第21話 4.19事件③


 足取りも重く、帰路を歩む。

 4月の夕暮れ時はまだまだ寒い。


 手のひらで弄ぶのは、先ほど部活で獅子先輩に受け取った容器。

 スキットル……だっけ? 缶コーヒーくらいの量が入りそうな大きさだ。

 やたらと角ばっていて、富士山の麓の絵が描かれていてお洒落なのがにくい。



『いいか、これからきっと辛い目に会う。そしてそれは自分でどうにも出来ない。その時はこれを呷るんだ。問題をうやむやにしてくれるから!』



 思い出すのは部活終わりの獅子先輩の言葉。

 いやいや、問題をうやむやにしてどーすんだ?

 まったくもって後ろ向きなアドバイスである。


 それに自分ではどうにも出来ないって……そんな事はないだろう?


 かの激動の時代の首相、犬養毅だって『話せば分かる』と言っていたじゃないか。

 だからきっと、小春も美冬も夏実ちゃんも話せばきっと……あれ、そういえば犬養毅の最期って――

 ……うん、深く考えるのはよそう。


 とりあえずは小春だ。


 小春は妹だし、家に帰れば嫌でも顔を合わせる。

 今朝の事の誤解を解きたいし、出来れば今後の事も話し合いたい。

 そして出来れば、穏当で一般的な兄妹関係を築きたい。


 無理かな?

 いや、そんな事は無い筈だ。

 今まで小春とはコミュニケーションが足りなかっただけなんだ。

 だから、きっと――



 気付けばもう家は目前。


 よし! と心に喝を入れ、福祉原液入りのスキットルお守りを確認する。


「ただい――」


「おかえり、おにぃ」

「あきくん、おかえりなさぃ」


 思わず固まってしまった。


 玄関先では小春と美冬が仲良く並んで、三つ指ついてお出迎えしていたのだ。


 美少女2人にお出迎え……そそられるシチュエーションだろう。

 男子の夢と言ってもいい。


 だけど、その美少女2人は目を血走らせていた。

 そして切羽詰まった、殺気にも似たオーラを隠そうともしていなかった。


 思わず下半身がきゅぅっとなって内股になってしまう。

 浮気がバレた旦那さんってこんな気持ちなのかな?

 お、俺は彼女出来たら絶対に浮気なんかしないぞ!


「おにぃ、話があるの」

「あきくん、お願いがあるの」

「あ、あぁ、あの、その……」


 何かを堪えるかのように俺を睨みながら言うその台詞は、まるで浮気の証拠を手に持ちながら詰問してくる虎夜叉に羅刹熊。


 俺は断じて浮気なんかしていないし、そもそも誰かと付き合った事すらない。

 やましいことなんて何も無いハズだけど、2人は問答無用とばかりに詰め寄ってくる。



「お、俺コンビニに用があるんだった!」


「あっ!」

「むぅっ!」


 そう、これは逃亡ではない。

 戦略的撤退だ。


 美冬だって夜になれば流石に帰――



「ダーメですよぅ、先輩♪」

「――え?」


 ズシン、と背中に衝撃を受けた。


 肺の中の空気が漏れ出し、一瞬何が起こったか把握できない。

 目の前にはやたら遠く感じる天井、そして俺の顔を覗く幼い美貌。


「……夏実ちゃん?」

「あはっ♪」


 どうやら見事な払い腰をキメられたようだ。

 頭だけは打たないように加減してくれたらしい。

 だけど衝撃で身体が痺れて動けやしない。


 ……あれ、まずくない?


「お、おにぃが悪いんだからねっ!」

「ごめんね? あきくん、ごめんね?」

「先輩、あとでお仕置きしてくださいね?」


「んぐっ?!」


 強引に口の中に何か流し込まれる。

 今まで感じたことのない火傷にも似た衝撃が喉を焼く。


 ケフッ、ゲホッ! ちょ、やたら濃いんだけど?!


 思わずむせて吐き出しそうになるが、がっちり口と鼻を抑えた小春と美冬がそれを許さない。

 目の前には琥珀色の液体が入った、『乾夏美』と書かれたいつぞやのペットボトル。


 え、えぇぇ、そこまでする?


 そこで俺は絶望と共に意識を手放した。




  ◇  ◇  ◇  ◇




 夢を見ていた。


 とても幸せな夢。

 それはきっと俺の願望だろう。



『もう、お兄ちゃんしっかりしてよね! 遅刻しちゃう!』

『悪い悪い。でも小春、お前寝ぐせ跳ねてるぞ?』

『え、うそ! 最悪! 早く言ってよね!』

『はは、ごめんごめん』


 妹に憎まれ口を叩かれながらも、程よい距離間で家を出る。

 プリプリ怒った風を演出しているが、妹として甘えてきているのがわかる。

 ちょっぴり素直じゃないけど見た目も正統派美少女な可愛い妹――これが俺の小春に対する理想なんだろうか。



『おはよぅ、あきくん、はるちゃん』

『おはよ、美冬。あれ、髪とか眼鏡どうした?』

『おはよ、ふゅーちゃん。わぁ、すごい似合ってる。可愛いよ!』

『ん、ちょっとね。ど、どうかな、あきくん?』

『おう、いいと思うぞ?』

『えへへ、そっか』

『むぅ、おにいちゃん?』


 家を出てすぐに美冬と出会う。

 地味な黒髪眼鏡じゃなく、色や髪型を変えてコンタクトにした美冬だ。

 明るくモデルみたいな茶髪ゆるふわな美少女だけど、どこかトロくさくてはにかむ様子は安心感がある。

 見た目は派手になったけど、中身はそのままおっとりあわあわ――これが俺の美冬に対する理想なんだろうか。



 トロくて遅れがちになる美冬を揶揄いつつ、通学路を歩む。

 小春、俺、美冬と幼い頃からと同じ位置取りで、他愛なくも穏やかな時間が過ぎていく。


 そこに突如割って入ってくるものがあった。


『おはようございます、先輩っ!』

『っつー、今日も手荒いな、夏実ちゃん』


 パシン、と夏実ちゃんが挨拶代わりに背中を叩いてきた。


『えっへへー、でも相手は選んでますよ、先輩』

『ったく、もう』

『相変わらず元気ね、あなた』

『それだけが自分の取り得っすから、お姉様!』

『あきくん、背中大丈夫?』

『なんともないって、いつものことだし』


 高校に上がってから出来た後輩の夏実ちゃんを加え、校門をくぐる。

 明るく人懐っこく、そして小春と美冬の懐にも飛び込んじゃって可愛がられている。

 今はまだ小学生みたいに幼いけれど、将来美人が約束されているとわかる活発な美少女――これが夏実ちゃんに対する理想なんだろうか。


『おにいちゃん♪』

『あきくん♪』

『先輩♪』


 ちょっぴり素直じゃないけど可愛い妹とぽやんとしたゆるふわおっとり幼馴染、それに明るくムードメーカーの活発な後輩。

 3人はお互いじゃれあうかのように下らない話で盛り上がったり、たまに俺に話を振ってきて慌てちゃったりして――


 騒がしくも、どこか穏やかで暖かい関係。

 ああ、きっとこれが俺の理想なんだろう。


 そうだね。


 理想っていいよね。



 …………




「んふぅ~、おにいちゃぁん」

「…………」


 小春が執拗に、俺の首筋におでこを擦りつけている所作で目が覚めた。

 いつの間にやら俺は自分の部屋に移動したらしい。

 やたらと身体が重い。まるで何か重石を乗せられているかのようだ――って。


 小春さん? おでこの位置がそこだと俺の喉仏とかすっごく喰いちぎりやすいよね?

 右に首を動かせば、そこには俺の右腕を枕代わりにしている半裸の小春が居た。

 あと俺の呼び方が、おにぃからおにいちゃんに変わってる。


「小春?」

「お兄ちゃん……わたしね、可愛い妹になるから。頑張るから。生まれた時からもそうだし、これからもずっと一緒だから。だけど、たまにはわがまま聞いて福祉を飲んでね?」

「あ、あぁ」


 じゃないと、このまま首を噛み千切るから――そんな心の声が聞こえた気がした。

 俺はただ、頷くしかなかった。


「あきくぅん」


 今度は左側から、甘えるような美冬の声がする。

 そちらに首を向ければ半裸の美冬が俺の左腕を抱きかかえていた。


 ――ベアハッグ。


 俺の左腕の命運は美冬が握っている――

 大事そうに俺の腕を抱えるその様は、何故かその単語を思い浮かばせた。


「美冬?」

「あきくん……あたしね、あきくんの隣にいても恥ずかしくない女の子になるから。いっぱい努力するから。だから傍に置いて欲しいの。物分かりの良い2番さんを目指すから、だから……ちょっとだけお願い聞いて福祉を飲んで欲しいの」

「え? なに言って……」


 幼馴染の告白めいた言葉と共に、何故か2番さんを目指すという訳の分からない台詞が頭を悩ませる。

 ただ、ここで否を唱えると俺の左腕は一生不自由する――その確信だけがあった。


「せんぱぁい」


 そして今度は目の前からだらしなく蕩け切った夏実ちゃんの声が聞こえてきた。

 下を覗き込むように目を移せば、そこには半裸で胸元に頭をコッツンさせ前足と言うか手を乗せながらスリスリさせる夏実ちゃん。


 よくワンコがやるような愛情表現にも見えなくもない。

 だが俺には心臓を鷲掴みにされているようにしか見えなかった。


「夏実ちゃん?」

「先輩……勝手な事してすいません。あ、あとでお仕置きして欲しいですっ。その事は悪かったと思います。だけど自分達、それぞれ先輩に求めるものが違うから共生できると思うんですよね。だからね、たまには自分のお世話して福祉を飲んで欲しいです」

「…………」



 …………



 どうしてこうなった?!


「おにいちゃあん」

「あきくぅん」

「せんぱぁい」


 3人仲良く俺の隣で、いっそ淫蕩なまでに甘えてくる。

 美少女達を侍らせて嬉しいかって?


 とんでもない!


 今の俺は人食い虎に首筋に牙を立てられ、暴れ熊に片腕をベアハッグされ、餓狼がいつでも食えるぞと心臓を握られてるんだぞ?

 なまじ、気の弱い子を気絶させた実績があるだけに洒落にならない!


「お兄ちゃん、これからはちゃんと可愛がってよね?」

「あきくん、これからも傍にいてもいいよね?」

「先輩、ちゃんと私のお世話も忘れないでくださいよね?」


「ひ、ひぃ」


 大橋秋斗16歳。

 素直で可愛い妹有り。

 ゆるふわで愛人2番さん志望の幼馴染有り。

 責任とか微塵も取りたくないペット後輩有り。

 されど童貞、彼女無し。


 夕日が沈んでいくのと同じように、涙も零れ、彼の青春も沈みこんでいくのであった。


 彼の苦難は始まったばかりである。

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