『無知の辜、無辜の知』
闇の半神クリフォトは、13のクリファから成る。
『光の源たる太陽を覆う
"暗闇"、"無神論"、"愚鈍"、"反感"、"無感動"、"残酷"、"醜悪"、"強欲"、"不安定"、"物質主義"、"強制"、"非難"、"威圧"。
クリフォトという名前は、クリファの複数形です』
"鏡の子"マリヴェレは十三神の使いの身でありながら半神クリフォトの討伐の役を担っている。
1000年という長い年月を掛け、10のクリファの破壊に成功した。
残る3つのクリファ。
マリヴェレは"光明の巫女"アイリスと共に神性の宿る"暗闇"のクリファを破壊し、ウンメクリヒの三命題の一つ"神殺し"を達成。
次なるクリファは、非常に繊細なものであった。
第二のクリファ"無神論"。
このクリファに身を宿したクリフォトは権能を封じられる。
そして、最も致命的なデメリットとは。
"無神論"に宿るクリフォトは、自分が半神であることを忘れてしまう。
半神である事実は変わらないため、無意識下での権能行使は健在である。
そのため、"暗闇"が討伐された後も大陸を覆う暗闇が消えることは無かった。
記憶を喪失したのであれば、マリヴェレによって容易に討伐可能なのでは?
そう思う者もいるであろう。しかし、それは間違っている。
この世界における最もタチの悪い悪とは、"悪意のない悪"なのだから。
「おかえりなさい、クリフ!
あら、結構降られたね」
『おはようございます、アルマ師匠。
貴女のせいですよ』
"無神論"のクリファは、とある条件を満たさない限り死なない。
心臓を貫かれ、聖光に炙られ、火葬をされても破壊されない。
暖炉の中、生きた灰となって存在し続ける。
『全く、働き損だ。
無意味に濡れたメフィが可哀想です』
「そんなことは無いわ。
薪の回収に南へ行ってくれたから、新しい"鏡"の設置に気づくことができたのだし」
『......まさか、見えていたんですか』
「ええ」
5年。アルマは5年に渡り暗闇の中にいた。
いくら水龍の権能を持とうとも、それだけ長く闇に居ればクリフォトによる侵食を受ける。
魂の外殻は徐々に崩れ、精神は脆弱になる。
闇が、アルマの精神を虫食んだ。
『どうやって』
「そこで問題です、弟子のクリフくん。
私の力はどんなものでしょうか?」
"クリフ"を失ったアルマは半廃人となる。
朦朧とした意識の中、暖炉から響く声に
あり得ない現実を夢見心地で見続けるのだ。
アルマは最早人間ではない。
食事も睡眠も必要は無く、暖炉から響く声と会話し続ける。
妄想の世界に浸り、目覚めた状態でありながら夢の中に落ちている。
『最後に師匠が起きていたのは6カ月と10日前です。
寝坊が過ぎるので、もう占星術は終えて測度論と解析力学を読み進めました。
今は高分子化学の中盤です』
『順序が混沌としているわね。アルマの方針?』
『いえ、目についた本をただ読んでいるだけです』
「おかしいよ」
ソファに腰掛ける魔女。
隣には誰も座っていない。
向かい合ったソファにも、誰も座っていない。
居もしない
狂乱しきったその脳みそでは、簡単な矛盾すら見抜けなかった。
「だって、ええ? 半年。6カ月?
私は『時雨の魔女』なのに......なんで?」
雨が半年も降らないわけが無い。
いくらアルマが雨雲の操作に長けていたとしても、半年は長すぎる。
時雨の魔女アルマ。
雨の日にだけ姿を現すという噂は、クリフの死を境に意味が変わった。
今では雨の日だけ正気を失う魔女に成り果てたのだ。
雨が止み、正気を取り戻せば精神が崩壊する。
アルマの体はアルマ自身の自我によって構成されている。
水の体が自壊している間は、フラスコの中の水に成り果てる。
「水の屈折率をいじって全反射を引き起こし、光の透過を0に収める。
こうすれば、クリフも陽の光に当たることなく都市へ......」
『危険よ! アルマ!』
『そんなことができるなんて......』
そしてその狂気が、最悪の結果を生み出す。
アルマが呟いたことは、闇の神クリフォトが追い求め続けてきた方法。
聖光を凌ぐ方法を耳にし、"無神論"のクリファは覚醒する。
暖炉を満たす灰の海が歪み、波紋が伝う。
記憶をたどるように、絡み合うように寄り集まる灰。
サラサラともザラザラとも言い表せない音を立て、砂が形を成す。
粉塵が固まり、葉脈のように骨格が生える。
裸の脊椎を覆うように肉が芽生え、皮が張る。
黒曜石色の肌と髪は、焼け死ぬ前のそれと変わりない。
「師匠、ありがとうございます」
地面に倒れ変形を繰り返す水の塊を見下ろし、彼はそう呟いた。
★★★
俺は時雨の魔女アルマの弟子だ。
彼女は研究者で、俺に多くのことを教えてくれた。
研究の仕方は教えてくれなかったが、俺も真似しようと思う。
生まれて初めての研究だ。
魔法陣を敷き、フラスコに師匠を捕らえ、データを収集する。
学んだことを余さず活用し、研究に没頭した。
研究テーマは『権能の複製あるいは収奪』。
アルマ師匠に宿る力を解析し、俺のものにしようという研究だ。
苦戦した。いつまで経っても終わる気がしなかった。
師匠が好きなベルガモットの汁を目に塗って眠気を覚まし、不眠不休で研究し続けた。
26日目の早朝を迎え、フラスコが揺れた。
「ふわぁああ......あれ、動けない?」
フラスコの中から水が溢れ、人型を成そうとする。
しかし魔法陣が黒の光を放ち、その形成を阻害する。
水の塊はぐねぐねと動き続け、最終的には口と目が現れた。
俺は失敗したのだ。
解析には成功したものの、その完全な複製も収奪も叶わなかった。
結局、俺は師匠のような研究者にはなれなかったのだ。
師匠は教えてくれた。
魔法は想像を具現し、際限の無い想像力があれば全知全能になれる、と。
俺には想像力が足りないのだろうか。
想像力さえあれば、俺は神にでもなれるのだろうか。
その瞬間だった。
「師匠は......」
すべて、思い出した。
「自分の体のすべてが違う水になっても、自分は自分のままだと言い切れますか?」
どんな
俺はずっと俺のままだ。記憶を失おうと連続性は失われない。
「雨が止みました。起きて下さい、師匠。
あなたは俺、クリフの。
いいや、違う......」
俺は闇の神クリフォトだ。
体が崩れ、己の死を肌に感じる。
条件が達成され、"無神論"のクリファが破壊されたのだ。
第二のクリファ"無神論"。
それは自身の存在を忘却し、いかなる外的要因による破壊も叶わない。
破壊する唯一の条件は"自分が闇の神であること"を思い出すこと。
無知は死に、闇の神は次なるクリファに宿る。
最後のクリファは目的を達成するため、最大の障害を取り払う。
彼の道を塞ぐ存在は生きることを許されない。
「
黒い肌の男は歩き始める。
ウンメクリヒの三命題"神殺し"を実現した巫女と賢者を、亡き者にするために。
★★★
「以上が作戦の経過報告となります。
それでは失礼致します、マリヴェレ様」
騎士が退席し、私は眉間を指で押さえる。
また一人、交流を持った仲間が死んでしまった。
「オプティカ騎士団隊長ガルア=スルバラン。
彼の死は、大きな損失です......」
誰もいない部屋の中、小さく独り言を呟く。
老いた騎士とはいえ、彼の統率能力は非常に優れており、実戦経験も豊富だ。
実際、今回の交戦においてもクリフォト様の本体に一撃を加えたようだ。
ガルアの死体は回収できなかった。
血痕からして悲惨な結末を遂げたのであろうが、英霊の墓へ手向けをすることすらできない。
「なぜ、彼の死体だけ消えてしまったのでしょうか......」
ガルアの部隊のメンバーは全滅し、領域縮小した闇の中で発見された。
死体が引き摺られた痕は森の奥に向かって続いており、闇が追跡の行く手を阻む。
もし死霊魔法の依り代としてガルアの死体が使われるのであれば堪ったものではない。
疑念は尽きない。あれこれ考えても仕方がない。
私は今できることをする。
135年前から続く暗黒の時代に終止符を打つために。
「残るクリファは、2つか1つ」
ガルアがクリファ破壊に成功したかどうかが分からない以上、まだ2つ残っていると考えるのが得策だろう。
"無神論"と"ーーー"。どちらも厄介極まりない。
総力戦に挑むとなると、どれだけの戦力が必要なのだろうか。
戦力。
聖光照射の時間稼ぎをするための
本来であれば、私の他にもう1人頼もしい味方がいた。
「アルマ。
あなたは一体、どこにいるの......」
理解している。分かっている。
龍に食われ、足を失った状態で連れ去られた。
"時雨の魔女"という怪しい女の噂も別件なのだろう。
それでもなお、諦めきれない。
「.........また、判断に淀みが差しました」
あの日から、目を瞑ればアルマのことが脳を支配する。
忘れられない。忘れるわけがない。
私が"暗闇"の討伐後に気絶していなければ、龍への対処も間に合った。
何を考えても頭から離れない。
今はどうも仕事に手がつかない。
このままではどうしても気は紛れないだろう。
私は書類を机の端にやり、部屋を出る。
彼女に会いに行くために。
===
アルマの小さな墓には先客がいた。
彼女の両足が納められた墓には、一輪のラベンダーが添えられていた。
祈りを捧げるその指は皺が立ち、その背は昔よりも少し縮んでいる。
先客はただ一心に浸り、眠るように祈っていた。
「私は
アイリスは振り返ることも無く、静かに口を開いた。
何の脈絡も無くそう言われ、私は困惑する。
彼女の隣に座り、その言葉の意味を考える。
「ええ、あなたはもう大人です」
「物心ついた時からずっと言われていました。
私は常に守られるべき存在なのだと。
でもそれは、守られなければ生きられない場合だけでしょう?」
嗚呼、そうか。
私が感じた悲しみなど、彼女のそれに比べれば無いようなもの。
己の護衛騎士として、親と変わらぬ存在として生を共にしてきたのだ。
「ガルアの遺志は2つあります。
私の生存と、私の自由。
前者を優先する気持ちも分かりますが、今は後者を求めさせて下さい」
能力と相性の都合上、私とアイリスは行動を共にすることが多い。
安全を考慮するのであれば、私は四六時中彼女の護衛を務めるべきであろう。
しかし、それは当の本人の意志に反する。
40年。アイリスは闇に抗い続けた。
自分の身を守る術は身についている。
ガルアがいなくとも、もう1人で生きていける。
「あの瞬間、"暗闇"を破壊した時。
私は愚かにも自分の天命を全うしたと思っていたんです」
闇の半神は今際の際で決死の表情を見せた。
事実、あの体は完全に消滅したのだ。
暗黒の時代が終わったと勘違いしても仕方がない。
「二度と空虚な達成感に浸りはしない、と。
泥と血に汚れた靴を見て、そう誓いました」
辛酸と後悔を思い出し、アイリスの唇がギュッと締められる。
斜陽が生んだ墓石の影が長く伸び、広場の静寂が淀む。
アイリスは瞼を上げ、私の目を見た。
「クリフォトを殺すまで、私は生き続けます。
意義と憎しみを原動力に、久遠であろうと」
生まれながらにして運命づけられた存在意義。
"大切な人の仇"という手垢に塗れた常套句。
美徳を欠いた宣誓に、夕焼けがあくびをした。
『面倒なことを言う』
「「!?」」
私とアイリスは同時に構える。
声の主を目で探り、広場をぐるりと視認する。
『矮小な人の身にして、久遠を語るか』
アルマの小さな墓が建てられた白亜の広場。
白石が夕焼けの橙色に染められた、がらんとした空間。
そこに浮かぶ黒は、墓石の作る影だけだった。
『地神の民よ、己の身の程を弁えろ。
縷々として繋がれた貴様らの生は、何の意味も成さない』
長く伸びた影がぐにゃりと変形し、踊るように動き始める。
幾何学図形を成し、雲の形を成し、龍の形を成し。
ありとあらゆる影絵が生まれ、地面から湧き上がるように立体化した。
『至上の矛と至上の盾があろうと、老いは矛を枯らす。
錆びれた矛で何を斬る? 曇天を吐く黒霧を分かつか?
循環の輪を加速させるだけの闘志に、何の意義がある?』
立体化した影は霧のように不鮮明で、実体性がない。
私たちを取り囲むように渦を成し、流れと共に形が移ろう。
破壊された過去のクリファの"影"が私たちを睨んでいる。
今まで対峙してきた闇と同じだ。
同じ筈だというのに、やはりこの身は反逆に震える。
影の渦が徐々に遅くなり、止まった。
黒色の霧の中から、クリフォトが姿を現した。
「意義の無い存在は、この十三天地に不要だ。
いかなる色を混ぜようと、底の無い黒はすべてを呑み込む」
斜陽は地平線に呑まれ、オレンジ色が遠退くように掃けていく。
日没。それは夜の到来を知らせると同時に夕刻の死を告げる。
闇の半神は荘厳なる空気を身に纏い、言い放つ。
「『光明の巫女』アイリス。
『鏡面の賢者』マリヴェレ。
貴様らの死を添え、この地界を闇に包むとしよう」
100年の物語に壮絶なる幕引きを。
混じり合うことのない光と闇の終結を。
聖光と黒霧が濁流を成し、鏡がその器となる。
白亜の広場は千にも万にも砕かれ、その欠片は白砂に成り下がる。
アルマの小さな墓は、跡形もなく消え去った。
闇の半神クリフォト。
最後にして最大の戦いが今、始まった。
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