03:記憶喪失の少女
「本当に、ありがとうございました」
座りながら深々と頭を下げる少女に、入れたてのキャラメルホットミルクを提供する。
「いえいえ、僕たちは当然のことをしただけですから」
「王宮からの無茶苦茶な依頼に比べれば、あれくらいどうってことないしな」
ミトラはケラケラと笑いながら言うが、その言葉からは王宮への不満が水漏れのように滴っている。
それにしても、見ず知らずの猫のために他人に頭を下げられるなんて、この少女はよほど人間が出来上がってるな。
なんて思うけれど、キャラメルホットミルクを目を輝かせながら覗くその姿は、見た目相応の幼さを感じられてとても可愛らしい。
「熱いので、少し冷ましてから飲んでくださいね」
僕の言葉に従い少女は両手でカップを掴むと、ふーふーと息を吹きかけキャラメルホットミルクを冷ましていく。
温度を確認するようにゆっくりと口に運んで嚥下すると、少女の頬がほくほくと温まったように赤く染まっていった。
「甘くておいしい~」
うっとりと表情を緩ませた少女を見て、思わず笑みが零れてしまう。
「よくそんな甘々ったるいの飲めるよな。俺なんか、一口飲むだけで大満足だぞ」
「魔法を用いるには人体・特に脳のエネルギーを多分に使用する。そのエネルギーを得るために必要なことは食事。食事とは栄養。栄養とは甘味。即ち、魔法の行使には甘味が必要不可欠なのである。『ショコレーヌの魔導書 第一章 第三節』だよ。本来なら、魔法を行使する機会が多いミトラにこそ、スイーツをたくさん食べてもらいたいんだけどね」
「ショコレーヌの魔導書って、所々変だよな。なんだよ、栄養とは甘味って。バランスよく食べないと体に良くないって八百屋のおっさんも言ってたぞ」
言いながら、ミトラは熱々のブラックコーヒーをズズズと音を立てながら啜る。
「なんだろう。疲れた時に甘い物を食べると、脳が活性化するというか。内包されていた自分の真の力が覚醒するような。そんな気分になるんだよ。わからないかな?」
「兄さん。それはもう、病気を疑うよ……」
うーん。どうやら、ミトラにはまだ甘味教育が足りていないようだ。
今後、ミトラに出す料理には少しずつ砂糖を入れていって、甘味の素晴らしさに徐々に気付かせていこう。
「にゃおーん」
そんなことを考えていると、少女の膝の上に乗っていた先ほど助けた猫が軽快な動きでカウンター上に身を乗せる
そして何かを催促するような目でこちらを見つめてきた。
「どうした? お前も何か飲みたいのか?」
僕の言葉に「にゃん」と相槌を返す猫。人語を解しているようなその動きに違和感を感じるも、手早く小皿にミルクを注ぎ猫に差し出した。
「んにゃ!」
しかし、何かが気に入らなかったのか、猫はミルクに口を付けようとはしない。
「えっと、水の方がよかったのかな?」
「んにゃんにゃ!」
「違うよ兄さん。きっと、温水がいいんだよ」
「んにゃ――‼」
僕とミトラの言葉にことごとく首を振る猫。
その動きは、本当にこちらの言葉を理解しリアクションしているようで、とても興味深かった。
猫は少女の持つカップを見つめると、「にゃ」と短く発してカップを指し示す。
「もしかして、キャラメルホットミルクが飲みたいの?」
「にゃ~♪」
推察は当たっていたようで、猫は満面の笑みを浮かべながら首を縦に振った。
その要望に応え、僕は少女に提供したのと同じ物を用意する。
熱々の状態では猫舌な猫は耐えられないと思い、ほんのりぬくもりが残る程度に冷ましたキャラメルホットミルクを、小皿に入れて提供した。
猫は小さい舌でチロチロとそれを舐めると、ご満悦そうに喉をゴロゴロと鳴らす。
「驚いた。甘味をあまり感じられない猫がこれほど好んで甘い物を求めるなんて」
「キャラメル色の毛に、甘い物が大好き……そうだわ! 今日から、あなたの名前はキャメル! そうしましょう!」
少女の命名に対し、猫は特に嫌がる様子もなく「にゃお」と了承にも取れる声を発する。
「名前と言えば、俺たちまだ互いに自己紹介してなかったよな?」
「そういえばそうだったね。それじゃあ、僕から。ここ『
「ミトラだ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします!」
自己紹介を行うと、少女は礼儀正しく頭を下げてくれる。
「お二人は双子だったんですね。顔がそっくりだったから、私ビックリしてました」
「皆さんよく驚かれますよ。一応、髪の長さなどで違いを出してはいるのですが……血の繋がりというのは、そんな小細工では誤魔化せないようですね」
「いいじゃんか、瓜二つな天才双子。俺たちが組んで世の中に出ていけば、きっとすぐに人気者になれるよ? そうしてガッポシ稼いで、いずれは国外からも注目を集める――」
「ミトラ、ちょっと静かにしてくれる?」
自分の世界に入り、ペラペラと妄想を語り始めたミトラに制止の声をかける。
シュンと肩をすくめたミトラを傍目に、僕は少女の自己紹介へと耳を傾けた。
「えっと、私は……その……」
ただ、少女は口ごもりながらなぜか申し訳なさそうな顔で俯いている。
「その、ごめんなさい!」
「え、何急に?」
突然大声で謝り始めた少女に、ミトラが疑問の言葉を発する。
「私、自分の名前が分からないんです」
「ふむ。それは、もしかしてあまり口にしたくない理由ですか?」
名前が分からないと聞き、少女が生を受けて以降名を与えられることなく育った孤児である可能性が浮かび上がる。
それを気にして言葉を掛けるも、少女が「いや、そんなことはないんですけど」と口に出したことで、その可能性が杞憂に終わった。
「実は、昔のことが一切思い出せないんです」
「それはつまり、記憶喪失ということですか?」
「へぇ、記憶喪失なんて初めて見た。そんな人、本当にいるんだな」
ミトラのデリカシーのない発言を咎めるように、軽く肩を小突く。
「そうですね……それでは、記憶が戻るまでの名前を今ここで決めるというのはどうでしょうか?」
「お、それいいね! 何だったら、俺たちが付けてやろうよ」
「いや、それは――」
仮とはいえ、名前という重要な物をつい先ほど出会ったばかりの自分たちが決めるというのはどうなのかと思い、ミトラの提案を否定しようとする。
「い、いいんですか! ぜひお願いします!」
けれど、思いの外少女がミトラの提案に食いついてきた。
「えっと、本当に僕たちが決めていいんですか? 仮とはいえ、大事な名前ですよ?」
遠慮がちに言葉にするも、キラキラと輝く少女の期待の眼差しを受けて観念する。
「うーん、そうだな。まだ子供だし『チビ』なんてどうだ?」
「ダメに決まってるだろ。ていうか、どんなネーミングセンスだよ」
「だったら、兄さんはどんな名前を付けるんだよ」
「そうだな……瞳が綺麗な草原色だから『ソウ』なんてどうだ?」
「兄さんも別に大したネーミングセンスないじゃないか。それに、なんだか可愛らしくないし、この子には似合わないでしょ」
確かに、ソウという名前はどことなく男の子っぽさを感じてしまうかもしれない。
可愛らしい少女に名付けるならば、もうちょっと女の子らしい名前を付けてあげるべきか。
「う~ん、そうだな。瑞々しい水色の髪が特徴的だから……」
少女の髪をまじまじと見つめながら思案する。そして、ミトラとほぼ同時に「あ」と声を漏らしながら一案を講ずる。
「「スイ」」
二人同時に発せられた名前を聞いて、少女は嬉しそうに。
「スイ。うん、それがいいです!」
気に入ってくれたのか、少女笑みを浮かべながら何度も「スイ、スイ」と口に出している。
正直、先に出た「チビ」「ソウ」と並ぶほどに単純な名前ではあったが、本人が喜んでくれているのであればよかった。
♢♦︎♢
【ひとくち設定紹介】
『魔導法』
読み:まどうほう
過去、魔法が初めて作成され魔法文化が世に浸透し始めた頃。魔法を用いて悪事を働こうとする者たちの存在を危惧した「はじまりの魔導士」たちが制定した魔法を制作・用いる際に遵守しなければならない決まり、ルール。法律。
***
あとがき
第三話、お読みいただき誠にありがとうございます(_ _*))
まだまだ未熟の身ではありますが、少しでも多くの方が面白いと思ってくれる作品を書けるよう頑張ります!
もし面白いと思っていただけましたら、☆や♡で応援いただけますと幸いです!
また、感想コメなどいただけますと飛び上がって喜びます!
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