一部が割れて、その近くから悲鳴が上がる。


「……スキル暴走だ。少し見てくる」

「先生、危険です!」


「私はスキル調律師だ。今日は休業だ……アズリーンが戻ってきたら私を探すように言っておいてくれ」

「先生!」


 エイブラハムは意図的に制止の声を無視して簡易調律器を奥から取り出すと、扉を開けて白衣をはためかせながら出て行った。



「これは……予想外だ」


 大通りに出たところで、煙が上がっているのが見えた。

 煙を辿る事で直ぐにスキル暴走の中心を見つけるのはできたが、問題はその場所だった。

 エイブラハムが務める調律院の経営を傾けた原因である、もう一つの調律院、その一画が大きく破壊されていた。


「調律師共は何をしていたんだ」


 調律前に暴走が起こったのか、それとも調律中のミスによって暴走を引き起こしたのか。もし後者であれば免許を剥奪しても足りないくらいだと、彼の心に怒りが宿る。


 野次馬をかき分けて、壁にできた穴から中を覗き込むと、その先は調律用に外からの影響を遮断するために作成された無響室だった。

 中を見ると複数の調律師が慌ただしく動いている。


「烏合の衆だな」


 調律中のミスである事が発覚して、エイブラハムは怒りに目尻を上げた。穴から無響室の中に入り込むが、混乱している彼らはエイブラハムの存在に気づかない。

 部屋の中に視線を走らせると、気絶した患者が寝かされていて、その首から繋がる導線が大きな調律器に繋がっている。

 彼が持っている器械と比べると、数倍の大きさがある上に、値段で言えば数十倍はある凄まじく質の高いものだ。


「無響室に人工スキルを組み込んだ調律器まで……患者は貴族か」


 この国の貴族は優秀なスキルを持った者同士のを重ねてきたせいで、膨大なスキルの数を持っている。


 その前に座って調律を行なっている者を見ると、無茶苦茶にダイヤルを弄り回しては意味の分からない声を上げている。

 技術がどうこうではなく、明らかに新人だ。もしかすると、調律に失敗した者がこの青年に失敗を押し付けようとしているのか。


「退け」

「うぐっ……」


 青年を蹴り倒し、調律器の前に立ったエイブラハムはダイヤルを摘み。

 スキル空間を投影するガラスの箱を覗き込むと、中には1000を超える数のスキルが散らばっていた。


「どうして、こうなるまで放置していたっ!」


 このままだと、先ほどの暴発の時とは比にならない破壊をもたらして、その中心にいる患者も死ぬ。

 例え簡易的な調律器であっても、定期的に調律を行なっていればここまで配置が乱れることは無かった。エイブラハムは隣国との戦争が激しくなっていることは知っているが、調律の余裕さえないほどとは思わなかった。


 とりあえず、時間を稼ぐために最も強く振動しているスキルを全体から引き剥がす。これだけでは導火線を伸ばしただけであり、直ぐに暴発を引き起こす。


「〈思考加速〉」


 意識的にスキルを発動して、ガラスの箱を睨んだ。

 1000以上のスキルを一度に再配置するのは彼の演算力を持ってしても不可能だ。

 そこで、これまでに作成した数千近くのパターンから使えるものを引っ張ってきて、数十個のスキルの小集団を作る。


「なにを……どけ……は……」


 横から声が聞こえるが、エイブラハムは無視して手元を動かす。

 生み出した小集団を一つのスキルの粒と考えて、集団同士の干渉が最低限になるように配置する。

 エイブラハムの技術を以ってしても難しい作業だったが、調律器が備える人工スキルの補助によって、半分以下の時間で調律を終える事ができた。


「貴様、近くの院の調律師だな。施術に割って入るのがどういうことか理解しているのか!!」

「するべきことをしただけだ、礼は要らない」


 無響室の外から現れた老人が、エイブラハムを強く非難する。

 発動したままだった〈思考加速〉スキルを停止すると、遅れて疲れが上ってくる。


「舐めおって、儂の力を以ってすれば、木端の調律師など……」

「始めに調律に取り掛かったのは、貴方か?」


 この部屋の中が少しざわつく。

 ミスをして暴走が起きそうになったから、自分だけは退避していたのだ。彼の纏う白衣と直ぐにこの場に戻ってきた事がその証拠だった。


「ち、違う!」


 老人の調律師は首を振ったが、同様から言葉に詰まっていた。

 しかし、何かを思い付いたのか邪悪な笑みを浮かべる。


「い、いや……貴様が無理やりに調律に割り込んだのだ。そのせいで、暴走は引き起こされた。ここにいる全員が、その証人だ!」

「そんな事が通るか」


 エイブラハムは性根の腐った老人に呆れた視線を向ける。


「通るとも。貴様が一人で調律を成功させたなど、証言する者は誰一人居ない!!」


「いや、僕が証言しよう」


 室内によく通る声が響いた。

 声がした方を全員が振り向くと、水で汚れが落ちるように壁の色が溶けて、青年が姿を表した。

 スキルを使って景色に溶け込んでいたようだ。


「いやぁ、運が良い。部下の調律に立ち会っていたら、一人の才ある調律師を救う機会に巡り合えたのだから」

「何者だ、貴様っ……」


「『平伏せよ』」


 青年の言葉によって、部屋にいた全員が倒れ込んで彼に向かって平伏させられる。

 それはエイブラハムも例外ではなく、地面に額を付けた彼はそのスキルの正体に気付いて大きく目を開いた。

 言葉によって人を強制的に動かす〈王令〉スキルは、ここオースランド王国の調律師なら誰もが知っているものだ。


「我が名はヴィクティマ・エル・。次に話す言葉には、貴様の命がかかっていると心得よ」


 王の顔となった青年が、老人の調律師に告げる。


「さあ、『真実を述べよ』」


 王だけが持つことを許されたスキルが、老人に向けられた。



「……あぁ、そうだ」


 彼は思い出したようにエイブラハムの方を向いた。


「君には、僕の調律をやってもらう」

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